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No.1207 覇権主義超大国から世界を護る ~ 日露戦争に学ぶ国内結束、国際連帯


 日本は自由独立の価値を掲げて、多くの国、民族、勢力の共感と協力を得た。

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■1.覇権主義国家に対抗する正攻法

 アメリカのブリンケン国務長官は3月3日の演説で、中国を「21世紀最大の地政学的な試練」と名指しして、香港やウイグルのように人権や民主主義が踏みにじられた時には、これらアメリカの「価値」を護るために立ち上がらなければならない、と主張しました。そして、そのためには同盟国や協力国との連携が必要だとしています。[Blinken]

 バイデン政権としてこの方針にどれだけ本腰を入れるかは、まだ分かりませんが、最近の米軍の動きを見れば、かなり本気のようです。2月4日には米ミサイル駆逐艦が台湾海峡を通過し、米海軍は「自由で開かれてインド太平洋」への米国の関与を示すものだ、と声明を発表しました。

 英国は2月12日、最新鋭空母「クイーン・エリザベス」を太平洋に派遣すると発表しました。フランスは5月の日米合同軍事訓練に参加する予定と公表しています。ドイツもインド太平洋に独軍の艦船を派遣する方針を表明しています。

 日米豪印の「クアッド」に英仏独も加わって、自由民主主義の主要国が対中抑止に立ち上がりつつあります。こうした共通の価値観に基づく国際連帯こそが、強大な覇権主義国を抑止する正攻法です。

 強大な覇権主義国家を打倒した成功例としては、ソ連に対する第一次冷戦と、ロシア帝国に対する日露戦争があります。日露戦争はロシアの極東侵略に対して我が国が最前線で立ち上がった事例で、この点で今回の対中抑止と状況が似ています。

 明治日本が、何倍も強大なロシア帝国の侵略にどう立ち向かって、抑止に成功したのか、今週末の国際派日本人養成講座Liveでは、これをテーマとしていますが、本編でその一部をご紹介します。

 結論から言えば、日本の勝因は国内の一致結束、および諸外国との連帯でした。一方のロシアの敗因は、政府内の足の引っ張り合い、国内の不和と革命騒ぎ、周辺属国での独立運動、英米の妨害干渉など、国内外での多くの不和対立でした。それらに阻害されて、ロシアは実力を十分に発揮できないまま、判定負けを喫したのです。

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■■国際派日本人養成講座 LIVE 『皇室が紡いだ救国の歴史』

■■第2講 明治天皇の祈り 編
 開催日時 3/21(日)AM 10:00~11:30
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■一台の端末なら複数人でも同時に視聴できます。ご家族、友人の皆様とご一緒に受講ください。

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■2.「若(も)しやこれが失敗したなら、何とも申訳がない」

 ロシアが極東に触手を伸ばした様子は、以下の簡単な記述でも明かです。

・1895(明治28)年、日清戦争の結果、日本に割譲された遼東半島を、仏独と組んだ三国干渉で返還させ、その後、ロシアが租借・要塞化。
・1896年(明治29)年、内乱を恐れた韓国皇帝・高宗を、ソウルのロシア公使館に収容。以後、そこで執務させた。
・1900(明治33)年7月、義和団の乱に乗じて、アムール川(黒竜江)沿岸の江東六十四屯(現在のブラゴヴェシチェンスク)を占領し、同地の清国人約2万5千人を虐殺。
・同年10月、ロシア軍は全満州を占領し、その後も撤兵協約を無視して居座る。
・1903(明治36)年5月、韓国と満洲の国境をなす鴨緑江が黄海に注ぐ河口地帯・龍岩浦を軍事基地化しようとした。

 ロシアがついに朝鮮半島にまで触手を伸ばしてきたことで、日本は直接対露交渉に入りましたが、5ヶ月も進展なく、その間ロシアは軍への動員令、満洲での戒厳令など、着々と戦争準備を進めるのみでした。明治政府は1904(明治37)年2月4日、対ロシア断交と開戦を決定します。

 ロシアは世界最大の陸軍、世界第2位の海軍を持っていました。歩兵数では日本の13万に対して、ロシアは66万と5倍。戦艦では日本の26万トンに対して、51万トンと2.2倍です。元老の伊藤博文はこう語っています。

