「岩倉具視(後編)-王政復古後の朝廷改革と天皇中心の国体論」伊藤哲夫、『明日への選択』H3005

・大隈の急進的なイギリス流の国会開設主張を岩倉は却下し、大隈を罷免。日本の伝統、皇室制度に立脚した憲法を制定すべく、伊藤博文を1年半の憲法調査の旅に送り出した。

・明治16年7月、病に倒れた岩倉は死期を覚り、医師ベルツに頼んだ。「もうすぐ伊藤が帰ってくる。その伊藤にどうしても伝えねばならないことがある。これは決して自分一身のことではない」

・岩倉危篤の報を受けた明治天皇は、最後の別れにと病床の岩倉を見舞われた。岩倉は家人に助けられて半身を起こし、ただ合掌することしかできなかった。その姿に天皇は落涙され、数刻、岩倉と見つめ合ったままであった。

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「明日への選択」日本政策研究センター
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