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zoom RSS No.1107 アジア山岳地域で学校を作る

<<   作成日時 : 2019/03/31 07:52   >>

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 定年退職後、谷川洋さんはアジア山岳少数民族の子供たちのために、学校作りを始めた。

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■1.ラオスの山岳少数民族の村へ

 2004(平成16)年10月、谷川洋さんはラオス第二の都市パセクの空港に降り立った。日本からタイのバンコクに飛び、そこから空路で首都ビエンチャンに入り、一泊。翌日、また飛行機に乗って、ようやくこの地に着いた。空港では現地NGO(非政府組織)の女性スタッフ二人が出迎えてくれた。

 いよいよ山岳少数民族の村に出発だぞ、と思った瞬間、ちょっと待ってください、と言われた。二人は飲料水、米、野菜、肉まで買い込んで、四輪駆動車の荷台にぎゅうぎゅうに積み込む。村人への手土産か、いざという時の非常食か、谷川さんには状況が飲み込めないまま、車は出発した。

 それからが長かった。空港から約3時間でサラワンという町に着き、そこでメコン川の支流を渡る。幸い、雨期が終わって水量も減っており、車は浅瀬を選んで、そろそろと渡った。その後、土砂崩れしたような山道を揺られること4〜5時間。途中で急停車したので、見ると道の真ん中で水牛が赤ちゃんを産もうとしていた。

 その日は現地NGOが自分たちの活動拠点として作った施設に宿泊。積み込んだ食料はここで自炊するためだった。

 この地域はラオスの中でもとりわけ辺鄙で、標高1500メートル級の山々が連なり、人口の半分以上が1日1ドル以下で暮らす貧困層だった。土地が痩せているために米も3〜6か月分しかとれない。食料の不足分は、自生しているたけのこ、きのこ、芋、虫を食べて凌いでいる。

 翌日、近隣の村々を訪ねて、いくつか学校建設候補地を見て回り、最後にたどりついたのがパチュドン村だった。


■2.「この小さな学校を絶対に支援しよう」

 村のはずれに小さな学校がポツンと建っていた。木造の粗末な校舎の前に一人の男の先生と、50人くらいの小学生が、谷川さんたちの到着を今か今かと待っていた。

 校合は3年前に現地NGOが建てたということで新しかったが、その隣の、先生が寝泊まりしているという小屋は、まさにあばら家で屋根も壁も隙間だらけ。先生はそこに住み込み、道が険しいために家から通えない子どもたちの面倒を見ているという。

 このナムゲルン先生は、子供たちの食費や学用品代を稼ぐために、村を訪れる行商人から商品を預かり、代理販売をしている。ラオスの先生は国家公務員でも月給が月5千円ほど。生活のために授業を休んでアルバイトに励む人も少なくない。初級の教員資格しか持っておらず、NGOに雇われたボランティア教員のナムゲルン先生は、さらに安月給だったろう。

 それでも読み書きを教えながら、寄宿させている子供たちの世話までしている。

__________
 世界にはまだそんな先生がいるんですね。先生の痩せ細った肩と真っ直ぐな瞳を見て、私は胸が熱くなりました。この小さな学校を絶対に支援しよう、そう思いました。[1, p47]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 このパチュドン村の小学校が、谷川さんがその後の13年間で、ラオス、タイ、ベトナム、中国南部の山岳地域で271校もの学校を作ってきた中の最初のケースとなった。


■3.「それなら目の前にいるよ」

 谷川さんが、アジア山岳地域での学校作りに取り組み始めたのは、このラオス訪問の8か月前、平成16(2004)年2月のことだった。総合商社での定年退職まであと2か月、第二の人生をどうするか考えていた処に、かつての後輩で日本財団に転職していた人から相談を受けた。

「アジアの辺境で学校づくりの手伝いをしてもいいよ、という人はいないだろうか」という。後輩の話では、日本財団はそれまでに200校を超える学校建設に助成金を出していたが、「つくったら終わり、という結果が多すぎる」という問題意識だった。

「学校建設の根本から変えたい。本当につくってよかったと思える、意義のある支援をしたい。その仕組みから考えてくれる人はいないだろうか」という問いかけに、谷川さんは答えた。「それなら目の前にいるよ」

 谷川さんの両親は教師だった。父親が山奥の自分の村の小学校に勤めていた時の同僚教師が、後の母親だった。子供の頃、福井大地震で家が潰れて九死に一生を得た時には、「いつか世のため、人のためになる人間に、絶対になろうや」と兄弟で誓い合った。谷川さんにとって、第二の人生でアジアの辺境に学校を作るという仕事は、まさに天命のように思えたのだろう。


