No.1144 田中英道教授の「日本史を正す」戦い


 縄文文明、高天原、ユダヤ人埴輪、、、田中英道・東北大学名誉教授の既存の歴史学との戦い。

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■1.「世界の4大文明」は中国人のプロパガンダ

「世界の四大文明は?」と聞かれたら、かなりの人が「エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明」と答えるだろう。中学の歴史教科書でそう教えているからだ。しかし「四大文明」説には「学問的根拠は無い」と田中秀道・東北大学名誉教授は最新刊『ユダヤ人埴輪があった! 日本史を変える30の新発見』[1]で断言する。

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 しかしこの「四大文明」は梁啓超(1873~1927)という中国人が唱えたもので学術的根拠はありません。ジャーナリストであり政治家であった梁啓超が、「20世紀太平洋歌」(1900年)と言う詩で触れたものに過ぎません。日本で定説になっている「世界四大文明」には学問的な根拠は無いのです。
 日清戦争(1894~1895年)で敗れた後、梁啓超は日本に亡命、中国の近代化を目指し、日本に学び、言論活動を展開しました。そうした中で彼は中国を奮い立たせるために「四大文明」をこしらえ、そこに「黄河文明」を入れたのです。[1, p13]
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 なんの事はない、「四大文明」とは歴史家でもないジャーナリスト・政治家の中国人が政治的プロパガンダとして言い出したものに過ぎないと言うのである。

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 こうした人物の「意見」を日本で「定説」のように取り上げたこと自体がおかしいのです。・・・日本は「四大文明」である中国の文明的従属国であるというような認識を多くの日本人がもってしまったのです。[1, p15]
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 大陸や半島で作られた歴史プロパガンダで自虐史観に陥る、というのは、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」と同じ構造ではないか。現在の歴史学の歪みを端的に現すエピソードである。


■2.日本独自の縄文文明

「中国の文明的従属国」という自虐的自画像を打ち砕いたのが、近年、明らかになってきた縄文文明の実像である。

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 他の文明では、少なくとも九千年、あるいは八千年以前はすべて石器時代と呼ばれています。ところが日本では、すでに一万六千五百年、あるいはもっと前に縄文文明と言う特殊な指標を持っているのです。[1, p17]
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 縄文文明の代表的な遺跡が、青森県の三内丸山遺跡である。田中教授は、こう解説する。

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 三山内丸山の広大な遺跡は約四〇ヘクタールの範囲に広がっています。祭祀用の集会場として使われたと考えられる大型集会場が建設され、「太陽信仰」を表すと考えられる、直径一メートルに及ぶ太い六本の柱で高い塔が建てられていました。そのほか、大型竪穴住居が十棟以上あり、広場があって、約七百八十軒にもおよぶ住居跡は、機能的に配置されていました。
人口も住居跡数から推測すると三千人はいたでしょう。高床式倉庫があり、道路が計画的に建設されています。・・・
 クリを常食としており、DNA鑑定をしたところ、栽培されていたこともわかりました。クリ、クルミなどの堅果類、さらにマメ、ゴボウ、エゴマ、ヒョウタンなどが栽培されていたことがわかっています。・・・また黒曜石、琥珀(こはく)、漆器、翡翠(ひすい)などが出土しており、各地との交易もあったことがわかります。[1, p17]
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 1万6千5百年以上前にこれだけ進んだ日本独自の縄文文明があった事が判った以上、せいぜい8、9千年前の「中国の文明的従属国」という自画像は書き換えられなければならない。[a]


■3.「高天原」神話には縄文・弥生時代の記憶が反映している

 田中教授は、古事記・日本書紀で語られる「高天原(たかまがはら)」についても、既存の歴史学説をこう批判する。

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 高天原は神話の世界の話で、垂直方向に天を想定して考えられた国とされてきました。いわば非現実的なフィクションに過ぎず、特に戦後になると高天原は幻想であるとして無視されてきました。
また、『記紀』についても、「天武天皇、持統天皇、そして藤原家によって、高天原に天皇の祖先である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨される前に多くの神々がいたと書くことで天皇家の正統性を示す根拠とするために捏造されたもの」と言われてきました。
 しかし私は、高天原の物語は単なる幻想や作り話ではなく、縄文・弥生時代の記憶をもとにつくられた話だと考えています。[1, p47]
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 田中教授は、縄文時代の日本には関東、東北を中心に多くの村落が共通の神道信仰・文化で結ばれたゆるやかな祭祀国家「日高見国(ひたかみのくに)」があり、これが大和朝廷の前身だった。『記紀』の「高天原」記述は、この日高見国を神話化したもの、という学説を唱えている。その根拠として、以下が挙げられている。[b]

