テーマ:大東亜戦争

No.1068 泣き虫将軍・本間雅晴と健気なる妻

 マニラでの戦争犯罪裁判の被告とされた夫を救うべく、妻はフィリピンに飛び、法廷に立った。 ■転送歓迎■ H30.06.24 ■ 50,720 Copies ■ 4,497,484Views■ ■1.「わたくし、マニラにまいります」  本間雅晴・予備役中将の妻・富士子のもとに、コーダー大尉が訪れたのは、フィリピンはマ…
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No.878 目隠しされた日本 ~ 戦前も戦後も情報無しの手探り状態

 日本は情報無しの目隠し状態で、戦前はアメリカと戦い、戦後は中ソと対峙してきた。 ■転送歓迎■ H26.12.07 ■ 43,369 Copies ■ 3,938,045Views■ ■1.ずっと自衛隊の写真を撮っていた中国の震災救援部隊  東日本大震災では中国軍が救援に来たが、その際に彼らは何をしたのか、こんな証…
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No.874 朝日が煽った大東亜戦争

 朝日は終戦の前日まで「一億火の玉」と国民を扇動し続けた。 ■1.「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない」  昭和20(1945)年8月14日、降伏の前日、朝日新聞は「敵の非道を撃つ」と題して、次のような社説を掲載している。 __________  すでに幾多の同胞は戦災者となっても、その闘魂は微動…
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No.860 国史百景(9):キスカ島守備隊を救出せよ(下)

 濃霧の中を、救援艦隊はキスカ湾に突入していった。 ■転送歓迎■ H26.08.03 ■ 43,760 Copies ■ 3,880,976Views■ ■1.米艦隊の猛攻  一方、米軍は日本軍の電信を傍受し、暗号解析をした結果、「救援艦隊は千島を出港し、7月26日か27日にキスカ増援を試みる」と判断した。そして、…
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No.859 国史百景(9): キスカ島守備隊を救出せよ(上)

 米軍に包囲された孤島の守備隊5千2百名を救出すべく、木村昌福少将率いる艦隊は死地に赴いた。 ■転送歓迎■ H26.07.27 ■ 43,803 Copies ■ 3,877,992Views■ ■1.「村長さんみたいな人」  昭和18(1943)年6月14日、第一水雷戦隊司令官に命…
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No.795 ココダの約束 ~ 戦友の骨を拾う約束を25年かけて果たした男

「もしお前たちがここで死ぬようなことがあっても、俺たちが必ずその骨を拾って、日本にいる家族に届けてやるからな」 ■転送歓迎■ H25.04.21 ■ 40,435 Copies ■ 3,679,048 Views■ ■1.米軍の「すべての兵士を故郷に帰す」約束  安倍晋三首相は4月14日、大東亜戦争の激戦地・硫黄島…
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No.723 沖縄戦「住民自決命令」(下) ~ 神話との戦い

 史実として否定されても、いまだにプロパガンダとして生き延びる「住民自決命令」神話。 ■転送歓迎■ H23.11.13 ■ 38,398 Copies ■ 3,468,075Views■ ■1.米軍情報をもとに書かれた『鉄の暴風』 『鉄の暴風』は座間味島での集団自決に関しては、守備隊長・梅澤裕少佐が住民に自決を…
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No.722 沖縄戦「住民自決命令」(上)~ 神話の創作者たち

「住民自決軍命」の神話を創作した沖縄タイムスは、米軍の御用新聞だった。 ■1.沖縄戦「住民自決命令」裁判  昭和20(1945)年3月27日、米軍は沖縄の西にある渡嘉敷島に上陸した。その日、渡嘉敷島の守備隊では次のように「住民自決を命ずる」決定を下したと、『鉄の暴風』(沖縄タイムス、朝日新聞社、昭和25(1950)年刊)…
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No.711 英霊たちの帰国

 平和に栄える祖国を見ようと、65年ぶりに帰還した英霊たちを待っていたのは、、、 ■1.英霊たちの帰還  8月15日午前1時12分、東京駅地下ホーム。最終電車が出た後に、軍用列車が入ってきた。列車から出てきたのは、先の大戦で南の海に玉砕し、海の底に沈んだ英霊たちのぼろぼろの姿だった。  ホームに一斉に並んだ英霊たち…
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No. 691 日本軍に救済され、中国軍と戦った難民たち

地球史探訪: 日本軍に救済され、中国軍と戦った難民たち  餓死に追い詰められていた民衆は、救援してくれた日本軍とともに、中国軍相手に立ち上がった。 ------------------------------------------------------------ 月刊誌『正論』5月号(4月1日発売)に  …
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No.678 名将・山口多聞

この名将が真珠湾攻撃の指揮をとっていたら、大東亜戦争は別の展開になっていたろう。 ■1.「第2撃準備完了」  昭和16(1941)年12月8日午前3時22分、「トラトラトラ(われ奇襲に成功せり)」の無電が入ってきた。日本海軍の機動部隊6隻の空母から発進した第1次攻撃隊の爆撃機・雷撃機140機、零戦43機が、真珠湾に停泊中…
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No.677 若き日の大東亜戦争

「日本の古きよき時代を精一杯、力の限り生き抜いた」と女子医学生だった清水公子さんは語る。 ■1.「いよいよやったね。しっかり頑張ろうね」  大正11年生まれの女医・清水公子さんは、65年前の大東亜戦争開戦の日を次のように思い起こす。 __________  昭和16年12月8日、開戦の詔勅と真珠湾攻撃の大戦果を知…
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No.674 日中戦争、日本が勝っていたら

 中国は異民族に征服されるたびに、版図を広げていった。 ■1.『もし、日本が中国に勝っていたら』 『もし、日本が中国に勝っていたら』という論文が数年前に中国のネット上で公開され、大きな話題となった。中国人にとって、その衝撃的な内容は、以下のわずかな引用でも明らかであろう。 __________  20世紀…
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JOG(634) 「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか

 当初の戦略通り、持久戦に持ち込んでいれば、アメリカとの講和に持ち込めるチャンスはあった。 ■1.「正しい時期における正しい戦争であった」  アメリカの歴史学者ジェームズ・B・ウッド教授(ウィリアムズ大学)による『「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか』と題された刺激的な研究書が出版された。ウッド教授は、この書の冒頭で次の…
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