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zoom RSS No.1115 天安門事件は「もう終わったもの」か?

<<   作成日時 : 2019/05/25 06:06   >>

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 この30年、中国共産党政権は巧みな手口で、天安門事件を「もう終わったもの」と糊塗してきたが、、、

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■1.「居酒屋のテーブルに顔を伏せて嗚咽を漏らし続ける石平氏」

「この人の本当の人生は、実は一九八九年六月四日に終わっているのではないか? ・・・居酒屋のテーブルに顔を伏せて嗚咽を漏らし続ける石平氏を見て、私はそんな思いが頭から離れなかった」[1, p216]

 1989(平成元)年6月に起きた天安門事件[a]から30年。民主化を求めて立ち上がった学生や民衆を戦車と銃で鎮圧し、数千とも万とも言われる犠牲者が出たとされる。当時、石平氏は日本留学中だったが、この事件で何人かの知人を失った。[b,c]

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石平 私は彼らの名前も出身地も、当時の学年も所属学科も、一緒に未来を語り合ったときの雰囲気も握手したときの手のぬくもりも、すべて明確に覚えている。でも、どんなに頑張っても彼らの顔を思い出せない。……なぜか、本当に思い出せない。おそらく思い出したら私の精神はもたないんです。[1, p95]
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 自分の精神を守るために、本能が記憶の一部を封印してしまう事があるそうな。石平氏にとって、天安門事件で失った知人たちの顔はこのケースなのだろう。

 天安門事件の詳細なルポ『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した安田峰俊氏と石平氏が語り合った『天安門30年 中国はどうなる?』[1]の一コマである。天安門は石平氏にとって、いまだ直視し得ない事件であった。

 一方、安田氏はこう言う。

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安田 私は仕事でもプライベートでもさまざまな中国人に会うわけですが、事件をリアルタイムで知る世代と知らない世代では、世界観や自国(=中国)観が根本的に違う。政府や権力に対する怖(こわ)がり方や、社会への信頼感の持ちようが明確に違うんです。[1, p16]

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「その謎を解きたい」と安田氏は、石平氏との会談に臨んだ。

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■2.トウ小平と知識人たちとの「契約」

 二人の対話は、「そもそも天安門に至る民主化運動の本質はなんだったのか」から始まって、「現在の習近平政権とその後の展望」にまで広がっているが、その中で筆者にとって最も印象的だったのが、中国共産党政権が事件を巧みに封印した手口だった。

 天安門事件の直後から中国は3年ほど迷走の期間があったと、安田氏は指摘する。

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安田 八〇年代の自由な雰囲気の中で育った学生が反抗したので、陳雲(ちんうん)なんかの保守派の長老にしてみれば「それ見たことか」となった。
 この時期は東欧の社会主義国に加えて、一九九一年にはついに社会主義の大親分であるソ連まで崩壊してしまいましたので、西側陣営が中国国内の世論に介入して体制転覆をはかっているとする「和平演変(えんぺん)」を警戒する声が強まった。・・・
 当時の中国の社会は、沈黙の中にあったようです。天安門事件を機に海外からの投資がいっせいに引き揚げて経済が停滞し、中国へ旅行に行こうと考える外国人もいなくなります。実際に当時を知っている人たちの話でも、社会はピリピリし続けていたといいます。そんな、死んだ沈黙の時代が、三年続いた。[1, p88]
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石平 では、そんな天安門事件の後遺症をどうすれば克服できるのか。党の側が出した一つの答えが「南巡講話(なんじゅんこうわ)」で、一九九二年、トウ小平が打ち出した市場経済の大幅な容認政策です。実は中国共産党が市場経済化、すなわち社会主義市場経済を認めたのは九〇年代からのことです。[1, p70]
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 石平氏は「中国の経済発展は、天安門事件から始まったといえる」と言う。

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石平 つまりトウ小平は、天安門事件の後遺症を克服するために、政権と敵対するエリート階層、知識人たちとの間で「契約」を結んだわけです。その契約の内容とは、「市場経済による金儲けのチャンスを与える」です。日本で「金儲けのチャンス」というと普通に聞こえますが、中国人にとっては一九四九年以来初めてのことなんです。
自分の努力次第で(もちろん悪いほうの努力も含めて)お金持ちになれるというのは、中国人にとっては衝撃です。そうなると大半のエリートたちがいっせいに市場に参入します。しかしこの契約にはもう一つ、「その代わり二度と反政府的な言動をするな、二度と政治に関心を持つな」という意味もありました。[1, p72]
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■3.「この契約を受け入れて金儲けすれば、、、」

 その「契約」に乗ったのが、たとえば石平氏の友人E君。北京大学でよく酒を飲みながら、中国の未来について激論を交わしていた。天安門の当時は、出身地の東北(旧満洲)地方で大学講師をやっていたが、北京へ戻ってきて最後まで戦い、しかも生き延びた。

