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No.1230 宮脇昭 ~ いのちを守る4千万本の植樹


 タブノキなど日本本来の常緑広葉樹で、津波、土砂崩れ、火災から国民を守る「いのちの森」ができる。

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■1.東日本大震災の津波に耐えたタブノキやシラカシの森

2011年3月11日の東日本大震災を、宮脇昭・横浜国立大学名誉教授は植樹指導をしていたインドネシアで知りました。帰国して3週間後に現地入りすると、海岸沿いの松林は根こそぎ倒されています。

 陸前高田では一本だけ残った「奇跡の一本松」が話題になりましたが、その最後の一本も枯れました。逆に言えば、7万本の松すべてが倒されたのです。しかも、仙台平野などでは、倒れた松が津波に乗って、残っていた建物を壊しました。松は本来、防風、防砂、防塩のために植えられたのですが、津波には全く無力でした。

 しかし、常緑広葉樹のタブノキ、シラカシなどが混ざった森は津波をくい止める役割を果たしていました。宮脇教授が植樹指導した宮城県のイオン多賀城店の森は津波に倒れることなく、多くの漂流物を捕捉していました。こういう森が防波堤として作られていれば、津波が引く際にも、樹木に抱きついて海に流されずに済みます。

 津波に対する強さの違いは、根の張り方の違いから来ています。松の根は浅く、水平方向に伸びる種類が多いのです。津波で横からの力を受けたら、ひとたまりもありません。それに対して、タブノキなどの常緑広葉樹は根が地下にまっすぐ3メートルから5メートルも伸びます。津波にも台風にもびくともしません。

 生態学者の宮脇昭教授は以前から、国内の防災には松や杉ではなく、タブノキなどの常緑広葉樹を植えるべき、と唱えて、植林活動を指導してきました。今までに国内および12カ国で指導して植えた木の数から「4千万本の男」とも呼ばれています。東日本大震災は、宮脇教授の理論が正しいことを証明しました。

宮脇昭、果てなき闘い 魂の森を行け新版 - 一志治夫
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■2.タブノキとの鮮烈な出会い

 宮脇教授とタブノキの出会いは、被爆後の広島市街でした。赤茶けたがれきの残る市街のあちこちで雑草こそ芽を出していましたが、樹木は原爆の熱や放射能で失われていました。

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 爆心地から一キロ半ほど離れた小さな社(やしろ)に、高さ一メートルほどの本が三本、枝葉を枯らして棒のようになって立っていた。三本ともタブノキ。近寄って足元を見ると、なんと根は生きていて、根元からは、タブノキ特有のピンク色の新芽が十本ほど出ていた。その感動は、八十年たった今も忘れない。・・・
 なぜタブノキだけが再生しているのか、不思議だった。私とタブノキとの鮮烈な出会いでもあった。[宮脇R01、p84]
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 宮脇教授はその後、ドイツに留学し、「潜在自然植生」という理論を学びます。人間の手が入らない、土地固有の植生がもっともその土地に適性を持っており、生命力も強い、という理論です。そして、宮脇教授は鎮守の森などに残っている樹木種の調査から、日本の土地本来の樹木はタブノキであることを発見したのです。[JOG(390)]


■3.急斜面を支える深い根

 深さ数メートルにおよぶ深い根は、傾斜地の土砂崩れも防ぎます。阪神淡路大震災では、六甲山の急斜面が崩壊してその下の住宅街を襲ったのでは、と当初、宮脇教授は心配していましたが、現地に行くと崩壊はほとんど起きていませんでした。カシやモチノキなど土地本来の常緑樹が多く植えられていて、しっかりと斜面を守っていたのです。

 伊豆大島にジェット機で来られるようにとの島民の願いで、東京都が滑走路を延ばそうとした時に、近くの山を削る必要が出て、自然保護団体が大反対をしました。都の幹部が宮脇教授に「何か良い方法はないか」と助けを求めてきました。

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いちばん良いのは(JOG注:緑を)残すことだ。しかし、延ばすことは必要である。だったら元に戻す。これが大事なところですが、(同:コンクリートなどの)死んだ材料では元に戻すのが精一杯。生きた緑の材料は、今の松枯れがあるところを、より土地本来の本物の森に再生することができます。

皆さんが本気でやるなら私も体を張って、潜在自然植生にもとづく本物の森づくりに協力し、反対派の皆さんにも対応しましょう。「できるか」と言うから、「あんたたちが本気でやればできる」と言いました。[宮脇R01, p354]
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 宮脇教授は都庁の担当課長や係長とともに、大島の鎮守の森のタブノキなどから種子を集め、それを小さなポット(植木鉢)に埋めて、39万本の苗木を作りました。滑走路のために削った山の斜面には溶岩が露出しています。その上に土をかぶせ、苗を植えていきます。

