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No.1261 奴隷の平和か、大御宝の平和か


 無抵抗平和主義では「奴隷の平和」になるだけ。我が国には真の平和の理想があった。

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・"日の丸国旗の生みの親"
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■1.「真の平和」と「奴隷の平和」

 産経新聞の三井美奈・パリ支局長が、ポーランド国際問題研究所のロレンツ・ボイチェフ研究員に取材した時のことです。三井支局長が「一刻も早い停戦を優先すべきではないか」と質問した際に、ボイチェフ研究員は、「何も分かっていない」と言わんばかりに、停戦と「真の平和」の違いを語ってくれたそうです。

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 ロシアに交渉で攻撃停止を求めれば、必ず「それなら、こちらの要求を飲め」と言ってくる。それは、ウクライナにおける親露派の政府樹立だったり、武装解除だったりするだろう。ボイチェフさんは、それは真の平和ではないという。

 第二次世界大戦後、東欧諸国は旧ソ連の支配下に置かれた。「ソ連がすべて正しい」という歴史観を押し付けられ、絶対忠誠を誓う共産主義政党が政権を握った。学校で、子供はロシア語をたたき込まれた。

 ボイチェフさんは「私はその世代です」と言った。戦争をしない代償として、国民はソ連に心まで支配された。[産経R040328]
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 東欧諸国は、ソ連支配のもとで「奴隷の平和」を体験してきました。言論・思想の自由は奪われ、余計なことを話したら、いつ秘密警察に引っ張られるか、という恐怖のもとで暮らしていました。

 そんな「奴隷の平和は二度とご免だ」という覚悟が、ウクライナ国民の高い戦意を支え、またすでに200万人を越える難民を必死で受け入れているポーランド人の支援をもたらしているのでしょう。戦後の平和主義にどっぷりと浸かってきた日本国民は、こうした東欧諸国の体験から「真の平和」と「奴隷の平和」の違いを学ばなければなりません。


■2.明治天皇が希求された「真の平和」

 我が国の歴史では、「真の平和」とはどういうものか、を示された格好の史実があります。日露戦争前のロシアの侵略ぶりは現在と同様でした。ロシアは義和団の乱に乗じて満洲を武力制圧し、さらには朝鮮半島にまで軍事基地を広げようとしていました。明治政府は5ヶ月もロシアと平和交渉を続けましたが、のらりくらりの応対の陰で、着々と軍備増強を進める一方でした。

 ここで明治政府は「打捨てて置けば、ロシアはどしどし、満洲を占領し、朝鮮に侵入し、遂には我が国家までも脅迫するに至る、事茲(ここ)に至れば、国を賭しても戦うの一途あるのみである、成功・不成功などは眼中にない」(元老・伊藤博文)との覚悟で、世界一の陸軍大国に戦いを挑んだのでした。

 日露戦争は、黄色人種国家が白人超大国を倒し、植民地化され、あるいは属国とされていた諸民族に大きな希望を与えた世界史上の偉業でしたが、その陰で明治天皇が示した「真の平和」にも着目する必要があります。

 明治天皇は、開戦前は最後の最後までロシアとの和平を希求されました。開戦の最終決定を行う御前会議の早朝、伊藤博文をお召しになり、再度意見を聞かれました。伊藤は「今日は最早断然たる御覚悟をあそばされる時期でございましょう」と奉答しました。

 その御前会議が終わって戻ってこられた明治天皇は、皇后に沈痛の面持ちで、「いよいよ、ロシアと国交を断絶することに決定した、朕の志でないが、已むを得ない」と語られました。

 しかし、明治天皇が「奴隷の平和」主義者と異なるのは、「真の平和」のためには軍備が必要であることを示されていた点です。明治24(1891)年、日清戦争の3年前、清国は当時世界の最大級の戦艦「定遠」「鎮遠」以下計6隻を我が国に派遣し、長崎、神戸、横浜、呉と各地に寄港させました。朝鮮半島をめぐって、対立が高まりつつあった日本への威圧です。

