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No.1236 満洲事変の後、日本は世界から孤立したのか?


「たかが」勧告程度で、日本が国際連盟を脱退するなど、各国には思いもよらなかった。

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■1.地に落ちた国連のイメージ

 イスラム原理主義組織タリバン(Taliban)に制圧されたアフガニスタンで、全人口の3分の1に相当する1400万人が深刻な飢餓か、餓死寸前の危機に直面していると、国連(UN)の世界食糧計画(WFP)が警鐘を鳴らしました[YAHOO!]。しかし、警鐘を鳴らす以外に、国連自体は何をしているのでしょうか?

 そう言えば、こういう危機の際に、かつては緒方貞子さんが国連難民高等弁務官として、イラク北部でのクルド難民やボスニア・ヘルツェゴビナでの難民救助など、各国政府の援助や民間からの寄付を集めつつ陣頭指揮を執った時期がありました。国連が国連にしかできない中立的、人道的な活動をしていた時期でした。

 現在では国連の存在感はまったく失われてしまいました。特にコロナ騒動ではWHOのトップが中国のお先棒担ぎをしている姿まであからさまになりました。国際機関のトップを選ぶ選挙で多数の票を持つ途上国が、中国に操られているようです。


■2.国際連盟での「ヨーロッパ、中南米の小国の演説会」

 現在の国際連合の前身である、戦前の国際連盟も同様に、多数の小国の存在で収拾がつかなくなっていたようです。岡崎久彦氏の『重光・東郷とその時代』は、さすがに外交官出身の著者だけあって、当時の国際政治の舞台が活写されていますが、その中でこんな一節があります。

 1931(昭和6)年の満洲事変で、中国は二国間交渉では日本に敵(かな)わないので、国際連盟に訴えて国際世論を味方につけようとしました。

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 事実、連盟は幣原(JOG注:外相)が危惧したとおり、東アジアの情勢など知るはずもないヨーロッパ、中南米の小国の演説会の様相を呈した。[岡崎、p48]
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 そして、その結果、リットン調査団派遣となったのですが、そのときの様子を岡崎氏はこう評しています。

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 調査団設置というのは、国際会議でにっちもさっちもいかなくなったときの常套的な智恵である。このときも各国代表団は、それでクリスマス休暇に入れるので歓迎した。[岡崎、p50]
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 アジアの片隅で起こった満洲事変を、当時の国際社会がどの程度、「真剣」に受け止めていたのかが、よく分かります。


■3.こんなに違う歴史教科書の記述

 満洲事変とは何だったのか、高校「歴史総合」教科書の記述を見ておきましょう。7社の教科書のうち、もっとも史実を客観的に表現しているのが、次の清水書院のものです。
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1931年、中国東北部において日本の関東軍による柳条湖事件(注1)が起こると、日本政府はこれを追認し、軍事行動が拡大した。満州事変の始まりである。翌年、満州の現地住民が民族自決をかかげて中国政府から独立するというかたちをとって、「満州国」が建国された。

国際連盟は、中国政府の提訴を受け、リットン調査団を派遣した。調査団の報告書は、「満州国」建国の正当性を認めないとしつつも満州における日本の特殊権益を認めるなど、中国と日本の双方の立場を尊重して調停に努める内容であったが、日本は強硬姿勢にかたむいて国際連盟の脱退にいたった。

注1 関東軍(日露戦争後に中国東北部に派遣された日本軍)が柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し,中国軍によるものといつわって軍事行動を始めた。パリ不戟条約では自衛権を否定していないため.日本は満州事変を自衛のための軍事行動と主張した。[清水、p77]
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 このリットン報告書と国際連盟の脱退が他の教科書では、だいぶ異なったニュアンスで書かれています。たとえば、実教出版では:
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満洲事変にさいし、国際連盟から派遣されたリットン調査団は、日本の軍事行動と満洲占領を不当とする報告書をまとめた。1933年2月にひらかれた連盟総会は、この報告書をふまえ、満洲における中国の主権を認め、日本軍の撤収を求める勧告案を採択した。この結果に反発した日本は、国際連盟からの脱退を通告した。[実教、p158]
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 同じ事件でも、まったく違う印象を与えますね。


■4.日本は「勧告」、ソ連は「除名」

 [実教]の記述では、いかにも日本の侵略が世界全体から批判されて、国際連盟から脱退し、世界から孤立したように書かれていますが、これは正確な史実でしょうか?