・縄文時代の遺跡の95%以上は関東・東北に集中している。
・特に鹿島地方(茨城県鹿島市)では6,7千年前の縄文前期からの土器や遺跡が多数見つかっている。
・江戸時代までの天皇家に関係する神宮は3つだけであり、その一つ、伊勢の神宮よりはるかに古い鹿島神宮、香取神宮が二つとも常陸(ひたち)の国にある。
・鹿島神宮に祀られている建御雷神(たけみかづちのかみ)は、「高天原」に成った最初の造化三神の一柱であり、天照大神よりも先に生まれた高皇産巣日尊(たかみむずびのみこと)に命ぜられて、香取神社に祀られているフツヌシとともに、「出雲の国譲り」を成し遂げている。
・『日本書紀』『常陸国風土記』などに、この地方に「日高見(ひだかみ)国」と呼ばれた国があった事が記されている。

 記紀に書かれた「高天原」を「幻想」とし、「天皇家の正統性を示す根拠とするために捏造されたもの」と断定するためには、こういう数々の根拠を否定しなければならない。そういう学問的努力をする歴史研究者はいないようである。


■4.ユダヤ人が古代日本に様々な技術をもたらした

 従来の歴史学では、縄文文明や日高見国など日本固有の文明を無視して、朝鮮や中国からやってきた渡来人によって、文明がもたらされたかのように記述していた。この点を田中教授は次のように言う。

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 これまで、日本の歴史学で、「帰化人あるいは渡来人と呼ばれる人たちが日本にやってきていた」と言う場合、もっぱら朝鮮半島からやってきた人たちのことを指していました。
 つまり、「朝鮮半島から来た人たちあるいは中国から人たちによって日本は作られた」と言うような考え方がされていたのです。[1, p84]
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 しかし、あきらかにユダヤ人としか思えない埴輪が見つかって、この「考え方」を大きく揺るがせている。

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 埴輪の中には、異常に鼻が高い人物埴輪があり、飛鳥時代以降の日本人の姿とあまりにも異なっています。特殊な冠や庇(ひさし)のある帽子をかぶり、耳元には鬢(びん)、つまり美豆良(みずら)がついており、顎髭(あごひげ)をはやしています。これはつまり、日本の古墳時代にユダヤ系の人々がいたことを端的に示しており、こういった特徴を持つ人物埴輪は、千葉県や茨城県など主に関東で発掘されています。[1, p76]
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ユダヤ人埴輪 男.jpeg


 埴輪だけでなく、DNAや神社の構造にもユダヤ人の影響が見られることは[c]で指摘した通りである。

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 日本に渡ってきたユダヤ系の人々が、機織りの技術や絹の生産技術、あるいは農業技術、灌漑施設の建設技術、そして、古墳を作る土木技術などを持っていたと考えられます。それらは中国や朝鮮にはない技術だからです。
 同時に彼らは日本に渡ってくる途中で入手したアジア各地での技術や物品をもたらしました。これが、天平時代、8世紀中頃に始まった「正倉院宝物」に、なぜ中国・朝鮮のものよりも中央アジアからペルシャに至る広い地域の様々な装飾品や物の方が多く収められているのか、ということの理由と思われます。[1, p90]
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 この発見は「朝鮮半島から来た人たちあるいは中国から人たちによって日本は作られた」という考え方を覆すものである。