 大勢の都庁の人間が土日の夜の11時半に東京港を出港する汽船に乗り、翌朝5時半に着いて斜面に苗を植える。これを土日に交替で繰り返し、のべ1万5千人で30万本を植えました。

 その苗は1年半で1mに成長し、3年経ったら鬱蒼とした森となって、もう管理の手間は要りません。2013年には大きな台風が大島を襲って、あちこちで大規模な土砂崩れが起きましたが、タブノキを植えたところでは一本も倒れていませんでした。


■4.「タブノキ1本、消防車1台」

 タブノキなどの常緑広葉樹は津波や土砂崩れだけでなく、火災にも強いことは、歴史を通じて実証されています。冬でも葉が落ちず、その葉がたっぷり水分を含んでいる「火防木(ひぶせぎ)」です。逆に松はマツヤニが採れるように油分が多く、燃えやすいのです。松林でよく山火事が起こるのはそのためです。

 浜離宮、芝離宮には二五〇年前に植えられたタブノキの木立ちが、一五〇回あった江戸の火事にも、関東大震災にも、先の大戦時の焼夷弾の雨にも生き残っています。

 関東大震災では、板塀で囲まれていた本所陸軍被服廠跡に4万人の人が逃げ込んで、わずか一時間で3万8千人の人が焼死しましたが、そこから2キロの深川岩崎別邸、現在の清澄公園では2万人の人が逃げ込んでも死者は出ませんでした。幅13メートルのタブノキ、シイ、カシの森が火を防いだのです。

 関東大震災のあと、復興院総裁であった後藤新平が、復興計画の一部として、住民のいのちを守る森を提案していますが、財政上の理由で実現しませんでした。これが実現していたら、先の大戦でも空襲による焼死者も大きく減らせたでしょう。

 昭和51(1976)年、山形県酒田市で大火事があり、1700戸もの家が焼けましたが、本間家という古い屋敷にたまたまタブノキが二本あり、そこで大火が止まっていました。宮脇教授の調査結果を踏まえて、酒田市長は「タブノキ1本、消防車1台」というかけ声で、街のモール街、小学校の周り、下水処理場に木を植えました。

 阪神淡路・大震災でも、多くの神社ではコンクリートの鳥居が傾き、建物は潰れていましたが、鎮守の森にあるシイノキやカシノキなどは一本も倒れておらず、また葉は焼けていても、木は死んでいませんでした。特にタブノキは火事のときに水を噴くとさえ言われ、長時間火に耐える力を持っているのです。


■5.「ママがあなたと同じ頃に植えた木がこうなった」

 大都会にはいまさら森を作るスペースなどない、と思うかも知れませんが、都市の防災に関して、宮脇教授はこう勧めます。

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都内各地に、できるところから、小さな、一時的な逃げ場として、火防木のタブノキなどの常緑広葉樹でまわりを囲んだポケット公園を造りましょう。森の小公園です。
公園といえば芝生を思いうかべるかもしれないけれども、芝生はヨーロッパ各地などのように家畜の過放牧によってできた荒野景観です。道沿いにも、常緑の緑の帯を造る。その立体的な緑の帯を通って逃げられるように。[宮脇H30, p24]
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 豊島区の高野区長は宮脇教授の講演を聞いて、「これはいい」とさっそく区長室に来て貰いました。しかし、「植えるところがない」と言います。たしかに区長室に張られている大きな都の航空写真を見ると、豊島区には大きな緑もないセメント砂漠です。しかし、宮脇教授はこう答えました。

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 高野区長、植えられるところで植えるのはだれでもできます。植えるところがないところで植えれば、みなが注目しますよ。また、そのプロセスと成果は世界中の大都市の行政や市民に、大東京、セメント砂漠の豊島区でもできるということがわかれば、すごいじゃないですか。[宮脇H30, p32]
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 このあたりが、宮脇教授らしい突進力です。まず区内の31校の小中学校から始めようと、幹部を集めて講演しましたが、校長も教育長も反対でした。「落ち葉を落とす」「日陰になる」などと反対理由を挙げます。宮脇教授はそのたびに、今までの実績を映像で示しながら、合計10回ほども説明しました。

 なんとか31の小中学校での植樹祭をやりました。生徒の総数は9600人、一人一本で合計1万本を植えました。生徒たちは夢中で植えます。それが見事に育ち始めると、次の年は下水道処理場などの公共施設、さらにその次の年は公園と広げていきました。あまり水はやらなくとも育つのですが、子供たちは休みのたびにじょうろで水をやっています。