 まず、国際連盟の決議は、日本を侵略者として認定することを注意深く避けていました。「勧告」でしたから、「制裁」や「除名」と違って、強制力はありません。

 英国出身のエリック・ドラモンド連盟事務総長は、日本の面目を保つべく、最後まで総会での投票による勧告採択を回避し、当事者間の和解を成立させようと努力していたのですが、中国の巧みな宣伝に動かされた多くの小国を阻止できなかったのです。

 このあたりの事情を、青山学院大学教授・福井義高氏は、当時の一次資料から、次のように述べています。
__________
 小国は満州や上海に権益もなく、関心もなかった。しかし、今日以上に大国が赤裸々なパワーポリティクスを繰り広げるなか、将棋の駒のように扱われていた小国は、連盟が一定の歯止めとなることに期待をかけていた。小国は日本批判にかこつけて、英仏を牽制していたのだ。[福井、2945]
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 しかも、この「勧告」という処置がどの程度のものか、よく認識するためには、それより厳しい連盟からの「除名」という処分があったことを知らなければなりません。1939年にソ連はフィンランド侵略により、国際連盟から「除名」されているのです。

 ソ連は日本脱退後に国際連盟に加わり、常任理事国となったのですが、国境を接するフィンランドに対し、「同国内での軍事基地設置と国境再画定」という名目で領土割譲を要求し、フィンランドがこれを拒絶すると、大規模な軍事侵攻を始めたのです。[JOG(117)]

 連盟は異例のスピードで、総会でフィンランド支援・ソ連非難決議を採択し、継いで当事国ソ連以外のすべての理事国が賛成して、「除名」を決議しました。国際連盟は正式にソ連を侵略者として断罪したのです[福井、2707]。自主的に脱退した日本が帝国主義だったと言うなら、ソ連はもっと凶悪な札付きの帝国主義国と言うべきでしょう。

 それにしても、「勧告」程度で連盟を脱退するというのは、まさに[清水]の言うとおり「強硬姿勢」でした。松岡洋右代表は、連盟脱退をほのめかしていましたが、「連盟側及び各国は日本は真に脱退するとは考へてゐなかった」という青木節一『日本脱退の前後』の一節を引用して、福井氏はこう述べます。

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 国際政治の修羅場をくぐり抜けてきた欧州諸国からみれば、なんら実効性を伴わない「たかが」勧告で日本が連盟を去るというのは、思いもよらない事態であった。[福井、3060]
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 稚拙と言えば、まことに稚拙な外交でしたが、連盟を脱退したからといって、日本が世界から孤立した、と考えるのは、史実に悖(もと)ります。

国際連盟からの脱退.jpg


■5.「誰もが現実的な妥協案として考えたこと」

 リットン報告書と勧告の内容に関して、[清水]と[実教]の記述をもう一度、比べて見ましょう。要点を抜き出すと:

・[清水]「『満州国』建国の正当性を認めないとしつつも満州における日本の特殊権益を認めるなど,中国と日本の双方の立場を尊重して調停に努める内容」

・[実教]「日本の軍事行動と満洲占領を不当とする報告書」「満洲における中国の主権を認め,日本軍の撤収を求める勧告案」

 [実教]の記述はきわめて一面的です。リットン報告書の提案は、第10章「理事会に対する考察と提議」[渡部、p319]にまとめられていますが、岡崎氏はこれを次のように要約しています。