 その後、しばらく東北に潜伏していたが、やがて南巡講話によって市場経済化が始まると、地方にある国有銀行の副頭取だった叔父に融資してもらい、不動産開発を始めて大金持ちになった。

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石平 彼は開発のために共産党の幹部にたくさん賄賂を渡したと公言していました。しかし彼には彼の論理があって、「自分は昔、共産党との闘いで敗れたが、今度こそ勝つ。共産党幹部は俺のカネの力の前に跪(ひざま)ずいた。カネの力で共産党を変える」というわけです。[1, p75]
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 石平氏はこの発言を聞いて、E君が心の底でまだ反骨心を持っていたことに、少しは嬉しかったという。

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 ただ、おそらく周囲の人間の大部分は彼の心の底に何があるかを知らず、「金持ち」というアイコンしか認識していない。政権側からすれば、やはり彼のような人間の登場はしてやったりでしょう。
「権力に対して反抗的な人間、天安門事件で絶望して共産党政権に敵意を抱く人間、あるいはそれでもまだ中国を変えようとしている人間──。そうした連中がみんな、この契約を受け入れて金儲けすれば彼のように大金持ちになって成功するじゃないか」というわけです。[1, p76]
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■4.西洋式「デモクラシー」と中国式「民主」の認識の「ズレ」

 トウ小平が亡くなったのは1997年だが、その後、江沢民、胡錦濤と2代の後継者を通じて、その方針は20年以上も継続された。安田氏は「天安門の学生運動の性質を、実は共産党はよく理解していた」という。

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安田 天安門の運動で若者たちを動かした動機には、民主化要求以外にもいくつかのレイヤー(層)が存在していました。それが「愛国」や「自由」です。江沢民政権は「天安門」で爆発した若者のパッションから「民主化」を注意深く除去し、「愛国」と「(経済的な)自由」のみを拡大して提示し、国民を慰撫(いぶ)することに成功した。・・・
 愛国に関しては「中国が好き」という気持ちですから、すごく明確です。自由に関しても、自由が何かを知らなくても何となく想像がつく。つまりは、自分のお金で好きなものを買って、好きな人間と交際して、好きな本を読んで好きなことを喋(しゃべ)ることですからね。しかし「民主」は漠然としていて想像がつきにくいものだった。[1, p80]
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 この「民主」が、西洋のデモクラシーとはやや意味がズレている可能性がある、と安田氏は指摘する。安田氏は天安門事件のルポを書く過程で多くの人の話を聞いたが、その中に事件当時26歳で北京大学の講師だった人がいた。一日中立ちっぱなしでデモをやっている熱血青年が、今は「牙を抜かれて会社の社長」におさまっている。天安門OBにはよくあるパターンだという。

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安田 彼が「(現在、似たようなデモが起きても)参加するかは微妙」「(自分の娘が仮に参加するとすれば)感心しない」と言ったので、その理由を尋ねると、「今は昔よりもずっと『民主』になったじゃないか」と言う(笑)。
「民主」になったとはどういうことか尋ねると、「新聞は昔よりも面白いことをたくさん書くようになったし、話せる話題も増えた。こういう商売でもちゃんとできる。『民主』じゃないか」と。そこからはもう深くは突っ込みませんでしたが、これぞまさに中国式の「民主」理解です。[1, p82]
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 本来の「民主」とは国民が政治的な自由と国政の決定権を持つことだが、中国では孟子の「民本」思想、すなわち「名君のよき統治のもとで民心が安定した状態」という中国人の伝統思想に置き換えられてしまった。この「ズレ」に、共産党政権は上手に乗っかっていると、安田氏は指摘する。石平氏もこう賛同する。

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石平 まことに腹立たしくもどかしい限りですが、そういうことですな。天安門事件後、中国共産党は「愛国」と「(経済的な)自由」だけを残し、「民主」を中国的民主に読み替えたのです。[1, p83]
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■5.「運動はなかったかのようにみんな自分の人生を歩み始めました」

 中国政府の工作の手は、事件当時、海外で活動していた留学生たちにも伸びた。

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石平 最初は「運動にかかわった人は帰国できない」とみんな覚悟を決めていましたが、中国政府も上手なもので、しばらくしてから「一切おとがめなし」と『人民日報』で宣言しました。それでみんな安心して帰国するようになった。
そして、帰国した中国の変化を目の当たりにして、運動はなかったかのようにみんな自分の人生を歩み始めました。人はそういうものですから、彼らを責める理由はないでしょう。[1, p116]
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 それでも帰国しない活動家たちには、中国政府のプロパガンダが浴びせられた。内ゲバや銭ゲバを取り上げられて「海外で民主主義運動をやっている連中は自分さえよければいいというようなとんでもない人間だ。理想や理念以前に人間としてダメなやつだ」というイメージが作られた。

 また、中国国内で一国一城の大企業の経営者だったのに、その地位をなげうって運動に参加した万潤南という人物は、今はニューヨークでタクシーの運転手をしながら生計を立てている。それを『人民日報』傘下の『環球時報』が「昔の民主化運動のリーダーは今このような悲惨な状況です」と底意地の悪い報道をする。