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 この戦を決める前に、私は段々陸海軍の当局者に聴いて見ても、確信のある者はなかった、しかし打捨てて置けば、ロシアはどしどし、満洲を占領し、朝鮮に侵入し、遂には我が国家までも脅迫するに至る、事ここに至れば、国を賭しても戦うの一途あるのみである、成功・不成功などは眼中にない。([渡辺])
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 まさに座して死を待つか、かすかな可能性に掛けて決起するかの瀬戸際だったのです。開戦を決定した御前会議の後、明治天皇は皇后に「いよいよ、ロシアと国交を断絶することに決定した、朕の志でないが、已むを得ない」と言われ、2、3分の沈黙の後に、うつむかれたままで、「若(も)しやこれが失敗したなら、何とも申訳がない」とつぶやかれたとのことです。

「申し訳ない」とは、日本の民の幸せを代々祈られてきた歴代の天皇方に対して、でしょう。もし敗れれば、建国以来初めて属国に転落する運命が待っていたのです。


■3.旅順攻囲戦、日本海海戦をもたらした和の力

 戦闘の大きな山場の一つは旅順要塞の攻囲戦でした。1904(明治37)年8月から、翌年元日まで続き、両軍合わせて10万人以上の死傷者を出しました。

 ロシア側は6年もかけて近代的な大要塞を築いており、厚さ1~2メートルのコンクリート壁に囲まれた大小の堡塁と砲台をびっしりと並べていました。乃木希典司令官率いる第三軍は当初多大な損害を受けましたが、急遽取り寄せた28センチ砲で分厚いコンクリート壁を打破し、さらに旅順艦隊が逃げ込んだ旅順港を見渡せる203高地に攻撃目標を変更して、攻略に成功しました。

 バルチック艦隊が極東に着くまでに、旅順艦隊を撃滅しなければならない、という海軍側の要求に、膨大な犠牲を払っても陸軍が応じるという見事な連係プレーでした[JOG(783)]。

 バルチック艦隊はバルト海を出発し、アフリカの喜望峰を回り、インド洋を横断して、7ヶ月もかけて対馬沖に現れたのでした。しかし、その間、日本の同盟国イギリスは、途中の多くの寄港地で徹底的な妨害をしました。たとえば、ロシアの同盟国フランスが支配するベトナムのカムラン湾でも、こんな事があったと、バルチック艦隊の一員は書いています。

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(ベトナムの)カムラン湾でも(イギリスの圧力は)同様であった。入港時には(宗主国フランスの)巡洋艦デカルトに乗艦したキエルツ少将が訪れ歓迎の意を表した。しかし、6日後に再びキエルツ少将が訪れ、24時間以内に領海外に出るよう要求した。そして、それから後続の艦隊が到着するまで、20日も泊地を転々とし、日本艦隊の襲撃を警戒しながら洋上をさまよわねばならなかった。
このようなことからわれわれ兵員たちは、だんだんロシアの専制政治に対する信頼を失い、何よりも大切な将兵の戦意を消耗してしまった。[JOG(328)]
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 フランスが態度を一変したのは、イギリスの外交圧力があったからでしょう。ロシア艦隊に便宜を図ることは、中立義務違反である、と強硬に警告したものと思われます。7つの海を支配する英国から、こういう妨害をさんざん受けて、バルチック艦隊は7ヶ月後に対馬沖に現れた際には、将兵の戦意も消耗していたのです。


■4.和の力がもたらした日本海海戦の「完全な大勝利」

 旅順艦隊の全滅とイギリスの妨害工作でお膳立てが整った日本海海戦では「歴史上、未だかつて、このような完全な大勝利を見たことがない」とイギリスの戦史家が驚嘆する戦果を上げることができました。しかし、勝因として日本海軍全体の一致結束も見逃せません。

 主力砲の数ではロシアの33門に対し日本は17門と半分程度でしたが、兵員の猛訓練によって、同じ時間でも3倍の砲弾を撃ち込める射撃速度と、3倍の命中率を得た結果、1門あたり9倍の能力を持っていました。砲数は半分でも、破壊力は4.5倍です。

