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No.1227 佐久間象山 ~「開国攘夷」の構想者


「攘夷」とは欧米諸国の植民地主義から日本の独立を守ること。そのためにこそ「開国」が必要と喝破した先駆者。

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第 66 回 全国学生青年合宿教室 ~祖国・学問・人生を語ろう~
開 催 日:令和3年8 月 28 日(土)・29 日(日) (2日連続の日帰り研修)
場  所:国立オリンピック記念青少年総合センター(渋谷区代々木)
参加費用:学生 3,000 円、社会人 10,000 円
主な講義
・評論家★江崎 道朗氏★
「DIME―外交、インテリジェンス、軍事、経済―から国際情勢をいかに読み解くか」
・本誌編集長★伊勢雅臣氏★
「国史を貫く『大御宝』の理想」

詳細・申込み: http://www.kokubunken.or.jp/camp/66/
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■1.「アスリートとして誇りに思った最高の瞬間」

 オリンピックでの日本選手の大活躍で、毎朝の新聞では一面ぶち抜きの大見出しが踊っています。柔道では阿部一二三・詩(うた)兄妹の同日金、新種目スケートボードでの男女で金の揃い踏み、卓球での混合ダブルス水谷隼・伊藤美誠チームの日本勢初の金、女子ソフトボールでは宿敵米国を破って13年越しの二連覇、等々。

 スケートボード男子金メダリスト・堀米雄斗選手については、次のように報道されています。

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世界選手権で優勝後に流れた国歌を聴いて、「いつも自分のために滑っていたけど、(国歌が流れた時)日本を背負う気持ちを感じました」。・・・
高難度の「ノーリー・バックサイド270ノーズスライド」のように新しいトリックを次々と大会で成功させてきた堀米も、最初はインターネットやSNSでアップされる憧れのスケーターの動画を見ながら、まねるところから始まった。[日刊スポーツ]
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 卓球の水谷隼選手はこう語っています。

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 今までメダルをたくさん取ってきたが銀メダルや銅メダルで、日の丸をてっぺんに揚げることができなくて、きょう日本の国旗が一番上に揚がり、君が代を聞いているときはアスリートとして誇りに思った最高の瞬間でした。[産経]
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 また、勝因については、こう分析されています。

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世界中で許キン(JOG注: 中国チーム男子)しか打てないドライブ。長い腕と可動域の広いペンホルダーのグリップで回転をかけ、下から曲がって伸びてくる。ダミー(JOG注:模擬的な練習相手)を作れない特異な選手なので、伊藤は左の練習相手にドライブだけ似たボールを打ってもらって練習しながら、対戦するごとに手応えを感じていた。[時事ドットコムニュース]
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 決勝では、許キンの球を伊藤が受けるパターンの第3、第5ゲームを奪いました。伊藤の何としても許キンのドライブを打とうという工夫が実を結んだのです。


■2.「日本を背負う気持ち」から生まれる「勝つための工夫」

 堀米選手と水谷・伊藤チームには共通点があります。「日本を背負う気持ち」と「勝つための工夫」です。

 弊誌1089号では、自虐教育が強く「国のために戦う」ことが忌避されていた1988年ソウルから2000年シドニーまではメダル数合計が平均17個と極端な低迷が続き、その後、教育の正常化が進んだ2004年アテネ以降は平均35個と倍増している事実を紹介しました。

 今回のオリンピックでも選手たちが「日本を背負う気持ち」「日本の国旗が一番上に揚がり」などと普通にコメントするようになり、国のために戦う気持ちとメダルラッシュは深く繋がっているように思えます。

 人間には利己心と利他心の両方がありますが、利己心だけで戦っていると、「オリンピックまで出られたから、もういいや」などと自己満足で妥協しがちです。しかし、利他心なら、声援してくれる国民やお世話になった人々に応えるために何としても金メダルを、ともうひと踏ん張りできます。そこからいろいろな工夫が生み出されてきて、金メダルにつながっていくと考えられるのです。