■6.「あの運動はもう終わったことにしたほうが」

 現体制に不満を抱く中国人エリートにとっては、もう一つの逃げ道ができた。海外に高飛びすることである。

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安田 極論、民主化運動をしなくても、シリコンバレーに行けば才能は発揮できるわけです。GAFA(Google, Amazon, Facebook,Apple)をはじめとした最先端のグローバル大企業に高給で雇われれば、デモをしなくても、中国どころか世界を変えることができる。
 そうなってくると、中国の体制に不満を持つ層の中でも知的に優れた層は、デモをして逮捕されて人生がご破算になるようなリスクを背負わなくていいわけです。チケットを一枚買って外国に行けばそれでハッピーですから。[1, p203]
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石平 結局、大きな環境変化の中で、ごく自然に大半の人々がそれぞれの生活に戻り、運動はあっという間に歴史になってしまった。
私も神戸大学で修士課程・博士課程を取りましたが、天安門事件後には留学生のほとんど誰もこの話には触れなくなりました。意図的に触れない。それは一種の集団的共謀であって、あの運動はもう終わったことにしたほうがみんなにとって都合がよかったからです。[1, p117]
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■7.「劉暁波という灯火」

 しかし、中国政府の巧みな工作に乗らなかった人物がいた。その一人が作家・劉暁波(りゅうぎょうは)氏だった。1989年に民主化運動が勃発した際、劉はアメリカ・コロンビア大学の客員研究員の立場をなげうって帰国し、運動に身を投じた。天安門事件では学生たちに武器を捨てるよう説得する一方、軍と交渉して衝突を防ごうとした。

 事件後「反革命罪」で投獄され、多くの政治リーダーが欧米からの中国政府への圧力で出国許可されるなかで、あえて国内に留まり、事件の殉難者の名誉回復と人権保障などを呼びかけて、さらに二度の投獄や強制労働を受けた。

 2008年には中国の大幅な民主化を求める「〇八憲章」を300名以上の知識人とともに実名で発表した。この発表により、「国家政権転覆扇動罪」による懲役11年の判決を受け、2010年にノーベル平和賞を受賞したが、17年には獄中にて病死した。

 天安門事件そのものは、共産党政権の巧みな手口で、あたかも「もう終わったもの」にされてしまったが、その中で唯一、劉暁波の足跡が共産党にも消せない現実として残っている。石平氏は言う。「劉暁波という灯火が最後まで輝いたことが、我々にとって唯一の救いです。」[1, p136]

 中国共産党政権は国内では完璧な言論・報道統制を敷いているが、いまや多くの中国国民が海外に移住したり旅行したりして、政治的自由と民主主義を体感できる時代となった。

 中国共産党独裁政権の巨大な闇は世界を覆う大きさに拡大しつつある。その闇を中国国民が「劉暁波という灯火」を高く掲げて駆逐することができるかどうか。石平氏の思いは、日本国民全体にとっても他人事ではない。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(162) 天安門の地獄絵
 天安門広場に集まって自由と民主化を要求する100万の群衆に人民解放軍が襲いかかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog162.html

b. JOG(487) 中国の覚醒(上) 〜 中国共産党の嘘との戦い
 「毛主席の小戦士」から「民主派闘士」へ、そして「反日」打破の論客へ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog487.html

c. JOG(488) 中国の覚醒(下) 〜 日本で再発見した中国の理想
 中国で根絶やしにされた孔子の理想は、日本で花開いていた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog488.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 石平、安田 峰俊『「天安門」三十年 中国はどうなる?』★★★、育鵬社、R01
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594082297/japanontheg01-22/

■おたより

■中国が民主主義になったら収まりがつかなくなる(渡辺さん)

 伊勢様は民主主義というのが政治形態として最高と思っていらっしゃると思います。私は今の日本の政治を見ていると、本当に民主主義というのが他の形態に比べて優れているのだろうか、という思いも正直あります。

 おそらく、今の共産党幹部は中国が民主主義になったら収まりがつかなくなることを知っている。民主主義になったら中国は四分五裂して、昔のような隣国同士の小競り合いとかが増え社会不安が訪れると思っている。そうしないために現体制を維持し続ける、そのために民主主義活動を抑え込んでいるのではないでしょうか。

 そこには民主主義が最高の政治システムだという発想はハナからありません。

■伊勢雅臣より

 民主主義にも国の歴史、国民性により、いろいろな形態がありうると思います。少なくとも、英米型の民主主義が中国に向かないことは明白です。イギリスに学びながらも、安定しているシンガポールあたりが良いモデルになるかも知れません。

 弊誌で「民主主義」と言っているのは、日本型の民主主義で、「民本主義」と言われていた形態が、我が国の歴史と国柄にマッチしていると考えています。

「民本主義」については、いずれ取り上げます。



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