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 中国に名目上の主権を与えて、実際は日本の影響下に満洲をおく・・・・・・これは、当時誰もが現実的な妥協案として考えたことであり、・・・[岡崎、p57]

そして第十章では、中国の領土権、行政権を認めたうえで「広汎な自治を賦与」することを提案し、その際、満洲事変以来、満洲の建国などに参加した者全員の大赦を勧告している。また自治政府は外国人顧問を任命するが、「そのうち日本人が十分な割合を占めることを要し」、治安は「外国人教官の協力」を得た「特別憲兵」によって守られることとしている。
 また、事件解決後は中国が反日ボイコットを抑制することも提案している。[岡崎、p58]
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 これなら、建前上、中国の領土権、行政権を認めただけで、実態はすでに成立している満洲国政府とほとんど変わらない、ということになるでしょう。さらに日本を苦しめていた中国の反日ボイコットも抑制されるというのです。[JOG(668)]

 蒋介石政権から見れば、日本の連盟脱退時点で、シナ本土18省のうち4省を支配しているに過ぎず、満洲にまでは到底、手が回りかねていました[岡崎、p77]。ですから、蒋介石は主権さえ認めてくれれば、それで手を打つという可能性は十分にあったでしょう。このあたりの落とし所は、外交のプロなら「誰もが現実的な妥協案として考えたこと」なのです。


■6.日中間の停戦協定でもたらされた平和

 日本の連盟脱退により、その後も日中間の戦闘はしばらく続きましたが、蒋介石の国民党軍は第一目標を共産党軍の掃討におき、日本軍との衝突は限定したいと考えていました。北京では英国公使が日中停戦を斡旋しました。

 こうした中で、1933(昭和8)年5月、関東軍と国民党軍との間で、塘沽(タンクー)停戦協定が結ばれたのです。万里の長城の南に非武装地帯と設け、日中両軍はそこから撤退する、という内容でした。

 この結果、満洲国は既成事実となりました。中国は決して満洲国を認めたわけではありませんが、蒋介石の言葉では「内容は屈辱的であったが、『安内攘外』、つまり外侮(JOG注:外国からのあなどり)を防ぐために、まず内部統一に専念できる機会をもたらした」のです。[岡崎、p100]

 この機会を利用して、蒋介石は同年10月から一年間にわたる第5次掃共(JOG注: 共産党掃討)作戦を成功させました。80万の蒋介石軍が15万の共産軍を包囲し、徐々に輪を狭めていきました。共産軍は各地の拠点を放棄し、陝西省延安まで1万2500キロの「長征」と呼ばれる逃避行を続けたのです。延安に着いた時には、数千人となっていました。

 停戦協定後、中華民国は4年間の平和を享受します。1928年の北京入城から37年のシナ事変までの10年間に、鉄道や道路などインフラの整備、産業の振興、教育の普及など、近代化と生活水準の向上が飛躍的に進みました。


■7.「三千万の民衆がこの過程から恩恵を受けてゐる」

 満洲国も1932(昭和7)年3月の建国から1945(昭和20)年8月の日本の敗戦まで、わずか13年しか続きませんでしたが、日本からの集中的な投資により、産業も発展しました。ロンドン・タイムズ紙は「独立後二カ年の満洲国」と題した記事で、現地の状況をこう報道しています。

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「外来の訪客は過去一ケ年に於ける満洲国の財政上の迅速な進歩に驚くであろう。通貨は安定した。一文の値打もない旧軍閥の不換紙幣の洪水に悩まされて居た満洲国にとって、これだけでも測り知れぬ恩恵だ」
「満洲は今や啓蒙的開発」と云ふのが最も適切な過程を経過してゐる。啓蒙的な一番いい証拠は、三千万の民衆がこの過程から恩恵を受けてゐることだ。」[中村、p340]
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 平和と繁栄を求めて、中国から満洲に人口が流入し続け、満洲事変時の人口3千万人が、終戦時には5千万人となっていました。毎年百数十万人の規模で、流入したことになります。

