No.1233 日本は帝国主義国だったのか? ~ イルカとサメは違う
イルカとサメは共に海に泳ぐ、形もよく似た生物ですが、まるで違った種だと学問的に見分けるのが、専門の学者の仕事。
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■1.日本は「遅れてやってきた帝国主義国」!?
米軍がアフガニスタンから撤退すると表明した途端に、アフガニスタン軍が総崩れになり、タリバンが政権を握ってしまいました。今回の米軍撤退は、南ベトナムの崩壊を彷彿とさせます。あの時も米軍の撤退後、南ベトナム政府はあっけなく崩壊。北ベトナム軍の弾圧を恐れて、一説に30万人とも言われる人々が南シナ海に小舟でこぎ出して、多くの人々が南海の泡沫のように消えました。
当時、全国の大学では左翼学生による「ベトナム戦争反対」「米帝(アメリカ帝国主義)粉砕」などと書いた立て看板がキャンパスを覆っていました。そうそう、「日帝(日本帝国主義)打倒」などという威勢のよいスローガンもありましたっけ。
この「帝国主義」は、戦前の日本を侵略者扱いする歴史観の定番用語にもなっています。高校の新教科『歴史総合』のほとんどの教科書が、日本を「遅れてやってきた帝国主義国」と描いているのです。たとえば、
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帝国主義は,1870年代後半から20世紀はじめにかけて明らかとなり,世界は,圧倒的な軍事力の優位を背最に,欧米列強によって次々と分割されていった。19世紀末には,日本も日清戦争を通じて,この領土分割競争に参入した。[第一、p78]
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こうした太平洋の国際政治に(JOG注:イギリスによるオーストラリア、ニュージーランド開拓、アメリカによるフィリピン・グアム・プレルトリコ支配),日清戦争・日露戦争を経て,後発の帝国日本も参入していく。[実教、p99]
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我が国が国家の独立を掛けて、清水の舞台から飛び降りる覚悟で戦った日清、日露戦争まで植民地狙いの帝国主義戦争であった、という歴史観には驚かされますが、現在の歴史教科書の世界では、こちらの方が主流です。この歴史観が正しいのか、という問題を、本号で考えてみましょう。
■2.帝国主義の定義と判定ポイント
まず帝国主義の定義を見てみます。帝国主義の説明は、次の「帝国」(出版社名です。^^;)が最も詳細です。
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19世紀末になると、列強諸国は強力な武力を背景に競って新たな植民地の獲得に乗り出した。また資本の安全や市場・資源の確保のため,住民の意向を無視して,獲得した植民地を政治的・軍事的に強力に支配するようになった。このように侵略的な植民地統治を伴う新しい領土拡張を帝国主義とよぶ。
その中心にいたのはイギリス・フランス・ドイツ・ロシア・アメリカで日本もこれに続いた。[帝国、p53]
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要約すると「他人の領土を、その住民の意向を無視して、経済的に搾取すること」と言えるでしょう。とすると、帝国主義かどうかは、以下の二つのポイントで判定できるのではないでしょうか。
【収奪性】その住民が適切な利益を得られない形で、その地域の資源や労働力を利用する。収奪性があったかどうかについては、その地域が経済発展をしたかどうか、特に生活の向上による人口増加が見られたかどうか、が、判断材料になるでしょう。
【強制性】その住民が同意していないのに、武力で強制して上記の収奪を行う。住民の同意があったかどうかは、定性的で評価が難しいのですが、本国で選挙制度が導入制度がされていて、その地域にも選挙権や被選挙権が与えられていれば、強制性は疑わしいと思われます。
選挙制度が導入されていなければ、大きな住民反乱があったかどうか、が判断のポイントになるでしょう。ただ、統治開始時期は、統治の内容に関わりなく、納得しない住民が反攻する場合が多いので、統治が始まってから、10年後、20年後にまだ反攻する住民がいるかどうかで見るべきでしょう。
■3.「日本は,台湾,朝鮮などを有する植民地帝国となった」
日本が日清、日露戦争の頃から、後発の帝国主義になった、という説は、日清戦争後に台湾を得て、日露戦争後に日韓併合を行った、というところから判断されています。東書は「日本の植民地支配」との節を設けて、次のように説明しています。
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日清戦争によって台湾を清から割譲されると,日本は,台湾の統治を開始した。ついで,日露戦争中から戦後にかけて,日本は韓国の保護国化を進めて外交・内政の権限を奪い,1910年には皇帝を退位させて韓国併合を断行した。
こうして日本は,台湾,朝鮮などを有する植民地帝国となった。台滝と朝鮮の植民地化の過程では,反発する現地住民が蜂起し,日本は武力で鎮圧した。[東書、p81]
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「日本は,台湾,朝鮮などを有する植民地帝国となった」と明確な断罪をしていますが、前節で述べた二つの判断ポイントに関する史実は示されていません。そこで、東書の執筆陣に代わって、台湾、朝鮮への【収奪性】があったのかどうか、そして初期はともかく、その後も長く住民の反乱が続くような【強制性】があったのか、という点を史実で見てみましょう。
■4.台湾は植民地だったのか?