■3.開国後40年足らずで科学技術の世界最先端に躍り出た日本

 共同体を思う利他心が様々な工夫・進歩をもたらす、というパターンは、明治日本の近代化の原動力でもありました。

 たとえば北里柴三郎は、明治18(1885)年からドイツに留学。日本は開国してまだ日が浅く、欧米諸国と肩を並べるために「世界的な学者になるつもりで勉強している」との決意の下で研究を続けました。明治25(1892)年に帰国してからは、ペストや赤痢の病原菌の発見という世界的な業績を上げています。

 豊田佐吉は織機を動力で動かせれば、「これほどお国のためになるものはない」と考え、大変な苦労の後、明治29(1896)年に自動織機を開発しました。一挙に作業者一人で50台持ちを可能にするという世界最高性能を達成し、イギリスの会社が特許使用の許可を求めてきたほどです。

 嘉永7(1854)年の開国から40年足らずで日本は世界の研究開発の最前線に躍り出たのです。これほど速やかに非西洋の国が近代西洋の科学技術を消化吸収し、さらに独自の発明発見を成し遂げた例は他にはないでしょう。

 この科学技術の消化・吸収・発展の型を作り、示したのが、幕末の佐久間象山でした。(象山の読み方は「しょうざん」「ぞうざん」の二説があります)

佐久間象山.jpg


■4.アヘン戦争の衝撃

 1842年、アヘン戦争で清国が英国に敗北した時、魏源という清国人が『開国図志』と題した西洋の事情や武器に関する書籍を出版しました。そこに述べられた「夷の長技を師として夷を制する」(西洋の得意とする技術を学んで、西洋を制する)という考え方は、中華思想に染まっていた清国では画期的な主張でしたが、あまり評価されませんでした。

 しかし、この本は日本に持ち込まれると多大な反響を呼び、ただちに23種類もの再版が刊行されました。明成社の「歴史総合」教科書は、『開国図志』をこう紹介しています。

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 佐久間象山や横井小楠、吉田松陰、橋本左内らによって読まれた。アヘン戦争を通じて、ペリー来航以前から、日本の知識人たちのあいだで、欧米諸国への危機感が共有されるようになったのである。[明成、p35]
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 冒頭に佐久間象山の名前が挙がっていますが、象山の危機感は『開国図志』が書かれたのとほぼ同時期、アヘン戦争の直後に始まっていました。主君の松代藩主・真田幸貫(さなだ・ゆきつら)が幕府の海防掛となり、象山はその顧問として「海防八策」を上程しています。

 象山は「アヘン戦争に勝利したイギリスの次の目標は日本」と考え、大砲と軍艦による軍備充実、殖産興業、人材育成を提案したのです。従来の鎖国を続けたままの「攘夷」では欧米諸国の侵略は防げない、開国し富国強兵を図って攘夷、すなわち独立維持を図ろうと主張しました。従来の「鎖国攘夷」に対して、「開国攘夷」と言えましょう。


■5.書物で学んだ所を自分でもやってみて、原理原則の深さまで理解する

 時に象山は34歳。すでに朱子学者として江戸で塾を開くほどの名をなしていましたが、江川太郎左衛門の西洋砲術の実演を見て驚嘆し、ただちに江川塾に入門します。その決断力、行動力は人並み外れたものでした。しかし、江川塾では砲術を秘伝扱いにしてすぐには教えてくれないため、江川と同門の下曽根金三郎の塾で砲術を学びます。

 同時に、オランダ語の勉強も始めます。塾で見せられたオランダ語の砲術書には詳細な図面があり、自分でオランダ語を読めなければ、と思ったのでしょう。睡眠時間を極端に減らし、通常1年かかる教程を2ヶ月で済ませる、という集中力を発揮して、やがて辞書さえあれば、たいていのオランダ語の本は読めるようになりました。

 そこで藩から40両(数百万円)の大金を出して貰って、ショメールの「百科全書」16巻を入手しました。象山は、この全書からガラス製品の作り方を学び、自分で作ってみました。ガラス製造は日本では誰も成功したことはありませんでしたが、見事成功し、輸入商人も舶来品に見まがうものができました。