 また、ロシアの砲弾は装甲部を貫いて一定の深さまで達しないと爆発しませんでしたが、日本の砲弾は、榴弾型で敵艦に当たりさえすれば、弾殻が3000以上の破片となって飛び散らせるもので、ひとたび炸裂するや甲板や舷側は、蜂の巣のようになりました。

 しかも海軍技師・下瀬雅允によって発明された下瀬火薬を使っており、爆発するとに気化したガスが3千度にも達し、装甲に塗ったペンキが引火して火事を起こすというものでした。艦船は沈まなくとも、人員や艦砲にダメージを与えて戦闘能力を奪う、というものです。[JOG(236)]

 日本海海戦はT字戦法が有名ですが、その戦術のみならず、こうした兵員の鍛錬、技術陣の工夫、それらをまとめ上げた東郷平八郎提督の人格という一致結束がもたらした成果でした。


■5.英米での戦費の調達と親日世論醸成

 奮戦していたのは、軍人だけではありません。膨大な戦費を調達する必要がありました。海外に流出する不足費用だけで、年1億円。国家予算が約6億8千万円の時代です。

 高橋是清・日銀副総裁は公債を募集するために、ロンドンに飛びました。毎日のように英国の銀行家と会って話をすると、彼らは兵力からして日本に勝ち目はないと判断していることが分かりました。日本が負ければ、公債は紙くずになってしまいます。

 そこで高橋は、日本としては国家生存のため、自衛上已むを得ずして起ったのであって、日本国民は二千五百年来、万世一系の皇室を中心とし、老若男女結束して一団となり、最後の一人まで戦わざれば已まぬ覚悟である、と説明しました。高橋の語る日本国民の覚悟に英国の銀行家たちは理解を示して、徐々に公債を買ってくれるようになりました。

 必要額の半分がようやく売れた頃、幸運が訪れました。米国のユダヤ人大富豪ジェイコブ・シフが残りをすべて引き受けてくれたのです。ロシア国内ではユダヤ人が虐待されており、この戦争で政変でも起これば、同胞を救えるかもしれない、と期待していたのでした。こうして、高橋是清の奮闘とシフの協力で、日本は資金難を乗り越えることができたのでした。[JOG(291)]

 もう一人、アメリカが活躍したのが金子堅太郎でした。金子はハーバード大学で、当時の米大統領セオドア・ルーズベルトと同窓だったよしみから、米国での親日世論の醸成と、時期を見計らっての米国による講和仲介の依頼、という使命を託されました。

 金子は各地で講演をして、日本がいかに自存自衛のために、立ち上がらなければならなかったかを、説いて回りました。また、世界的に有名はロシアのマカロフ大将が戦死した際には、その死を追悼する武士道精神を見せて、アメリカの民衆に感銘を与えました。金子の世論工作の影響を、駐米ロシア公使の娘は次のように語っています。

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 ルーズベルト大統領、ヘイ国務長官、そして米国政府全体が、公には中立だったにもかかわらず、すさまじいまでに感情的に親日になっていました。父は怒りのあまり髪をかきむしりながら、ジョン・ヘイや皆に言ったものです。いつの日か米国は、この選択を後悔するだろう、と。
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 こうした根回しが功を奏して、日本の国力がまさに尽きんとした際に、ルーズベルト大統領が絶妙のタイミングで、まだまだ余力のあるロシアと講和を取り持ってくれたのです。[JOG(464)]


■6.ロシア第一革命に火をつけた明石元二郎大佐の工作

 もう一人、ヨーロッパで秘密工作を実施して、巨大な成果をあげた人物がいました。明石元二郎・陸軍大佐です。明石は、ロシアの革命を目指すレーニン、フィンランドやポーランドの独立運動家、ロシアと対立するルーマニア、トルコの反露活動家などに、今日の価値で言えば100億円規模の資金を援助して、活動を助けたのです。

 明石が扇動してロシア帝国全体を震撼させた成果の一つに、1905年1月9日の「血の日曜日事件」があります。数万の群衆が、労働者の権利保障、日露戦争の中止などを求めて、皇帝に直接請願しようとしたのです。先導者のゲオルギー・ガボン神父は明石からかなりの金額を渡されていました。