 小学校の時に植えた木を、中学校に進んでから見に来ると、「私の植えた木がこんなになっている」。そして、大人になって結婚し、子供を連れて里帰りした時に、「ママがあなたと同じ頃に植えた木がこうなった」と言える。

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 これがまさにいのちの教育でしょう。ふるさと愛というのは、こういうところから出てくるわけです。現場から、体を通して理解させるべきです。[宮脇R01,p323]
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■6.「緑の防潮堤」

 宮脇教授は、東日本大震災の被災地を訪れ、すさまじい量のがれきを見たとき、こう考えました。

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 がれきは廃棄物として見ればそれだけだが、そこで生活してきた人の生きた証でもある。がれきから有毒なものや、分解しにくいビニールなどを除いて、土と混ぜれば、根が張るのに好都合な、通気性のよいマウンド(植樹地)になる。硬く締まった上では根が入らず、成長に必要な酸素も不足する。
 コンクリートのがれきは、人の頭ぐらいの大きさに砕けば、根がつかむように絡んで土地が安定する。このマウンドをまず、岩手から福島、茨城までの海岸沿いに、できるところから、三〇〇キロにわたり、高さ10~15メートル、幅100メートルの規模で築く。[宮脇R01,p207]
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 このマウンドの上に、タブノキ、シイ、カシ類の土地本来の樹木を植える。これらは高木層を形成しますが、さらに亜高木層のヤブツバキ、モチノキ、ヤマモモ、低木のヤツデ、ヒサカキなどを混ぜて植える。こういう多様性に満ちた「本物の森」こそ、どんな自然の脅威にも耐えて何千年も続きます。

 しかし、関係省庁からは、がれきを土中に埋めてはならないという「廃棄物処理法」がある、などと横やりが入り、なかなか進みません。「先例がない」とも言われました。宮脇教授は、横浜の山下公園が関東大震災のがれきで作られたこと、ドイツのミュンヘンやベルリンでは第二次大戦のがれきを埋めて、森の公園を作った前例を説明しました。

 なにより、がれきは震災で破壊された家や家具など、亡くなった人々の思いが籠もったものです。その土地に埋めることに意義がある、宮脇教授はそういう思いを抱いて、陳情して回りました。

 やがて、この「緑の防潮堤」の理解者が増えていきました。岩手県大槌町では、高さ14~15メートルのコンクリートの堤防がありましたが、すべて津波に破壊されていました。そこで町長の決断と横浜ゴムの出資によって、750平方メートルの敷地にがれき4トンを埋め、タブノキなど3千本の植樹を行いました。

 岩沼市は震災で市の半分が津波で冠水しましたが、復興計画にがれきを使って盛り土をした高さ10~20メートルの丘を沿岸部に築き、シイ、タブノキ、カシ類などを主木とし、さらに桜なども植えて展望台としても活用する、という「千年希望の丘」構想を立てました。すでに市の沿岸約10キロにわたって6つの公園が整備され、丘と丘を緑の堤防で結んでいます。

 一般社団法人「森の防潮堤協会」の令和元年度の活動報告書によれば、同様の計画が各地で進められており、これまでの植樹本数は32万本強と報告されています。宮脇教授の「岩手から茨城まで300キロ」という目標にはまだまだほど遠いですが、各地で少しずつでも森の防潮堤ができれば、それだけ安全な場所が増えます。


■7.「自ら額に汗し手を大地に接して、小さな苗を植えていく」

 森脇昭教授は、本年7月16日、永眠されました。享年93歳でした。平成24(2012)年、84歳の時に教授は天皇皇后両陛下に「常緑広葉樹の植樹による海岸防災の森づくり」についてご説明し、こう結びました。

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 日本人一人ひとりが、自分の愛する家族の、日本の国民のいのちを守るため、そして本物の緑豊かな国土を守るために、自ら額に汗し手を大地に接して、小さな苗を植えていく、その成果とノウハウを日本から世界に発信していきたいと願っています。[宮脇H25, p33]
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 説明が終わると、陛下は宮脇教授の目をじっと見つめ、「よろしくお願いします」と言われました。そのお言葉に宮脇教授は「日本の明るい未来と平和な世を願う陛下の切なる祈りをひしひしと感じた」そうです。

 国内外で2700カ所、4千万本以上の木を植えてきた宮脇教授は、両陛下への誓いをすでに十二分に果たしている、と言って良いでしょう。後に続く我々が、宮脇教授の遺した「成果とノウハウ」を継承発展させていくこと、それが宮脇教授にとっての何よりの手向(たむ)けになります。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■宮脇さんにお会いし、心を動かされた(ひとしさん)