明成は「日本が帝国主義国になった」とは書いておらず、台湾統治の内容を詳しく説明しています。その一部を紹介します。
まず【収奪性】に関して:
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日本統治以前の台湾は、ペスト・コレラ・天然痘などのあらゆる伝染病が蔓延、その苦痛を緩和するために多くの住民がアヘンを吸引し、平均寿命はわずか30歳でしかなかった。
日本の台湾総督府は、台湾の上下水道を整備し、衛生環境の改善につとめるとともに伝染病の研究のために医学校を設置、住民への予防接種の強制などにより多くの伝染病を根絶・激減させた。同時にアヘンを総督府の専売とし、その使用を徐々に制限・禁止し、ついに吸飲者を皆無とした。
ダムや灌漑水路を建設し、農業の育成をはかった。道路や港湾が整備され、さらには発電所がつくられることによって家庭に電気も供給されるようになる。学校は、1944(昭和19)年までに小学校だけでも1109校が設置され、その就学率92.5%という数字は、欧州の先進国並みであった。[明成、p63]
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日本の台湾統治は明治28(1895)年からで、1906年の人口統計では306万人でした。それが1943年には650万人と倍以上になっています。生活水準があがり、経済状況がよくなった、なによりの証拠です。
【強制性】に関しては:
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政治参加については、日本内地に在住する場合に限り、普通選挙法にもとづく選挙権、被選挙権が朝鮮人、日本人と同じように行使できたが、台湾在住の台湾人や日本人には長らく参政権がなく、1945(昭和20)年にようやく与えられた。[明成、p63]
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内地に住む台湾人には参政権があり、台湾在住の台湾人には在留日本人と同様、参政権がなかったというのは、選挙制度を台湾にまで広げるのに時間がかかったからです。遅まきながら、1945年、終戦の年には参政権が与えられています。しかし、これだけでは、それまでの期間に強制性はなかった、とは判定できません。
住民の反乱で見てみると、台湾民主国(1895年)、抗日運動(1895-1902)は統治開始直後です。霧社事件(1930)年のみは日本統治の後半に起きており、これは台湾原住民の処遇や文化・習俗問題から起きたようです。日本の台湾統治も原住民の隅々にまでは及ばなかったようですが、現在の先進民主主義国でも少数民族の不満が暴動に及ぶこともあり、その類いと言えるでしょう。
この霧社事件を除けば、弊誌でも多くの台湾人の声を紹介しているように、概ね、日本統治を受け入れていたと考えてもよいのではないでしょうか? (JOG「台湾」)
■5.朝鮮半島は植民地だったのか?