■4.学校を持続させる力は

「つくったら終わり」にしない為に、谷川さんが考えたのが「学校建設」「住民参加」「国際交流」の3つの方針だった。「学校建設」はその名の通り、学校を作ることだが、日本からの一方的な援助で建物だけ作って、「はい、どうぞ」ではうまく行かない。その学校を現地の住民たちが自分たちのものとして支えていく、という「住民参加」が不可欠だ、と考えた。

 そのための進め方が「住民集会」である。現地を訪問し、住民に集まって貰って、まずは「学校づくりにかける、皆さんのパッション(情熱)を見せてください!」と呼びかける。すると「私は字が書けない。でも、子どもには書かせたいの!」と訴えるお母さんがいたりして、谷川さんは胸を打たれる。

 しかし、なかには「学校をつくってくれてもいいけど、子どもに勉強させたって先がないから意味ないよ」という大人もいたりする。勉強しても食べていけない、そんな時間があるなら家の手伝いをしてほしい、という本音だった。

 こういう時には、谷川さんは「学校をつくると村も良くなる」という「夢」を育てる所から始める。そもそも山岳地域の少数民族は公用語のラオス語を話せない人が多く、山を下りても仕事に就けないし、騙されやすい。しかも民族の誇りがあるから、先祖代々受け継がれた土地や文化から離れたがらない。

 こういう人々に谷川さんは、公用語が話せるようになると、村の外から来た人に騙されて、人身売買や搾取されたりする危険が少なくなる。衛生習慣が身につき子供が健康に育つ。学校の敷地に畑をつくって農業指導するから、家の作物も収穫が増える、などと説く。

 こうして村人たちの本気度を高める。同時に「そこまでの学校にするなら、自分たちも関わりましょうよ」と促す。土地を広げる、整地する、資材運びをする、それくらいの気概を見せてほしい、と言う。こうして村人たちの本気度を確かめた上で、それなら日本から援助を取り付けましょう、と谷川さんは約束する。

__________
 私たちは校舎という箱物をつくる手伝いはできても、それがうまく活用されるかどうか、そばで見張るわけにはいきません。学校を持続させる力は、その土地の人たちの学校に対する思いにかかっています。[1, p59]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■5.「住民参加」による自助努力

 谷川さんが最初に訪問したパチェドン村では、周辺の13か村の子供たちも学校に通わせたいという希望があった。野生のトラの取り合いで、30年来、いさかいが続いている村々もあったが、「いがみあっている場合じゃない。子どもたちのために力を合わせよう」と村人たちは誓い合った。

 村人たちが力を合わせ、日本からの援助も加えて校舎が完成すると、近隣の子供たちが集まり、生徒数は100人を超えた。学校が大きくなると政府から先生が追加派遣され、3人に増えた。この先生たちがまた熱心で、教科書や文具に乏しい山奥の学校での教え方を研究し始めた。

 やがて、小学校ができても中学校がなく、進学できないことが課題となった。一番近い中学校でも車で1時間20分くらいかかり、下宿するにも年間3万円もの費用を払える家などない。

 悩んでいる内に、国の教育省が中学校の開設も許可し、教師も1人派遣してくれるという。日本でもそのころには、谷川さんの活動を知って、資金援助をしてくれる財団や企業がポツポツと現れていた。

 そこで、中学校舎2棟、遠くから通う生徒のための民家風の男子寮、女子寮、さらには幼稚園と、施設は広がっていった。学校建設を始めてから10年で全校生徒数は約400名に達し、敷地面積も村人たちの開墾により10倍。その一画の畑ではインゲンやキュウリ、青菜が栽培され、鶏小屋やナマズを養殖する池までできた。

 こうして村人たちの本気度が、学校を息長く成長させていった。そして学校が単なる建物ではなく、村の中心として精神的な支えとなっていったのである。このように村人たちの「住民参加」で作られた学校271校で、潰れたのは一校もない、という[2]。

 国連では「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」を決め、その中には教育も取り上げられているが、先進国が施し物として箱物を作って「はい、どうぞ」、ではうまくいかない。真に「持続可能」にするには、村人たちの共同体を通じた自助努力を引き出さねばならないのである。


画像
パチュドン小学校 認定NPO法人 AEFA アジア教育友好協会ホームページより


■6.「ワンコイン・スクール・プロジエクト」

「学校建設」「住民参加」に続く3つめの柱が「国際交流」だ。これは現地校と日本の学校がフレンドシップ協定を結んで交流する制度である。当初は日本で参加してくれる学校を見つけるのに谷川さんは大変な苦労をしたが、徐々に手を挙げてくれる学校が増えていった。