宮脇さんには何度もお会いしました

宮脇さんに会ったときの、私の印象は
真面目で、誠実で、行動力がある人

木を植えることに命をかけている
強い信念が伝わってくる

木を植えることで日本を救う
そのことに自らの命を捧げる行者を目の前で見ている

そんな感じがしました

素晴らしい生き方だなぁ
こういう生き方ができたらステキだな

そう思い
心を動かされた記憶があります

週末に原生林がある森に行って
どんぐりをバケツいっぱい拾ってきて苗にしたことがあります

その人の生き様に惚れて
そんなことまでしちゃったわけです(笑)


■自然と共生しながら悠久の歴史を築いてきた日本人の心(元子さん)

宮脇先生のことは25年(?)ほど前にNHKラジオで「森を守る」というテーマだったと思いますが、偶々聴いたときに感動しまして、お名前を記憶しておりました。東日本大震災の3年後頃だったと思いますが、都内で行われた先生のご講演を拝聴する機会を得まして、その時にも変わらぬ熱いお心でお話しされていたのを思い出しました。

自然と共生しながら悠久の歴史を築いてきた日本人が、その心を忘れずに様々な場面で長期的な展望を以て考えていったら、今あるいはこれから自分のなすべきことがみえてくるように思います。


■山林を持つものとして(勝美さん)

多少の山林をもっておりますが、100%が針葉樹です。戦後の政府の政策で頂上近くまで植林をしました。おじいさん、お父さんの時代ですが大変な苦労だったと今更にように考え深いものがあります。

世界一やすかった日本の木が外材が入って来ないために高騰しておりますが、需要は山には帰ってきません。大手のハウスメーカ-、木材を勉強していない一級建築士事務所がそうしたのだと、僕は考えています。

宮脇先生の業績は素晴らしい、信念をもって推し進める力の源は何なのかと考える。世の為、人の為にと考え清貧を貫きとおされたのではないかと考えます。遅まきながら私も山林を持つものとして、ダムとしての山林、炭酸ガスを吸い、酸素を出す山作りを目指します。


■住宅街に森を見つけると、大概そこは神社(安紀子さん)

わたしはふらりと出掛けた先の神社へ行くのが好きです。今ではあまり手書きの町内看板が少なくなりましたが、あえてiPhoneで地図検索をするのではなく、手書きの看板で神社の場所をざっと確認し、あとは上を見ながら歩きます。

 住宅街の中でも一部分だけ、遠くからでも分かるような鬱蒼とした森を見つけると、大概そこは神社です。ぐるりと囲まれた木々の中に鳥居を見つけた時にはホッと心が安らぎます。そして必ずそこには御神木と呼ばれる大木が存在しています。

 木に神が宿る…日本人だからこその八百万の神、なんですね。

 自然と共に歩んで来た日本人の根幹は、意識しなくとも身近な生活の中に根ざしているのですね。

 過去、東京をヒートアイランドから守るべく、ビルの屋上を緑化する、と言う提案を聞いた事がありましたが、今では東京湾からの風を遮るかのように埋立地にマンションが乱立しています。都市構想の中に必ず森の発想が対になっていれば、同時に防災計画も兼ねる事が出来るのではないかと思います。

 宮脇教授がお亡くなりになられたのは本当に残念です。でもその遺志は多くの方に繋がれていると思いたいです。


■伊勢雅臣より

 宮脇昭さんお生き方に感動したとの多くのお便りをいただきました。木に神の命が宿るという日本的な感性から、日本のために木を植えようとする強い志。一人の志の炎が、周囲の人に燃え移っていく光景が目に見えます。

■リンク■

・JOG(390)「鎮守の森」を世界へ
 鎮守の森から学んだ最新生態学理論で宮脇昭は 国内外のふるさとの森づくりを進めている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog390.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・一志治夫『宮脇昭、果てなき闘い』★★★、集英社インターナショナル、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4797672390/japanontheg01-22/

・一般社団法人「森の防潮堤協会」
http://morinobouchoutei.com/

・宮脇昭R01『いのちの森づくり 宮脇昭自伝』★★★、藤原書店、R01
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4865782303/japanontheg01-22/

・宮脇昭H30『東京に「いのちの森」を!』★★★、藤原書店、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4865781935/japanontheg01-22/

・宮脇昭H25『瓦礫を活かす森の防波堤』★★★、学研パブリッシング、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4054056113/japanontheg01-22/

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この記事へのコメント

吉田俊樹
2021年08月22日 18:44
伊勢先生、いつも素晴らしいお話ありがとうございます。本日の宮脇先生のお話は、日本にこんな立派な方がおられたのかと感動しました。震災前に気仙沼に行ったことはありましたが、その後その地域に行く機会もなくまたさしたる関心もなかったので復興の話も伝聞程度でしか知りませんでした。しかし行ってみたくなりました。地域の人々が受けたご苦労と再生を目の当たりにしないといけないなと思ってます。