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No.1174 えた身分差別解消への理想


 えた身分の人々、志ある人々が、差別解消に向けて地道な努力を続けてきた。彼らの目指した理想とは?

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■1.「建国の父」ジョージ・ワシントンの像まで倒す黒人暴動

 米国ではミネソタ州での白人警官による黒人暴行死をきっかけに暴動が続き、「建国の父」初代大統領ジョージ・ワシントンの像まで「黒人奴隷の所有者だった」という理由で暴徒に倒されました。

 ワシントンは確かに大地主として奴隷を所有していましたが、当時の慣習からみれば、はるかに温情ある扱いをしていました。奴隷制度は何とかしたいと考えていたようですが、まずは新国家建設が当時の最重要事でした。

 その後の米国民の様々な努力が積み重なって、今日、法的政治的にはまったく差別のない制度が築かれたわけで、世界の中でアメリカほど、この問題に苦闘を続けてきた国民はいないと思います。

 当時の時代背景も、本人の苦悩も、また米国民の2世紀にわたる苦闘の足跡をも一顧だにせず、200年後の今日の価値観から、奴隷を持っていたというだけで「建国の父」まで否定する、というのでは、人種対立を燃え上がらせて、米国社会の亀裂を深めるだけです。黒人の生活を今より良くするはずもありません。

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 旧来のマルクス主義は階級対立の憎悪を燃え上がらせて暴力革命をもたらそうとしましたが、先進国では失敗。その後継たるフランクフルト学派は、女性差別、人種差別、性的少数者差別など社会的な不満に火をつけて、共同体を弱体化させ、現体制の政治権力を弱めようとしています[a]。今回の黒人暴動もその手口のようです。

 同様に、我が国では部落、蝦夷、アイヌ、沖縄などの歴史が糾弾され、「和の国」の「根っこ」が攻撃されています。蝦夷、アイヌ、沖縄は、すでに史実を辿って考察しました[b,c,d]。今回は部落の問題を史実から見てみましょう。


■2.中学歴史教科書に書かれていないこと

 東京書籍の中学歴史教科書は、江戸時代のえた身分等について、次のように説明しています。

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【厳しい身分による差別】百姓、町人とは別に、えた身分、ひにん身分などの人々がいました。えた身分は、農業を行って年貢を納めたほか、死んだ牛馬の解体や皮革業、雪駄(せった)作り、雑業などをして生活しました。また、犯罪者をとらえることや牢番などの役人の下働きも,役目として務めました。ひにん身分も役人の下働きや芸能,雑業などで生活しました。
 これらの身分の人々は、他の身分の人々から厳しく差別され,村の運営や祭りにも参加できませんでした。幕府や藩は、住む場所や職業を制限し、服装などの規制を行いました。これによってこれらの身分の人々に対する差別意識が強まりました。[東京書籍、p115]
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 この記述には、以下の3つの重要な史実が書かれていません。

1)江戸時代以前は、えた身分の人々は、常民には不可能な「穢(けが)れ」を清める仕事を持ち、皇室や寺社に直属する特権職能集団でした。
2)江戸時代には差別はされつつも、独占的な職業収入によって通常の百姓よりも豊かな人々が珍しくありませんでした。
3)江戸時代後半には、えた身分も同じ人間であり、差別するのはおかしいという社会常識が広まっていました。

 以下、これらの点を史実で見ていきましょう。なお、えた身分ひにん身分には職能毎、地方毎に多くの名称があり、本稿では引用を除いて、えた身分と一括して呼びます。


■3.「清目」の職能をもって皇室や寺社に直属する特権職能階級

「鎌倉時代には非人に対する体制的な賤視・差別は決して出現していない、と私は考えている」とは、中世日本史の研究者・網野善彦氏の言です[網野、608]。氏はこう指摘します。

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 ・・・非人集団は、それ自体、基本的には「清目」を職能とする座的構成を持つ「共同体」を形成しており、その存在形態が、自立的な集団をなし、究極的には天皇の支配権に基づく課役・交通税免除の特権を保証されつつ、寺社等の権門に「芸能」を通じて奉仕する一般の「職人」と全く同様であることも、また事実である。[網野、566]
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 たとえば鎌倉幕府時代の「河原者」はえた身分の一種とされていますが、「禁裏御庭者」として清めの白砂を用いて庭造りに携わり、天皇に直属して、四条河原に「祓田(はらえだ)」という田地を支給されていました。後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒に立ち上がった建武の新政では、河原者もその武力の一部となっています。