 日本からは学校の様子を描いた壁新間を送ったり、ラオスから送られてきたカボチャや唐辛子の種をまいて育てたり、というような交流を深めていった。

 ラオスのパチュドン小学校とフレンドシップ協定を結んだ東京都の武蔵村山市立第8小学校では、生徒たちがお手伝いなどで貯めたお金を寄付して、現地の学校作りに役立てようという動きが始まった。「ワンコイン・スクール・プロジエクト」である。このプロジェクトに全国16校が参加し、集まった募金を活用して2010(平成22)年2月にできたのがポンタン小学校だった。

 その開校式では5年生、12歳のティン君が「日本のみなさまへ」と題して、次のようなお礼を述べた。

__________
 これまでの学校は、かべもなくて、十分な設備がありませんでした。強い風がふくたびに、みんなで修理しないといけないような学校でした。
それが、今までに見たこともないような、とってもステキな学校になって、本当にとってもうれしいです。・・・

わたしは、これから勉強をがんばることを約束します。
将来、自分の村や郡・県のために役立つ人間になります。
そして、ずっと学校をきれいに使うことを、約束します。[1, p126]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 東日本大震災が起きた時は、現地の子供たちが「今度は自分たちの番」と言わんばかりに励ましのメッセージを書いてくれたり、募金までしてくれた。朝ご飯やおやつを我慢して、2円を貯めて差し出してくれた1年生も何人かいた。

 交流を通じて、日本の小学生たちの利他心が引き出され、それがラオスの小学生たちにも広がっていったのである。


■7.「今度は自分たちの番」

 アジア山岳地域と日本の子供たちの交流を通じて、相互に学ぶ事は多かった。

 たとえば、ラオスの教室には鉛筆1本、消しゴムー個、紙切れ一枚、落ちていない。一人一人が物を大切に使っているからだ。武蔵村山の小学生たちは、回り出すと勝手に逆立ちをする「逆立ちゴマ」を一人に一個ずつプレゼントした。ラオスの生徒たちは、それを貰うにも、決して自分から手を出さない。目の前に差し出されて、胸の前で手を合わせてから、いただく。

 そういう話を谷川さんが「出前授業」で日本の生徒たちに話すと、そんな日の給食は誰一人残さなかったりする。夕食時には家族とこういう話で盛り上がり、時には祖父母も「おじいちゃんの子供時代はそうだったんだよ」と話に加わったりする。

 ある時、谷川さんは日本の小学生たちがトイレ掃除をしている写真を現地で見せた。すると、今までそんな習慣のなかった現地の生徒たちも「すごいなあ、見習おう」といって、トイレ掃除を始めた。それを日本の小学生たちが知って、自分たちがやっていたことが世界から見るといかに立派なことだったのか、誇らしく感じた。[a]


■8.日本の小学生がアジア山岳地域の小学生から学ぶ事

 谷川さんは現地を歩いていて、日本と違うなと気づいたことが3つほどあるという。第一に、先生が尊敬されていること。先生が生徒を叱った事に対してクレームをつけるような親はいない。第二に、給料が低いのに、教育熱心な先生が多いので、村人たちが食べ物をお裾分けしたりして、先生を大事にしている。第三に生徒が本気で勉強していること。授業中に私語する生徒なぞいない。

 おそらく、日本でも明治時代の先生や生徒、親はこういう姿勢だったのだろう。それが生活が豊かになるにつれて、この教育の原点を忘れてしまっていた。

 ものを大切にすること、今の恵まれた生活に感謝すること、困っている人を助けること、先生を尊敬し一生懸命勉強すること、、、日本の小学生が、アジア山岳地域の小学生から学べることもたくさんある。

 物質的な豊かさの中で、精神的な豊かさを忘れてしまった我が国の教育では、この先も「持続可能」とは決して言えない。精神が貧しくなれば、物質的な豊かさも維持できないからだ。谷川さんのアプローチは、日本とアジア山岳地域の子供たちが互いに助け合い、教え合う「持続可能」な教育を実現している。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本の教育』、育鵬社、H29
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アマゾン「日本論」カテゴリー 1位(8/3調べ)、総合41位


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 谷川洋『奔走老人』★★★、ポプラ社、H28
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2. 谷川洋「人のためになる喜びほど崇高な喜びはない」、『致知』H3003


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