■5.聖徳太子の仏教導入の決断の後、日本の芸術が生まれた

『日本書紀』には、「法隆寺が670年に焼けた」という記述があり、そこから「今ある法隆寺は焼けたあとに建った」と考える人が大勢いる。

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 現在ある法隆寺が再建されたものなら、焼ける前にあった法隆寺も聖徳太子が建立したかどうかわからない。さらに言えば、「日本書紀に書かれている事自体が疑わしいため、聖徳太子も実在していたかどうかわからない」という学者も少なくありません。
 こうした聖徳太子不在説を戦後の歴史学の成果のように言っている人たちがいます。『日本書紀』『古事記』を資料批判の観点から研究し、「『記紀』は天皇家、つまり天武天皇と藤原家が自分たちの権力を守るために作り上げたもの」という認識を持つ人たちです。[1, p107]
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 しかし、樹木の年輪から年代を測定する正確な方法によって、法隆寺五重塔の中心に立てられている心柱は推古天皇2(594)年、すなわち聖徳太子が摂政をされていた時のものである事が明らかになった。焼けたのは法隆寺のそばの若草伽藍(がらん)という建物で、現在我々が見ている法隆寺は、聖徳太子が建てたものであることはまちがいない。

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 聖徳太子は、日本人にとって神道という共同宗教だけでは不十分で、個人宗教の仏教を取り入れるべきだ、とお考えになりました。それで仏像を拝む精神を導入したのです。
 聖徳太子のこの決断の後、日本の芸術が生まれました。埴輪と仏像の差を見れば、それは明らかです。共同の神道の風土の中で、個人の感情と精神により、芸術が表現されたのです。
『万葉集』も『源氏物語』も、個人の感情と精神をうたい、叙述したものです。修行中の菩薩像にも、怒れる四天王像にもそれが見られます。
「聖徳太子はいなかった」と言う人たちは、それが日本の芸術をも否定することになるのですから、いかに間違った考えかということがわかります。
 聖徳太子は日本人に個々の感情と精神を表現させるようにしたのです。[1, p112]
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■6.「日本のミケランジェロ」国中連公麻呂

 聖徳太子が導入を決断した仏教が花開いたのは、第45代聖武天皇による奈良・東大寺の大仏(盧舎那仏)が建立された時だろう。大仏建立の動機を聖武天皇は詔(みことのり)の中で次のように述べられている。

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 朕の志は広く人民を救うことであり、努めて人々を慈しんできた。国土の果てまで思いやりと情け深い恩恵を受けているはずであるが、天下のもの一切がすべて仏の恩恵に浴しているとは言えない。そこで三宝(仏・法・僧)の威光と霊力に頼って、天地ともに安泰になり、よろずの世までの幸せを願う事業を行って、生きとし生けるものことごとく栄えることを望むものである。[1, p114]
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 大仏建立の仕事を担ったのが、仏師・国中連公麻呂(くにのなかむらじきみまろ)だった。中国の大仏は岩場を掘ったものだったが、東大寺の大仏は青銅で、大変な技術を要するものだった。

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 大仏建立を成し遂げた国中連公麻呂は、大いに賞賛されて良いはずです。ところが、なぜか国中連公麻呂の名は歴史であまり語られていません。国中連公麻呂は、もっとクローズアップされていい存在です。
 国中連公麻呂の作品は、東大寺法華堂の『日光・月光菩薩像』、東大寺戒壇堂の『四天王像』などが残っていますから、その見事さは容易に推測されます。それに加えて、その形象類似から唐招提寺の目を閉じて沈思する『鑑真像』、それとは対照的な法隆寺夢殿の目を見開いた『行信像』があります。・・・
 これらの仏像は神々しさに加え、動と静を併せ持つ安定した姿をしています。「静かなる偉大さ」「高貴なる単純」と評される、ギリシアの古典彫像に共通する特徴が明らかです。[1, p115]
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「私は、この仏師を日本のミケランジェロと呼んではばかりません」と田中教授は断言する。[d]


■7.歴史を「自己を正しく写す鑑」とするために

 以上、田中教授が考古学、文献学、神話学、美学、建築、技術などの多方面の知見を総動員して、従来の歴史学の「定説」を批判してこられた足跡のごく一部を辿って見た。その他にもまだまだ多くのトピックスがあり、全体については[1]を見ていただきたい。「日本史を変える30の新発見」という副題どおり、田中史学の簡便な総覧・入門書となっている。