 当時の日本の主力艦は「定遠」「鎮遠」の半分以下の排水量しかなく、軍艦増強が焦眉の急でしたが、国会が政府と対決姿勢をとり、軍艦建造費の予算が承認されていませんでした。

 この状況を心配された明治天皇は、内廷費の1割、30万円を6年間節約して寄付するとの勅語を出されました。この聖旨に国民各層が感激して、巡査や教師の月給が3円~5円という時代に、わずか数ヶ月で203万8千円の寄付が寄せられたのです。この時に建造した軍艦が、日清戦争で活躍しました。

 この軍艦建造がなかったら、日本は清国に負けて、朝鮮と同様の属国となっていたかも知れません。非武装主義による力の真空は、かえって侵略を呼び込み、その先は「奴隷の平和」なのです。

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■3.ロシアは「帝国の友邦」に戻った

 明治天皇が希求された「真の平和」の姿は、日露戦争後に見ることができます。明治38年10月16日に発せられた「日露講和成立の詔」には、次のような一節があります。

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わが方から提議した諸条件中、はじめから交戦の目的であった韓国の保全と、東洋の平和に必要なロシア軍の満洲撤兵とは、ロシア側においてわが要求に応じ、それによって和平を望む誠意のほどを明かにしたのである。・・・

ここに、平和と栄光とを二つながら獲得し、・・・また、行く末永く列国とともに世界平和の恩恵にひたりたく思う。いまや、ロシアもまた戦前におけるわが方との旧交をあたためて帝国の友邦にもどった。それならば、善隣の親交を回復してさらにますますこれを増進することを考直せねばならぬ。[正論]
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「平和と栄光とを二つながら獲得し」の「栄光」とは、戦争に勝った栄光ではなく、独立国としての栄光でしょう。「交戦の目的であった韓国の保全」と「東洋の平和に必要なロシア軍の満洲撤兵」を達成して、ようやく「真の平和」が到来したのです。

 そして、ロシアが「帝国の友邦」に戻ったので、「善隣の親交」をますます増進せねばならない、と言われます。弱者が強者にひれ伏す「奴隷の平和」ではなく、互いが独立国として「善隣の親交」を進めるのが「真の平和」なのです。


■4.「速やかに平和を回復できました」

 明治天皇の希求される「真の平和」は、同年11月17日に伊勢の神宮をご参拝された際の「平和回復の奉告」にも現れています。次のような内容だったと伝えられています。

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皇大神宮の大前に申し上げます。さきにロシア国と開戦になりましてから、陸海軍の軍人たちは身をかえりみず陸に海にと勇敢に敵にいどみ、事態を平穏に解決いたしました。このように速やかに平和を回復できましたことは、大神の広く大きなご神威によるものと思いますゆえ、そのことを奉告しようと今日ここに参拝いたしました。
どうかこれからも、皇室をはじめ日本国民はもちろんのこと、世界各国の人々を末永くお守り下さい。[明治神宮]
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 ここには「戦勝」の文字はありません。「平和を回復」できたことを、天照大神の神威のお陰と感謝しているのです。そして「世界各国の人々」をも「末永くお守りください」と祈られています。これが「真の平和」なのです。

 現代日本の歴史教科書では、与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」を引用して、反戦の声を紹介しているものがありますが、我々の先人たちが日露戦争を戦わなかったら、我々は間違いなく「奴隷の平和」に陥ったでしょう。かつてソ連に支配された東欧諸国のように。


■5.敵将兵への思いやり

 明治天皇の「真の平和」への祈りは、ロシアの将兵にも及んだ仁慈にも現れています。次のような逸話が伝えられています。

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侍従武官長岡沢精の語るところによれば、明治天皇は戦争の報告を受けられる時に