朝鮮半島も見ておきましょう。韓国統治に関しては、東書は1939年頃からの創氏改名や本土の労働への「強制連行」などを挙げていますが、これらは実態は弊誌でも今まで論じてきた通り、「植民地への圧制」ではありません。
「創氏改名」はあくまで朝鮮側からの希望が出て始めたもので、強制ではないことは、朝鮮総督府に勤める朝鮮人役人の半分程度は朝鮮名のままだったことからも証明されます。「強制連行」も、強制どころか日本へ行く希望者集めに苦労していた体験を、朝鮮総督府で官吏をされていた西川清氏が語っています。[JOG(1028)]
まず【収奪性】に関しては、育鵬社の中学歴史教科書が詳しいデータを掲載しています。併合の翌年、明治43(1911)年から25年間で、人口は1383万人から2137万人と1.5倍以上、米生産は978万石から1941万石へとほぼ2倍。普通学校生徒数は3万2千余人から76万5千余人へと24倍ほどにも増えています。まさに高度成長です。
【強制性】に関してはどうでしょうか。よく言及されるのが、三・一運動ですが、これは1919年、併合の8年後に起こったもので、それ以降、1945年の終戦までは大規模な抗日騒動は起きませんでした。三・一運動後、上海に逃れた活動家たちが「大韓民国臨時政府」を組織しましたが、蒋介石の指導と財政支援に頼りながら、内紛を続けるだけで、これという活動実績は残していません。
また日本国内に住む朝鮮人は日本人と同様の参政権を与えられており、昭和7(1932)年には木春琴が衆議院議員に当選しています。朝鮮半島では、昭和20(1945)年に衆院選挙を始める予定でした。
以上のように、朝鮮半島では、本格的な【収奪性】も【強制性】も認められず、帝国主義支配を受けた植民地とは到底言えません。「韓国併合」という呼称からも読み取れるように、韓国が大日本帝国の一部となったわけで、これはイギリスがスコットランドを併合して大英帝国を作ったのと同じです。スコットランドをイギリスの植民地とは誰も言いません。
■6.イルカとサメを区別するのが本当の生物学
同じように海外に領土を広げたから、すぐに「植民地だ」「帝国主義だ」とレッテルを貼るのは、学問的ではありません。それをたしなめるように、明成では、次のような本質的な設問を設けています。
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【列強による植民地政策の比較】
イギリスのインド統治、オランダのインドネシア統治、日本の台湾・朝鮮統治などを比較して考えてみよう。[明成、p127]
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本質的な質問なので、イギリスのインド統治との比較もしておきましょう。
【収奪性】
・インド政庁は毎年、イギリス本国に対して莫大な経費を支払っていた。インドは「イギリス国王の王冠にはめ込まれた最大の宝石」と表現された。[Metcalf]
・イギリスの経済的搾取も一因となって、大飢饉が頻発。1854年から1901年の間でのインド国内の死亡数は、28,825,000人に上るという推計がある。[Chandra]
【強制性】
・東インド会社による収奪に怒ったインド兵とインド民衆による「インド大反乱」が1857年から2年半続いた。
これぞ帝国主義の「本家」の実績です。本家の帝国主義と、日本の台湾、朝鮮統治は似て非なるものです。両者は海外への領土拡張という外面では似ていますが、「収奪性」「強制性」という本質は全く異なっています。
本家をサメだとしたら、日本はイルカです。同じく海を泳いでいて、よく似た形をしているというだけで、同じ類いと決めつけるのは、素人判断です。専門の生物学者なら、体の構造、進化のプロセスをよく研究した上で、哺乳類と魚類との違いを見分けて欲しいものです。
■7.現代中国は帝国主義のデパート
東書は、帝国主義の形態としていろいろな形がある、という優れた記述をしています。ここでも収奪性、強制性という視点で見れば、形態は違っても、本質は同じ事が分かります。
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植民地化・従属化の形態は,帝国主義国が直接にある地域を植民地として領有する場合や,保護国・自治領などのかたちをとることが多かった。また,沿岸部の土地を租借して都市や軍事基地を建設したり,一定地域に対して鉄道敷設権などの利権を獲得する場合などがあった。[東書、p74]
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保護国の分かりやすい例は、併合前の李氏朝鮮でしょう。1894年には重税、汚職、生活苦に怒った農民たちの大規模な反乱(甲午農民戦争)がおき、李氏宮廷は自力で鎮圧できずに清国に派兵を要請しています。自国の農民の生活も支えられず、反乱が起こると外国政府に鎮圧を頼むというのですから、収奪性、強制性とも資格十分です。
金完燮(キム・ワンソプ)という韓国人青年は『親日派のための弁明』という著書の中で次のように言っています。[JOG(254)]