 歩兵1万2千、コザック騎兵3千が空砲で威嚇しましたが、群衆は冬宮の前につめかけました。コザックの部隊長が突撃を命ずると、騎兵たちは馬上から剣をふるって、群衆の中に斬り込みました。数百人の死傷者が出て、冬宮の前の雪が赤く染まりました。ロシア革命の前奏曲となった「血の日曜日」事件です。

 この事件をきっかけに、ロシア民衆の皇帝への信頼は消え失せ、全土で暴動やゼネストが広がっていきます。これがロシア第一革命です。

血の日曜日.jpg



■7.自由独立を掲げて、世界を味方につける

 こうして見ると、日本は国内の強固な結束とともに、同盟国の英国のみならず、中立国といいながら「すさまじいまでに感情的に親日」になっていた米国、ロシアの専制支配に抵抗するユダヤ人、フィンランド、ポーランド、トルコ、さらには国内の革命家から民衆まで、実に多くの国家、民族、人民との連帯を築き、それらをすべてロシア抑止に活用した事が分かります。

 これだけ多くの勢力の協力を得られたのは、日本の戦争目的が自由独立の維持だったからでしょう。人間にとって、自由独立は本能的な欲求のようです。日本が自身の自由独立を掛けて先頭に立って戦ったことで、多くの人々が日本が勝てば、覇権主義超大国のロシアを封じ込め、自分たちの自由独立も増進する、と思ったのです。

 ロシアはその逆に、これらの勢力をすべて敵に回していたのです。ロシアは皇帝を中心とした利己的な目的から、農民やユダヤ人に圧制を敷き、周辺諸民族を属国として抑圧していました。

 唯一の同盟国はフランスとドイツでしたが、両国とも利己的な動機からロシアと結んでいただけなので、ロシアが負けそうになっても、自分たちの利益を優先して助けてもくれません。

 こうして日露戦争は、世界の自由独立を求める人々が日本を応援し、彼らの自由独立を踏みにじってきた覇権主義超大国ロシアに敵対しました。この構図は、21世紀の覇権主義超大国・中国から世界を護るにも、そのまま応用可能です。
(文責 伊勢雅臣)

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■■国際派日本人養成講座 LIVE 『皇室が紡いだ救国の歴史』

■■第2講 明治天皇の祈り 編
 開催日時 3/21(日)AM 10:00~11:30
 3/20(土)まで販売中。

■一台の端末なら複数人でも同時に視聴できます。ご家族、友人の皆様とご一緒に受講ください。

【一般向け】¥4480(税抜)
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【学割】¥1,480(税抜)
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*「まとめて受講セット」・・・第1講の録画視聴、第2,3講のLIVE視聴と録画視聴、さらに特典としてフォローアップ講座・PDFレポートをお付けするプランです。
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■リンク■

・JOG(783) 水師営の会見 ~ 乃木将軍とステッセル将軍
 敵将に対する仁愛と礼節にあふれた武士道精神は世界に感銘を与えた。
http://blog.jog-net.jp/201301/article_5.html

・JOG(464) サムライ達の広報外交 ~ 米国メディアにおける日露戦争
 彼らは卓越した英語力で、日本の立場を語り、 アメリカ国民を味方に引きつけた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog464.html

・JOG(291) 高橋是清 ~ 日露戦争を支えた外債募集
 莫大な戦費の不足を補うために欧米市場で資金を調達する、との使命を帯びて、是清は出発した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog291.html

・JOG(236) 日本海海戦
 世界海戦史上にのこる大勝利は、明治日本の近代化努力の到達点だった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog236.html

・JOG(176) 明石元二郎~帝政ロシアからの解放者
 レーニンは「日本の明石大佐には、感謝状を出したいほどだ」と言った。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog176.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・Blinken, "Secretary of State Antony Blinken Speech on Foreign Policy Transcript March 3", Rev
https://www.rev.com/blog/transcripts/secretary-of-state-antony-blinken-speech-on-foreign-policy-transcript-march-3

・渡辺幾治郎『明治天皇 下』明治天皇頌徳会、S33

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