 我が軍の損害は、この度は甚だ僅少でございました

と奏上すると、御心から安堵の態であるが、更に反対に

 敵軍の死傷は多数でございました

と奏上すると、竜顔(天皇のお顔)は忽(たちま)ち曇って、御心痛のさまをありあり、と拝したということである。皇后が、負傷の帝国軍人等に下賜された義眼・義肢を、捕虜として収容した敵国兵士へも、下賜せよとの御沙汰があったのは、これ等の思召を体せられてのことである。[渡辺、p157]
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 明治天皇の敵将兵へのお心は、次の御製(天皇のお歌)にも窺うことができます。

 国のためあだ(仇)なす仇はくだくともいつくしむべき事な忘れそ
(自国に仇(あだ)をなす敵は打ち砕くべきだが、慈しむことも忘れてはならない)

 この天皇の御心を体した将兵は、以下の歌を詠んでいます。

 進軍の道すがら (陸軍少将 中村寛)
 道すがらあた(敵)の屍(かばね)に野の花を一もと折りて手向けつるかな
(通り道に横たわっている敵兵の屍に、野の花を一本折って手向けた)

 武士道精神の発露です。このような美しい武士道精神で世界を驚かせたのが、旅順攻略の後の乃木将軍とステッセル司令官との会談でした。この時も、明治天皇の「武士としての面目を保たしむべし」とのご指示で、ロシア軍の高官たちは勲章と軍刀の正装姿で、乃木将軍以下と並んだ記念写真をとっています。[JOG(783)]

 戦い終われば、勝つも負けるも「武士は相身互(あいみたが)い」、恨みを残さずに互いの健闘を讃え合う。武士道が目指したのも「真の平和」だったのです。


■6.駐日ロシア公使夫妻の感激

「真の平和」を希求する人は、いざ戦いになったら雄々しく立ち上がりますが、それは相手を憎んでのことではありません。そのことを、駐日ロシア公使だったローマン・ローゼン夫妻が東京から引き揚げる際の体験から語っています。

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欧洲大戦の時には、べルリンのイギリス大使館には石を投げられ、暴民は鬨(とき)の声を挙げて押し寄せた。また同じベルリンを引揚げるロシア大使は途中ある停車場では暴民等に罵言をあびせられ、唾を吐きかけられる等、あらゆる暴力を加えられた。
文明国と称する国といえども、いよいよ戦争となると敵愾心(てきがいしん)の高潮する結果、国民の間にこのような野蛮性が往々にして現われてくるのである。

 然るに日露開戦の際にはどうであったか。我が国民の憤慨は、多年ロシアの圧迫政策に対して極度に達し、国民の敵愾心はいやが上にも高潮していた。だが、敵国公使がいよいよ東京を引揚げるという際には、あらゆる好意が彼らに寄せられたのである。[渡辺、p156]
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 伊藤博文は、元老の立場上、公然とローゼン公使と会うわけにもいかなかったので、ベルギー公使に託して、丁重な告別の辞を届けました。公使と親交のあった榎本武揚公爵は病身を推して別れの挨拶に来て、公使を感激させました。

 最もローゼン公使夫妻を感激させたのは、皇后が女官を通じて、餞別の品として銀製の花瓶を贈られ、それに添えて次のお言葉を賜ったことでした。現代語訳のみ掲げます。

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今回不幸にして両国の和親が破れるに至ったので、公然と送別することが出来ないのは、まことに残念ですが、夫人とは多年懇親を重ねてきたので、女性の情として今、見過ごすことはできません。ここに侍臣を通じて送別の辞をお送りします。両国の国交が旧に服する際には、再び夫人が東京に来られんことを切望します。[渡辺、p156]
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 ローゼン公使夫人は、皇后の温情に感極まって、涙を流しました。


■7.「奴隷の平和」か、「大御宝の平和」か

 明治天皇は開戦の前に、次の有名な御製を詠まれています。

 四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
(世界の海がみな同胞だと思っている世の中で、なぜ波風が立ち騒ぐのだろうか)