 重工業も発展し、第二次大戦の終戦時には。中国大陸の重工業の約90%を満洲が占めていました。毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」と言って、満洲の確保に走ったのです。1945年10月には、満洲争奪のための国民党と共産党で、数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まりました。


■8.中華民国と満洲国の短くも平和で豊かな期間

 蒋介石が治める中華民国と、満洲国がこのまま平和的発展を続けていたら、朝鮮も併合した日本とも協調して、極東においては平和と独立、繁栄を享受できたでしょう。

 しかし、そこに現れたのが、新たな脅威、共産主義でした。スターリンと毛沢東の策謀により、日本と中華民国は泥沼のシナ事変に引きずりこまれていきます。これについてはJOG(446)で述べました。

 この中華民国と満洲国が享受した平和と繁栄の4年間を無視して、満洲事変とシナ事変をつなげ、大東亜戦争終戦までの正味13年11ヶ月を「十五年戦争」などと称するのは、左翼史観による歴史の偽造以外の何者でもありません。共産主義者から見た苦節15年というなら、分からないでもありませんが。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■大陸とは適度な距離感を(広雄さん)

満洲に多額の投資をしたわけですから、それを放棄する訳にはいかなかったのでしょうが、台湾と南洋庁だけでなんとかならなかったのかと残念でなりません。

パラオなどは日本が管理し続けた方が余程発展したと思います。

満洲を放置すれば次は朝鮮半島がロシアの影響下に入ることを恐れて日露戦争になったわけですが、そのまま対峙したままで時が経てば、満洲も半島も今のウラジオかサハリン程度の存在感しか無かった様に思います。

そうなれば北朝鮮もやっかいな隣人韓国も存在しないので日本は全く気を揉む必要がないのでは?と夢想してしまいます。

歴史にifはありませんが大陸に肩入れするとロクなことにならないことを為政者は肝に銘じて、でも言う時は強固な態度で臨み、適度な距離感を保つ様にして無視を心がけて欲しいです。

■伊勢雅臣より

 私も、日本にとって、北西は鬼門で、近づかない方が良いと考えています。
 ただ、放置しておいて、ロシアが釜山まで勢力を伸ばしてくるのも怖いし、という矛盾があったと思われます。
 また、国とした以上は、そこの民が安寧に暮らせるようにしなければ、と経済発展や教育に力を入れてしまうのは、日本人の遺伝子でしょう。



■リンク■

・JOG(668)「日貨排斥」の歴史は繰り返す
 貿易を通じた中国の嫌がらせに、戦前の日本人も憤激していた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h22/jog668.html

・JOG(589) ラスト・エンペラーと「偽」満洲国
 日本は最後の清国皇帝を傀儡として、「偽」満洲国をでっちあげたのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h21/jog589.html

・JOG(446) スターリンと毛沢東が仕組んだ日中戦争
 スターリンはソ連防衛のために、毛沢東は政権奪取のために、蒋介石と日本軍が戦うよう仕組んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog446.html

・JOG(239)満洲~幻の先進工業国家
 傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以上の中国人がなだれ込んだ理由は?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog239.html

・JOG(117) フィンランド、独立への苦闘
 ヒットラーのドイツとスターリンのソ連にはさまれ、フィンランドは孤立した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog117.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・YAHOO!ニュース JAPAN「アフガン、国民の3人に1人が飢餓の危機に WFP」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4436f5ecc70f81c1b628423efbc1252f77a94318

・岡崎久彦『重光・東郷とその時代』★★★、PHP文庫、H15
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/456966038X/japanontheg01-22/

・福井義高『日本人が知らない最先端の「世界史」2』★★、祥伝社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B07421HP9X/japanontheg01-22/

・渡部昇一解説・編『全文 リットン報告書』★、ビジネス社、H26
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/482841746X/japanontheg01-22/

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