 こうして通覧してみると、現在の歴史学の偏向ぶりが判る。「世界四大文明」を持ち上げて、日本は中国文明の「従属国」であるかのように見せかける。中国や朝鮮からの「渡来人」が日本に文明をもたらしたと考える。日本固有の縄文文明、国中連公麻呂などは無視し、聖徳太子に至っては存在すら否定しようとする。『記紀』は「天皇家の正統性を示すための捏造」と切り捨てる。

 このように人々を常に一定の方向に誘導しようとする論説は「学問」という名に値しない。政治的プロパガンダと呼ぶべきである。歴史を鑑(かがみ)とするためには、こういう歪んだ鏡ではダメだ。史実を精確公正に扱う真の学問としての「歴史学」が必要である。そのための戦いを田中教授は続けている。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(1078) なぜ世界最古の土器が日本列島から出土するのか?
 1万年以上も自然と共生し、平和が続いた縄文時代は「文明先進国がどこも体験することのできなかった貴重な時間」だった。
http://blog.jog-net.jp/201809/article_1.html

b. JOG(1066) 日高見国の物語 ~ 田中英道著『日本国史』から
 考古学、神話学、古文書研究を綜合して、日本国の始まりに関して画期的な学説が提案された。
http://blog.jog-net.jp/201806/article_2.html

c. JOG(1139) 古代に渡来したユダヤ人を同化した「和の国」の力
 ユダヤ人そっくりの埴輪、共通の遺伝子。古代ユダヤ人渡来説の「物証」が出てきた。
http://blog.jog-net.jp/201911/article_2.html

d. JOG(272) 天平のミケランジェロ ~ 「国民の芸術」を読む
 東大寺大仏などの傑作を続々と生みだした国中連公麻呂は、世界三大巨匠の一人。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog272.html

e. 伊勢雅臣『比較 中学歴史教科書-国際派日本人を育てる』、勉誠出版、H30
アマゾン「中学生の社会」1位、「教科教育 > 社会」1位、「日本史」11位、総合252位(H30/11/10調べ)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4585222251/japanonthegl0-22/


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 田中英道『ユダヤ人埴輪があった! 日本史を変える30の新発見』★★★、扶桑社、R01
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594083013/japanontheg01-22/


■おたより

■イタリアの自動車雑誌に両陛下のお写真が(ローマのKeikoさん)

毎月、イタリア自動車クラブから機関誌が送られてくるのですが、いつもはほとんど読まずにゴミ箱へ。(汗)

ところが今回は表紙が目を惹きました。それは、日本の切手だったのです。

そこで、ビニールのパッケージを開けて中を見てみると「La nostra Reiwa(我々の令和)」というコラムに続き、両陛下のお写真やもちろん日本車関係の記事が目白押しで、日本車はもちろんイタリアでも人気なのでコンスタントに記事にはなっていますが、こんな特集は未だかつてなかったように思います。なんと、全128ページのうち62ページが日本関連の記事なのですよ!。

 まだ、内容を読んでいないのですが、両陛下のお写真が載っていたのでぜひ、伊勢様にもお知らせしたかったのです。

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■伊勢雅臣より

 貴重な情報ありがとうございました。いただいた写真は、ブログに掲示します。

 12月17日に福岡教育大学で、学内公認サークルである「日本教育研究会」主催の「グローバル社会のリーダーを育てる教師を目指して」と題する講演をさせていただきました。50名ほどの教室が学生の皆さんでほぼ満席になりました。弊誌の読者も参加いただき、「若い人々が教育問題で一生懸命活動している姿に胸が熱くなった」という感想メールもいただきました。

 1月13日(月・祝日)には神戸市にて「楠木正成に学ぶ~和の国・日本の『根っこ』」と題する講演と、正成公を祀った湊川神社への昇殿参拝(希望者のみ)を行います。次号に詳細を記しておりますので、ぜひご参加ください。
http://blog.jog-net.jp/

「イタリア人はおいしい料理は作れるのに、車作りは下手。ドイツ人は良い車は作れるのに、料理は下手。なぜ日本人は両方できるの?」というイタリアで聞いたジョークを思い出しました。

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