 しかし、明治天皇はどこから、このような理想を得られたのでしょうか? そのヒントは明治元年、明治天皇の即位のまさにその年に発せられた五カ条のご誓文とともに、国民に出されたお手紙の中にあります。

「天下億兆、一人も其処を得ざる時は、皆朕が罪なれば」(国内のすべての人々が、たった一人でも、その人にふさわしくない場所に置かれているようであれば、それは皆私の罪です)という一節です。

 国家という共同体の中で、国民一人ひとりが様々な個性や能力の違いはあっても、それぞれが「処を得て」互いに力を合わせていく、それが一人ひとりの幸福への道であり、また共同体全体の平和と繁栄の道である、という「大御宝」の理想です。

 これを国際社会に広げて考えれば、多くの国が、大小、貧富、文化の多様性はあっても、それぞれの国が「処を得て」、善隣関係を結び、助け合っていく。それが国際社会の理想だという考え方に通じます。

 この「大御宝の平和」をよく理解してこそ、「奴隷の平和」を拒否して必死に戦うウクライナ国民、数百万人の難民も積極的に受け入れるポーランドなど東欧諸国の奮闘にも共感できるのです。戦闘さえなければ「平和」だという考え違いによって、我々の子孫にかつての東欧の人々を苦しめた「奴隷の平和」をもたらしてはならないのです。
(文責 伊勢雅臣)


■おたより

■現代の日本人が、日本古来の理想を取り戻した暁には、真に世界平和構築に貢献できる資質・能力・姿勢を取り戻せる(Naokiさん)

日露戦争の際のエピソードを読み、現代の日本人との違いに大きな衝撃を受けました。「戦争がなければ平和であり、戦争は何よりも避けねばならないもの」という浅薄な思考からは真の平和は生まれ得ないのだと改めて気付きました。

日本が古来から目指してきた真の世界平和のカタチは、西洋が生み出した幾多の〇〇主義やイデオロギーとは全く性質を異にするものです。

現代の日本人が、日本古来の理想を取り戻した暁には、真に世界平和構築に貢献できる資質・能力・姿勢を取り戻せるものと確信しております。

日本の長い歴史をきちんと紐解いて、歴史を現代に生かしていく道を再び歩み始められるかどうか…に、日本再生と世界平和がかかっていると素直に感じました。

公立中学校の社会科教師として、未来を担う子どもたちに日本と世界をより良い方向に進化させる姿勢を育んでいきます。

■伊勢雅臣より

 日本の「根っこ」からの祈りを取り戻すことこそ、現代の国際社会への貢献となるでしょう。


■リンク■

・JOG(1250) 大御宝による、大御宝のための国
 日本は「大御宝のための国」として建国され、大御宝たちが力を合わせて護ってきた。
http://blog.jog-net.jp/202201/article_3.html


・JOG(1249) 126代にわたって継承されている神武天皇の祈り
「一つ屋根(宇)の大御宝と知ろしめせ」の理想は、歴代天皇を通じて受け継がれ、大化の改新や明治維新の不動の基軸をなした。
http://blog.jog-net.jp/202201/article_2.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

・「東欧が『反戦』を嫌う理由」産経新聞R040328
https://www.sankei.com/article/20220328-AKVWQM7ILRK4NPNIUQSMUYUTU4/?101470

・明治神宮編『明治維新 百三十年記念 明治天皇さま』、H10

・正論2002年12月臨時増刊号『明治天皇とその時代』

・渡辺幾治郎『明治天皇 下』、明治天皇頌徳会、S33

■伊勢雅臣より

 3月29日、靖国神社の桜が満開とのお知らせに、早速参拝してきました。満開の桜の花が、下を歩くと天井のように見えました。英霊たちが心安らかにお花見を楽しめる国としていきたいものです。

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