No.1123 「和の国」日本の礎(いしずえ)~ 聖徳太子の十七条憲法


 国内の動乱で現れた人間性の醜さを、太子は凝視した。

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■1.「和の国」日本の礎(いしずえ)

「日本人は個人の時よりも、チームで取り組む時の方がはるかに力を発揮する」とは、筆者がカリフォルニア大学バークレー本校に留学していた際に、先生から聞いた言葉である。大学にはインド人、中国人、韓国人、ドイツ人、ブラジル人など、実に様々な国から留学生が来ており、彼らはクラス討議でも積極的に発言して、日本人留学生よりはるかに存在感を示していた。

 しかしグループ研究となると、日本人学生はすぐにテーマと作業分担を相談して決め、それぞれの得意分野や適性を組み合わせて、良い結果を出す。互いに多少の不満はあってもグループ研究の成果を優先して我慢するので、他国のグループのように「自分が自分が」の議論だけで時間をつぶしてしまうような事はない。

 その後、筆者自身がいろいろな国で仕事をしたり、経営者として現地人と働いたりした経験を通じて、日本は「和」を通じて力を発揮する国だ、という思いをますます強くしていった。そして、それが我が国の美しさであり、強さなのだ、と思うようになった。この「和の国」の礎となったのが聖徳太子の十七条憲法である。


■2.「自分自身に言われているような気持さえしてきた」

 ある女子高生は、十七条憲法を読んで感想文を書く宿題を与えられて、次のように記した。

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 私はこの憲法を読む前、何か理解できない、むずかしいことばかりが書かれていると思って、内容等に読み入った事はなかった。しかしよく読んでみると私の思いあたることばかりで、自分自身に言われているような気持さえしてきた。昔も今も人の心は変らないのだなと思った。すると昔の人が身近に感じられた。[1, p2]
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 たとえば、第十条にはこんな一節がある。

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人皆(みな)心有り。心各(おのおの)執(しゅう)有り。彼是(ぜ)とするときは則(すなわ)ち我は非とす。我是とするときは則ち彼は非とす。我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。是非の理なんぞ能く定むべき。相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端無きが如し。

人は皆心をもっている。その心は、それぞれが執着しているものがある。彼が自分は正しいと思っても、私はそうは思わない。私が正しいと思っても、彼はそうは思わない。私はかならずしも聖人ではなく、彼もかならずしも愚か者ではない。
彼も私も共にいたらない凡夫である。どうして、どちらが正しいということを決めることができようか。彼も私も賢愚なることは、ちょうど鎖(耳輪)に端がないようなものだ。[1, p82]
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 我々の日常生活でも、よく意見が対立して、相手はどうしてこんな事が判らないのだろう、と腹立たしく思う時がたびたびある。そんな時に、「私はかならずしも聖人ではなく、彼もかならずしも愚か者ではない。彼も私も共にいたらない凡夫である」と太子に言われると、まさに「自分自身に言われているような気持」になるだろう。

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日時:令和元年8月3日(土)午後2時00分~午後4時30分
場所:港区立三田いきいきプラザ集会室 B
詳細・申込: http://kokubunken.or.jp/japanese-mind/
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■3.太子が凝視した人間性の醜い面

 日本人だからと言って、昔から和を守ってきたわけではない。太子の時代は特に国内が混乱していた。たとえば第31代・用明天皇2(587)年、仏教を入れるかどうかで物部(もののべ)氏と蘇我氏が戦う丁未(ていび)の乱が起きた。用明天皇の皇子であった太子も10代前半ながら、蘇我氏側に立って戦っている。

 また太子の叔父にあたる第32代・崇峻(すしゅん)天皇は蘇我馬子の手の者によって暗殺された。592年、太子が18歳前後の事であった。天皇が臣下に殺害されたのは、確認されている史実としては史上唯一の大事件である。この後、崇峻天皇の姉にあたる推古天皇が史上初の女帝として即位し、太子が皇太子として摂政の任にあたった。まさに国内の動乱の時期だった。