 戦国時代に主要な街道の坂道に多く住んだ「坂者(さかもの)」は、諸国を自由に往来して塩を売る権利を天皇から与えられているとして、商売をしていました。塩が清めの働きを持つことから、彼らも「清目」の職能を持つ人々でした。

 こうした人々は、「清目」の職能をもって、皇室や寺社など「聖なるもの」を背景とする特権職能集団でした。


■3.天皇や神仏の権威低下によって差別されるようになった

 しかし、南北朝の動乱以降、武力や世俗的な政治力がものを言う時代になり、天皇や神仏の権威が低下すると、職能民の地位も下がっていきます。特に死んだ牛馬の解体のような「穢(けがれ)」に関わる職能民は、かつての特権が差別の要因になっていきます。

 江戸時代に入ると、幕府の政策で職能に基づく「身分制」が確立され、武士、町人(都市に住む商人や職人)、百姓(農民)と分けられました。さらに大工、鍛冶屋、薬屋など、同じ職種を同一区画に集めて住まわせる集住政策がとられました。

 江戸幕府がこうした身分制を確立させたのは、社会の安定を保つためでしょう。戦国時代のように、農民が武装して、いつ領主に反抗するか分からないようでは、平和な社会は保てません。また大工、鍛冶屋などを集住させたのは、それぞれの職能毎にある程度の自治を行わせ、幕府も管理しやすくなります。中世ヨーロッパのギルドと同様の現象に見えます。

 この政策のもとで、皮革業や革を用いた草履を作る職能民などが村の一角に集まり、これがその後の「部落」となっていきます。


■4.封建社会の差別、市場経済で得た実力

 当時の状況について、オランダ商館付きの医師シーボルトが、文政9(1826)年の長崎から江戸への旅にもとづいて書いた『江戸参府紀行』にこう記しています。

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 ここにはもっぱら皮の加工に従事するいわゆるえたがたくさん住んでいる。この人たちは一般にきらわれていて、非常に低い一種独特の階級に属し、普通は隔離された町に住み、他の村人とは公民として協同体をつくらず、これらの村人の住居にはいることすら許されていない。[斉藤、p104]
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 一方、江戸時代に入って皮革の需要が高まり、西日本各地から原皮を集める大阪の渡辺村が成長しました。そこでは年間10万枚もの原皮を扱ったといわれています。そうしたなかで、裕福な皮革業者も生まれました。たとえば、文化13(1816)年に書かれた『世事見聞録』には、次のように伝えています。

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 大坂渡辺のえたに太鼓屋又兵衛といえるは、およそ七○万両程の分限にて、和漢の珍器倉庫に充満し、著侈(しゃし)おおかたならず、美妾も七、八人ありという。[斉藤、p125]
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 嘉永3(1850)年に履き物の原材料である竹皮の値段が急騰した際には、大阪周辺17カ村のえた身分の人々が団結して、市中の竹皮問屋と交渉し、卸売り値段の値下げに成功したという記録も見られます。[斉藤、p129]

 えた身分の人々は、封建的な身分制のもとで日常的な差別は受けつつも、それを跳ね返すように、皮革加工や履き物製造など特定の職能を通じて相当の経済力、交渉力を持つに至ったのです。


■5.飢饉も逞しく生き抜いた人々

 えた身分の中には、農地を所有して農業を営む人々も現れました。当時の安定・確実な生産手段は農業だったので、金銭的な余裕ができると農地を買ったようです。河内国更池村では「かわた」と呼ばれた、えた身分が28戸あり、すべて農地を持っていました。その平均は8.4石で、一般農民の6.5石より多かったという記録が残されています。[斉藤、p154]

 江戸時代の中・後期になると、えた身分の人々に農地を売ることを禁止する藩も出てきます。これは、えた身分の農地取得が拡大しつつあり、それを阻止しようとした動き、と見られています。そういう中でも、えた身分の人々が堂々と領主に訴えて争った事例も記録されています。[斉藤、p157]

 江戸時代の人口は前半は急激に増加しますが、中期から後期にかけては停滞します。ちょうど地球が寒冷期を迎えて、享保、天明、天保と大飢饉が続いたからです。しかし、その間も、えた身分の人口はほぼ順調に増え続けました。その理由としては、農業とともに皮革業その他の職業をもっており、農業一本槍の農民よりも生活は安定していた、と考えられます。