 続いて、象山は大砲、小銃、火薬の製造、写真機、電信機、地震計の製作、はては養豚から、馬鈴薯、薬草の栽培、葡萄酒の醸造まで取り組みました。後に明治政府が国家政策として進めた富国強兵、殖産興業の原型を個人で始めたのです。象山のアプローチは、書物で学んだ所を片っ端から自分でもやってみて、原理原則まで理解する、というものでした。

 象山は「夷の術を以て夷を制す」と、魏源の「夷の長技を師として夷を制する」とよく似た言葉を使っていますが、根本的に違うところが一つありました。象山はすべて自ら実験してみたのに対し、魏源は言うだけで、自ら実行しようとはしませんでした。書斎人ばかりを重んじて、技術者・技能者を軽侮する中国の伝統でしょう。

 象山は、その問題意識においては魏源を「真に海外の同志」と呼びながらも、『開国図志』の中の鉄砲の記述については、お粗末で子供の遊びのようだ、と酷評しています。そして、ことはすべて自ら経験して作っていかなくては、その要領はつかむことはできない、と指摘しています。


■6.「為して間に合うときに為さないと」

 真の技術は実践して始めて自分のものとなる、という考え方から、象山は人材育成を重視しました。そしてその最も効果的な方法は、人材を西洋に送り込んで、現地で技術を身につけさせることだと考えたのです。象山は幕府にも人材の海外派遣を提案しましたが、入れられませんでした。

 しかし弟子の吉田松陰は、この考えに共鳴して、自らペリーの黒船に乗せて貰って、アメリカに渡ろうとしました。この勇気ある企ては、弊誌38号[JOG(038)]で述べたように、失敗に終わり、松陰を教唆した象山も罪を問われます。

 松陰は師に迷惑をかけまいと、取り調べでは「自分だけの考えで企てた」と言い張りましたが、象山は自分が海外渡航を勧めた、として、幕府が自ら「開国」を決めた今日、松陰が国のためを思って渡航しようとしたことは、罪とは言えないのではないか、と強く反論しています。幕府高官の中には象山の技量見識を惜しむ向きもあり、両者とも国許で蟄居、と比較的軽い罪で済みました。

 象山も松陰も、国のためにやるべき事をやったのだから、罪に問われようと、一向に後悔しませんでした。象山はこう記しています。

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 むかしから、忠義の心をいだきながら罪をうけたものは数しれない。だから、わた<しは忠義の行いによって罪を得ても、恨むつもりはない。ただ、為して間に合うときに為さないと国家の病弊は、救いがたい状態に至るだろう。そのことこそが、わたしは悲しい。[松本(上)、p52]
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 象山を駆り立てていたのは、何としても日本を植民地転落の危機から救いたいという思いだったのです。

 万延元(1860)年9月、高杉晋作が象山を訪います。高杉の師・松陰は前年に刑死しており、その最期の手紙を持ってきたのです。手紙には弟子の高杉晋作に「教えを垂れ」て欲しい、との依頼が書いてありました。高杉から松陰の最期の様子を聞いた象山は涙を流します。その後、二人は夜を徹して議論しました。

 象山は持論の「開国攘夷」の戦略を懇々と説いたことでしょう。松陰のもう一人の高弟、久坂玄瑞も高杉から話を聞き、彼自身、象山を訪ねてその説を拝聴しています。その上で「開国攘夷」の線で長州藩をまとめた模様で、長州藩主から象山招聘(しょうへい)の命を受けています。


■7.象山のプランは明治日本によってほとんど実現できた

 文久2(1862)年末、象山は松本での蟄居を赦免となり、翌々年、幕府の命にて京に上りました。後に最後の将軍となる一橋慶喜にも拝謁して、時務を論じています。この頃から、孝明天皇の御名で朝廷の方針を開国開港に切り替える事を全国に宣言する勅諭の草案を練り出しました。しかし、これが「鎖国攘夷」派の怒りを買い、象山は暗殺されてしまいます。