 このように少年時代、青年時代から、国内の不和、戦争、暗殺などを見てこられた太子は、人間性の醜い面がよく見えたのであろう。「人は皆心をもっている。その心は、それぞれが執着しているものがある」などという表現は、太子の体験的告白なのだ。これ以外にも、十七条憲法にはこんな表現がある。

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(第一条)人皆党(たむら)あり、亦(また)達(さと)れる者少(すくな)し。是(ここ)を以て或いは君父(くんぷ)に順(まつろは)ず、乍(たちま)ち隣里(りんり)に違(たが)ふ。
【拙訳】人は群れをつくりたがり、悟った人間は少ない。君主や父親にしたがわず、近隣の人ともうまくいかない。
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(第六条)亦(また)佞媚(ねいび)なる者は、上に対しては則(すなは)ち好んで下の過(あやまち)を説き、下に逢(あ)ひては則ち上の失(しつ)を誹謗(ひぼう)す。
【拙訳】またこびへつらう者は、上には好んで下の者の過失を言いつけ、下に向かうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)する。
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(第十四条)我既に人を嫉(ねた)めば、人亦我を嫉む。嫉妬の患(かん)その極(きょく)を知らず。所以(ゆえ)に、智(ち)己(おのれ)に勝(まさ)るときは則(すなわ)ち悦(よろこば)ず、才己に優(すぐ)るときは則ち嫉妬(ねた)む。
【拙訳】自分が人に嫉妬すれば、人もまた自分に嫉妬する。嫉妬の患(わずら)いは限りがない。そのため、自分より知識がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。
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 党派心、へつらいと誹謗、嫉妬-こういう人間の醜さを太子は凝視していた。この地獄図から如何に人々を救い出すか。その答えとして書かれたのが、十七条憲法であった。

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■4.「忤(さか)ふ」「順(まつろ)はず」「違(たが)ふ」

 十七条憲法と言えば、「和を以(もっ)て貴(たふと)しと為し」という冒頭の一句があまりにも有名だが、ほとんどの人はこれを「仲良くすることが大切だ」というほどに捉えている。

 しかし、人間性の醜さを凝視された上での言葉が、そんなお花畑思考であるはずがない。この句の後には、上述の「人皆党(たむら)あり」が続く。第一条の前半を通して見れば:

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一、に曰く、和を以(もっ)て貴(たふと)しと為し、忤(さか)ふこと無きを宗(むね)と為す。人皆党(たむら)あり、亦達(さと)れる者少(すくな)し。是(ここ)を以て或いは君父(くんぷ)に順(まつろは)ず、乍(たちまち)隣里(りんり)に違う。[1, p18]
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 この部分を、小柳陽太郎先生(元・福岡県立修猷館高校教諭)は次のように精密に解釈している。

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「忤ふ」はさからふことでせうが、・・・いつも自分といふものを意識する、人の世界にすっと入っていくことが出来ない、さういふ心の姿勢、心の「こだはり」をいふのでせう。その「忤ふ」といふ心理をもっと具体的に述べられたのが次の文です。
すなはち「人皆党あり、亦達れる者少し」――人は皆それぞれ自分たちの世界に閉ぢこもる性質をもってゐる、「たむら」の「むら」は群がるの「むら」に通じるのでせう。「達れる」といふのは「達」といふ字から考へても、相手の心の中にすっとはいって行く、飛びこんでいくといふことでせうが、さういふ人は非常に少い。
かういふわけで「或は君父に順(まつろ)はず」、君といふのは国家生活における天皇、或は天皇に集約されていくそれぞれの社会における主君、家庭生活における父、さういふ長上の言葉に従はうとはしない、そして、「乍(たちま)ち隣里に違ふ」といふことになる。
「乍ち」といふことは君父に順はない心理が、そのまゝ隣の人に心を通はせることが出来ないといふ結果を導くことを示してゐると思はれます。[1, p59]
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 このように「忤さか)ふ」「順(まつろ)はず」「違(たが)ふ」という、互いになかなか心を通い合わせる事のできない人間の性(さが)を、太子は見据えているのである。