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私たちは国を奪われたのではなく、日本という、(李朝専制政治よりも)ましな統治者を受け入れたのである。これは明らかに進歩であり、朝鮮民衆の自然な選択だった。[金完燮、p63]
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収奪性、強制性から見れば、清国の保護国でいるよりも、日本の一部になる方が「自然な選択」だったというのです。現代の保護国の例は北朝鮮でしょう。同じく中国の支配下ながら、自国民に対する収奪性、強制性は李氏朝鮮を上回ります。
「自治領」とは現代中国のウイグルを考えれば良いでしょう。新疆「自治区」と呼びながら、百万人以上と呼ばれるウイグル民衆を強制収容所に入れ、強制労働につかせる。「租借・利権」の例も、一帯一路で途上国に対して膨大な貸し付けを行って港湾整備を行い、返済に困るとその港を租借して軍事港として使う、というパターンに見てとれます。
保護国、自治領、土地租借など外見は様々ですが、収奪性と強制性は共通しています。まさに現代中国は帝国主義のデパートです。
(文責 伊勢雅臣)
■おたより
■台湾の原住民は日本に感謝していた(こうじさん)
台湾の原住民は日本に感謝しています。
日本が統治する前は各部族同士の争いが絶えなかったが、日本人が来て山で暮らす原住民を平地におろし、日本語の学校に通わせた結果、各部族同士の共通言語ができ、部族間のトラブルは話し合うことができるようになったと、台湾の少数民族の方からお話を伺いました。
台湾に帝国大ができても台湾人の枠はたった1割(だったかな・・・)、日本人教師に「お前たちが大学に行くためには日本人の何倍も努力しなきゃダメだ!」と叩かれ叩かれ勉強したおかげで今の自分はある、とおっしゃってた台湾人のおじさんもいます。
戦後数十年経ってその先生に感謝しようと探し出して同級生と謝恩会にご招待されたそうで、「あの頃はお前たちを叩いて申し訳なかった」と先生。
「あの時叩いてくれたおかげで今の自分があるんです」とおじさん。
そのおじさんもちょび髭生やした警官は大嫌いで、ちょび髭は相当台湾人を虐めていたようです。
20年ほど前私が台湾に滞在していた時の見聞です。
■伊勢雅臣より
民族間の確執を統治に利用するのが英国流ですが、各民族、各部族の和を築くのが、日本流統治ですね。
■『『世界が称賛する 日本人が知らない日本2 ~ 和の国という根っこ』のご感想
■アニメは日本的な感性を広げる(早苗さん)
「和の国」。教えていただくほどに日本が愛しく、誇らしい気持ちになります。
日本が国際競争力を持っている分野として、敢えてもう一つ、アニメやマンガといったサブカルチャーを挙げたいと思います。料理や車に比べて、格調高さ、社会的地位といった価値は認めにくいですが、庶民のものである分、より広範な人々に届いています。決して押し付けではなく、市場のほうが喜んで求めているというのが目覚ましいところです。
可愛い、丁寧、敵には敵の論理があるというような複合的な考え方、挙げればきりがありませんが、玉石混交の作品群を通してそのような日本的な感性が広がるならば、それらの作品が歓迎されるところは何処でも、「和の国」になりうるのではないでしょうか。それは、貿易額などでは計れない日本の国力です。
近年は外国の方のほうが日本の文化や文学に詳しかったりしますね。私達日本人は、「元祖・和の国」の人として恥ずかしくない自分になりたいものです。
■伊勢雅臣より
マンガは浸透力という点では、他の日本文化とは比べものになりませんね。
「鬼滅の刃」などを見ていると、主人公の優しさに、日本人の生き方がよく表れています。
以前、欧州の数カ国回った時に、ポケモンのクリアファイルをお土産に配りましたが、知らない人はいませんでした。子供や孫へのよいプレゼントになると大人気でした。
■リンク■
・JOG(1028) 朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク
日本人官吏と朝鮮人官吏の和気藹々としたチームワークが朝鮮の高度成長を支えた。
http://blog.jog-net.jp/201710/article_1.html
・JOG(254) 「親日派のための弁明」を読む
私たちは国を奪われたのではなく、日本というましな統治者を受け入れたのである
http://blog.jog-net.jp/200208/article_1.html
・JOG 「台湾」に関する記事
http://blog.jog-net.jp/theme/0d57b8711f.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
・Metcalf、Barbara D. 他『ケンブリッジ版世界各国史_インドの歴史』河野肇訳、創土社、H18(Wikipedia、「イギリス領インド帝国」より再引)
・Chandra、Bipan『近代インドの歴史』粟屋利江訳、山川出版社、H13(Wikipedia、「イギリス領インド帝国」より再引)
・各社の歴史総合教科書は、検定済み見本本で、まだ市販されていません。
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