 こうした事実から、えた身分の人々は社会的な差別はされていましたが、だからといってすべて経済的にも窮迫していた、という見方は成り立たないようです。[斉藤、p115]


■6.尊皇派からの「一君万民」の理想による差別批判

 江戸時代後期には、えた身分への差別を批判する考えが徐々に広まっていきます。尊皇攘夷論者だった加賀藩士・千秋藤篤(せんしゅう・ふじあつ)は、『穢多を治むる議』のなかで、えた身分の人々を「醜類」とみなして差別する人々を批判して、「いずくんぞ人体にして、獣性の者あらんや」と指摘しています。この『議』は部落解放論の先駆けとされています。

 長州の高杉晋作が組織した奇兵隊は、身分制度にとらわれず、農民や町人のみならず、えた身分も兵隊に取り立てていました。軍隊で活躍することは、世界各地で見られる差別打破の早道です。第2次大戦では米国の日系人部隊が欧州戦線で大活躍し、日系人差別を跳ね返すきっかけを作りました。

 千秋藤篤にしろ、高杉晋作にしろ、尊皇派が差別に反対したことは偶然ではありません。高杉晋作の師・吉田松陰は、古代日本の理想から、天皇のもと万民は平等という「一君万民」を唱えていました。身分差別政策は徳川幕府の封建制度の一部であり、我が国では「一君万民」こそ本来の理想で、民はすべて平等な「大御宝」でなければならないと考えるからです。

 たとえば古代律令国家では、すべての土地と人民を国家が直接おさめる公地公民の原則が打ち立てられ、人々に土地を分ける班田収受法が制定されました。

 唐の均田法に似ていますが、根本的に違うのは、唐では18歳以上59歳以下の男子にしか口分田を与えませんでしたが、日本では満6歳以上の男子には2段(現在の約2300平米)、女子にはその3分の2、奴婢には良民の男女のそれぞれ3分の1の口分田が与えられていたことです。唐に比べれば、はるかに国民の基本的人権に配慮した制度でした。


■7.えた身分の「賤称」廃止

 幕末の混乱期に、「えた」「ひにん」の「賤称」廃止に貢献したのがえた身分を率いた弾左衛門(だんざえもん)でした。弾左衛門は関東一円の6千軒もの皮革業者を統制する強大な権限を幕府から与えられていました。薩長に追いつめられた幕府を助けようと、弾左衛門はえた身分の者で歩兵一大隊を作り、幕府から人数分の鉄砲を借りたいと嘆願しています。

 食費だけでも月二千両もかかりますが、それは皮革業者、芸人、吉原の遊女など、えた身分に一定の税をかけてまかなう。「えた」という「賤称」を廃止してもらうことを条件として、この協力を幕府に申し出たのでした。将軍の許しも出て、幕府は手始めとして弾左衛門と手代65名の身分を「士分」に引き上げました。[塩見]

 しかし、そこで幕府が崩壊し、明治維新となりました。明治4(1871)年、新政府は解放令にて「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共(とも)平民同様トス」と定めました。しかし、これに反対する平民たちが、各地で暴動を起こしました。人の意識はすぐには変わりません。その後も差別撤廃に向け、長期間の地道な努力が続けられました。

 弾左衛門は同年、私財を投じてアメリカの靴職人を高給で呼び寄せ、配下の皮革職人たちに、西洋的な軍装に必要な靴やベルトなどを作る技術を身につけさせました。皮革職人たちに国家の必要なものを作らせ、国民として処を得させるための手段でした。


■8.差別解消に向けて人々を覚醒させる理想

 こうして「和の国」にふさわしくない差別は、えた身分の側の努力、国民の有志の言挙げ、国家の政策を通じて、一歩一歩改善されていきました。特定の人種や職種に対して差別をするのは、どこの国にもあることですが、大切なのは、その解消のための努力がどれほどなされたかです。これは同時代の他国と比べることで分かります。

 たとえば、朝鮮半島ではやはり皮革業を行う「白丁(はくてい)」が最下級の賤民とされ、文字を知ること、葬式で棺桶をつかうこと、墓碑を建てることまで禁止され、この差別は1909年の日本統治時代にようやく撤廃されました。身分解放された白丁も学校に通うことが許可されましたが、貴族階級の両班は抵抗活動を繰り広げ、日本政府はこれを断固として鎮圧しました。[Wikipedia]