■5.「和」とは「ハーモニー」

 その上で、太子は一転して、第一条の後半で理想を描く。

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 然(しか)れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、すなわち事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらむ。[1, p18]
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 この部分を小柳先生は以下のように解釈する。

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 上の人がやはらかな気持で下に接し、下の人がまた暖かな心で上の人に親しみ合ってゆけば本当の平等の世界が実現されて、事を論じてゆくのに「諧ふ」ときは、
―― 「諧」といふ字は音楽で使ふハーモニイ、それぞれの音がそれぞれの美しさを保ちながら、それが一つに集約されて全体で美しい調和のとれた音色を発するといふことですが、かうして一人一人の心が生かされたまゝで全体の中に命が通っていく、そのときには「事理自ら通ふ」――
「事」は人生のさまざまな事実、「理」はそれを支へてゐる道理、その事実と道理が一致するはずだといはれるのです。[1, p54]
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「和」とは「ハーモニー」であると考えれば、単に「仲良くする」という事とは次元の全く違う理想であることが感じとれるだろう。そしてその「和」は「上の人がやはらかな気持で下に接し、下の人がまた暖かな心で上の人に親しみ合う」事によって「心が通う」ことで実現するものである。


■6.「お互ひに私心あるものなればこそ」

 しかし「人皆党あり云々」という「凡人たち」が、どうして突然、「上和らぎ下睦びて」などという事ができるのだろうか? ある都立高校の国語教師で長年、聖徳太子の讃仰研究を続けてきた桑原暁一先生はこういう疑問を抱いていた。先生が見つけた答えは次のようにものだった。

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 この疑間を解くためには、党心あって達りなきもので「あればこそ」、上下和睦して、はじめて事理通ふことができる、と読まねばならぬ。上下和睦してともに議を尽すこと、そのことが党心あって達りなきまゝに、それを超える方途である、といふのでなければならない。[1, p62]
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 これは単なる「解釈」などというようなものではなく、「太子と共に生きてこられた桑原先生にしてはじめて垣間見ることのできる世界ではなかろうか」と小柳先生は言う。その垣間見た世界を、桑原先生は次のように描く。

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このやうにして、太子にとって「和」とは私心を捨て去ることではなくして、お互ひに私心あるものなればこそ、衆とともに議を尽し、論を究めることによって、わづかに個々の私心を超えたもの、すなはち事理が実現されるといふのである。
自分が太子にとっての「和」とは、衆とともにより高きものを志向することである、といったのは、憲法第一条のこのやうな理解に基づいてゐるのである。[1, p63]
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■7.「『和』とは相共により高きものを志向するといふこと」

「和」とは、「衆とともにより高きものを志向すること」とは、その前に法隆寺五重の塔の美しさについて書かれた次の一文を指している。

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 両の手に広く衆生を抱きつゝ、急がず、あせらず、だんだんと衆生を上へ上へと引きあげて行く、といったらよいであらうか、またそれは「和」の形といってもよい。太子にとって「和」とは、相共により高きものを志向するといふことであった。[1, p67]
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「和」とは「相共により高きものを志向するといふこと」、すなわち、「忤ふ」「順はず」「違ふ」という「私心」に満ちた人間、「共に是れ凡夫のみ」の「凡夫」たちが、「衆とともに議を尽し、論を究めることによって、わづかに個々の私心を超え」て行く、ということであった。

 そうすることで、「何事か成らざらむ(何か、できない事があろうか)」と太子は結ばれる。この言葉について小柳先生はこう指摘する。

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 この「何事か成らざらむ」といふ、非常に張りつめた、緊張した言葉の調べに心をとどめていただきたい。・・・そこには太子のゆるぎない確信が表現されている。[1, p66]
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■8.十七条憲法が目指した「和」の世界