 象山は開国攘夷、富国強兵、殖産興業、欧米への留学生派遣、欧米人教師の招聘などを提唱していました。

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 確かに彼のプランは彼の手によっては実現できなかった。しかし明治の日本ではほとんど実現できた。[源、p106]
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 特に、人材育成の面で、明治政府は多くの外国人教師を招聘し、同時に多くの青年を留学生として送り出しました。象山と松陰が命がけで行った渡航の試みが、国家政策として本格的に行われたのです。明治日本の急速な西洋技術の消化吸収発展にはこれが大きな効果を発揮しました。

 もう一つ明治政府によって実現したのは、象山の唱えた「東洋道徳、西洋芸術」です。ここでの芸術とは科学技術のことで、西洋の科学技術には倫理道徳が含まれていません。そのために植民地主義に走り、なかんづくアヘン戦争のような麻薬マフィアまがいの悪行まで行ったのです。

 象山の慧眼はこの「西洋芸術」の欠陥を見抜き、それは東洋の道徳で補わなければならないと考えました。この「東洋道徳」は、『教育勅語』によって具体化されたと言って良いでしょう。西洋の科学技術に、教育勅語の人倫道徳が組み合わされて、明治日本の知的・道徳的エネルギーが生み出されました。

 佐久間象山こそは明治日本の開国攘夷、富国強兵、殖産興業という軍事・経済戦略の設計者でした。一方、横井小楠は大政奉還と中央政府の樹立、四民平等、五箇条の御誓文で「万機公論に決すべし」と定めた議会制民主主義、外国との信義ある外交と交易、という明治日本の政治・外交の構想を描きました。[JOG(1120)]

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 幕末の志士たちのほとんどは、象山か横井小楠のどちらか(もしくはその双方)の門人だった。[松本(下)、p244]
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 明治日本の世界史に残る大躍進は、この二人が構想し、二人の門人たちがそれを具現化しようと苦闘努力した成果でした。これら先人たちの原動力が「お国のために」という利他心だったのです。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・JOG(1089 日本人の「根っこ」の伸ばし方
 他者をリスペクトすることから、自己肯定感が育ち、自分を支えてくれる「根っこ」が伸びる。
http://blog.jog-net.jp/201811/article_10.html

・JOG(038) 欧米から見た日本の開国-吉田松陰
 ペリーの船に乗り込んで海外渡航を目指した吉田松陰の事件は、スティーヴンソンをして「英雄的な一国民」と感嘆させた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_1/jog038.html

・JOG(1120) 横井小楠 ~ 「大義を四海に布かんのみ」
 富国も強兵も手段であって、その究極の目的は「大義を四海に布かんのみ」と小楠は喝破した。
http://blog.jog-net.jp/201906/article_5.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・産経新聞、0728「卓球の金メダル お家芸の復活を喜びたい」
https://www.sankei.com/article/20210728-OYIQKHY7IJLX7E466QGI34YPFE/?outputType=theme_tokyo2020

・時事ドットコムニュース、0728「伊藤が語った通りの中国攻略 混合複金メダル」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021072700225&g=spo

・田口佳史『佐久間象山に学ぶ大転換期の生き方』★★★、致知出版社、R2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4800912245/japanontheg01-22/

・奈良本 辰也/左方 郁子『人と思想 48 佐久間象山』★★、清水書院、H26
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4389420488/japanontheg01-22/

・日刊スポーツ、0725「スケボー堀米雄斗、金メダル獲得『取りたい』公言実行『本当にうれしい』
https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/skateboarding/news/202107250000277.html

・松本健一『評伝 佐久間象山〈上・下〉』★★★、中公叢書、H12
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4120030547/japanontheg01-22/

・源了圓『佐久間象山』★★★、PHP研究所、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569527353/japanontheg01-22/

・明成社『私たちの歴史総合』令和3年文部科学省検定済み(まだ見本公開段階で、市販はされていません)

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