 差別は、人間が他者を見下す事で虚栄心を満足させようとする人間心理の醜い面から出てきているようです。それを克服するには人々に正しい方向を指し示す理想が必要なのでしょう。我が国においては「一君万民」という「和の国」の理想が、差別解消に向けて人々を覚醒させる力となったと言えそうです。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(1088) ゆがんだリベラル思想を正す道
「和の国」日本には、リベラルのゆがんだ思想を正す力がある。
http://blog.jog-net.jp/201811/article_8.html

b. JOG(635) アイヌとの同化・融和・共生の歴史
「もののわかった人は、私たちアイヌを本当の日本人として尊敬してくれました」
http://blog.jog-net.jp/201006/article_17.html

c. JOG(1172) かくて蝦夷は「和の国」に迎え入れられた
 坂上田村麻呂に「征服」された蝦夷の子孫たちは、なぜ彼を称え、思慕するのか?
http://blog.jog-net.jp/202007/article_1.html

d. JOG(958) 日本を守る沖縄の戦い ~ 我那覇真子さん、国連での言論戦
 翁長知事の国連を利用した米軍基地移転反対に、若き沖縄女性が立ち上がった。
http://blog.jog-net.jp/201607/article_1.html

e. JOG(823) 歴史教科書読み比べ(12) :奈良時代、公地公民か階級社会か
 唐に倣った平城京も口分田も、その内実はまるで違っていた。
http://blog.jog-net.jp/201311/article_2.html

b.伊勢雅臣『比較 中学歴史教科書-国際派日本人を育てる』、勉誠出版、H30
アマゾン「中学生の社会」1位、「教科教育 > 社会」1位、「日本史」11位、総合252位(H30/11/10調べ)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4585222251/japanonthegl0-22/


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・Wikipedia contributors. "白丁." Wikipedia. Wikipedia, 11 Jul. 2020. Web. 11 Jul. 2020.

・網野善彦『中世の非人と遊女』★、講談社学術文庫(Kindle版)、H17
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B01MTX5S3S/japanontheg01-22/

・斎藤洋一、大石慎三郎『身分差別社会の真実』★★、講談社現代新書、H7
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4061492586/japanontheg01-22/

・塩見鮮一郎『解放令の明治維新---賤称廃止をめぐって』★★、河出ブックス(Kindle版)、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4309624316/japanontheg01-22/

・東京書籍、『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122325/japanontheg01-22/


■前号「えた身分差別解消への理想」へのおたより

■差別反対の陰にある「「自分たちは道徳的優位に立っている!」という虚栄心(和政さん)

(米国民の2世紀にわたる黒人解放の苦闘の歴史を一顧だにせず、今日の価値観から、奴隷を持っていただけで「建国の父」まで否定する動きに対して)

 僕の考えた説明は、『ある病気や怪我に対して、新しい安全な治療法が確立された後に、それ迄の古い治療を行った医者たちを犯罪者呼ばわりする様な行為』というモノです。

 「差別反対」を掲げる人たちは、「自分たちは道徳的優位に立っている!」という異常な自負心を持ち、虚栄心の虜です。

■伊勢雅臣より

 そういえば、左翼の人たちはみな上から目線で、評論家的にものを言いますね。


■生まれ変わりで考えれば(猫親父さん)

 今回のテーマは人種を問わず全ての人間が生まれつき持たされた"業"の問題に行き着く気がします。

"生まれ変わり"という考えがこの身分差別を説明する良き補助線と感じます。

 因果応報の仕組みで、今世で差別する側は過去世で差別された側、差別される側は差別した側。永遠の生まれ変わりを通して魂が磨かれ平準化し悠久の時間を経て悟りに至る、という流れでしょうか。

 ここで特筆すべき人格は"謙虚"です。自分の分(役割、位置づけ)をよく心得て慎み深い行動に努める人。何回もの人生を通して陶冶されたこの人格は"業"に磨かれた結果で悟りにかなり近い人と考えられます。

 確かに存在します、確かにそんな人がひっそりと生きています。その実在の認識が我が人生の励みになり、世界中で休みなく続く争い事に心をかき乱されない力にもなります。

■伊勢雅臣より

 仏教的な"生まれ変わり"の人生観が差別を無くしていく力になるというのですね。神道的な"すべては神の分け命"という生命観も、差別を無くしていく力になりうると思います。いずれにせよ、差別は人間心理の深い処から出てくるので、そこまで働きかける生命観が必要だと感じます。

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