 聖徳太子の憲法十七条は、皇太子かつ摂政という高い地位にある人が俗世を知らないままに、大陸の思想家の文章を切り貼りして、道徳的なお説教を垂れた、などというものではなかった。

 少年の頃から、豪族間の争い、内戦、そして天皇暗殺という大事件まで起こした当時の国情をいかに変えていくか、そのために現実の人間性の醜さを凝視した上で、その私情をわずかにでも超えて、人々を「公」に向かわせていくための道が十七条憲法であった。

 そこで描かれた理想は、大陸や半島の専制君主による独裁政治ではなく、私情を抱きつつも公に向かう志を持った人々が「相共により高きものを志向する」という「和」の世界であった。それが現実の政治に具現したのが、大化の改新とその後の「公地公民」の国づくりであったことは、拙著『比較中学歴史教科書』[a]で述べた通りである。
(文責 伊勢雅臣)

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■『聖徳太子十七条憲法』を皆で読んでみませんか■

「日本の心を学ぶ連続講座」第1期テーマを「公と私」とし、その第3回聖徳太子『十七条憲法』を下記要領にて開催します。

日時:令和元年8月3日(土)午後2時00分~午後4時30分
場所:港区立三田いきいきプラザ集会室 B
詳細・申込: http://kokubunken.or.jp/japanese-mind/
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■おたより

■聖徳太子の精神を具現している日本のスポーツチーム(實さん)

「日本人は個人の時よりも、チームで取り組む時の方がはるかに力を発揮する」とのこと。その通りと思います。
女子スケート追い抜きチーム、男子陸上400メートルリレーチームを、聖徳太子の精神を具現しているとほめてあげてくださるようお願いします。

■伊勢雅臣より

 褒めるなどというのは、おこがましいですが、団体スポーツも日本人が和の力を十二分に発揮している分野ですね。


■「民は由らしむべし、知らしむべからず」への違和感(猫親父さん)

 日本は1500年近くの歴史の中で「和」の心を磨き上げてきたのですね。和のハーモニーとの解釈は、「自制ある(謙虚な)個」が「生かされる個」となって全体に寄与する仕組みがよく理解できます。

 この話から論語泰伯第八の「子曰く、民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」を思い起こします。民衆への教化の困難さを為政者に教訓的に語った言葉ですが、正しく理解している人は少ないと思います。2500年前の中国大陸に住む民衆の特性を見抜いた孔子様の言葉ですが、日本人への適用には違和感があると永く思い続けていました。

 仕事で中国各地を訪れた際、都市部は別として中国人は2500年の孔子様が見た「民」から不変と感じました。儒教関係の書物では孔子様の言う「民」は庶民とか生民等、ワンランク下の教化不能な者達との印象が強く、民度が比較にならない日本人が何故部分的にせよ儒教の影響を受ける必要性があったのかと思い続けていました。

 本号で和の前提としての日本国民を「生民」と前提しない聖徳太子の姿勢に彼我の差を感じた次第です。確かに日本は中国文化の影響が大ですが、国民全てに向上心を期待する1500年前の宣言が中国人とは次元の異なる国民性を育んだのは確かと思います。日本人であることに誇りを感じ、また元気のでるお話に感謝いたします。

 国際化時代の現在、我々の重要課題は聖徳太子が見た「国民」の範囲をどこまで拡げられるのか、という点ではないかと感じております。また「一億総活躍」の背景に見える向上心前提の国家運営が曲がり角に来ている気も致します。


■伊勢雅臣より

 確かに、聖徳太子は民を「由らしむべし、知らしむべからず」などとは考えていなかったと思います。太子にとって、国民は共に向上すべき存在でした。



■リンク■

a. 伊勢雅臣『比較 中学歴史教科書-国際派日本人を育てる』、勉誠出版、H30
アマゾン「中学生の社会」1位、「教科教育 > 社会」1位、「日本史」11位、総合252位(H30/11/10調べ)
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 国民文化研究会編『入門・聖徳太子十七条憲法』★★★、
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入門・聖徳太子十七条憲法
入門・聖徳太子十七条憲法

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