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zoom RSS No.1030 保守自由主義者たちの戦い

<<   作成日時 : 2017/10/15 07:48   >>

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 左右の全体主義から議会制民主主義と自由市場経済を守ろうと、保守自由主義者たちは戦ってきた。

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■1.変節を繰り返した東大法学部教授

 昭和13(1938)年、東京帝国大学法学部2年生の小田村寅二郎は無期停学処分を受けた。論文「東大法学部における講義と学生思想生活」で「恩師を誹謗した」という理由である。その恩師とは法学部教授で憲法学を教えていた宮澤俊義だった。

 宮澤教授の手になる300ページものテキスト「憲法講義案」では、第4条の「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬(そうらん)シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」という「統治権上の最重要事項に関しては、奇怪至極にその条文すら、テキスト中に一ヶ所も記載せられておらなかった」と小田村は批判した。[1, 2945]

 Wikipediaは宮澤俊義をこう記述している。[2]

__________
 学説は変節を繰り返した。戦前、大日本帝国憲法の講義の際、「憲法第一条から第三条まで、これは伝説です。講義の対象になりません。省きます」として進歩的立場を示した。

 美濃部達吉の天皇機関説が批判されると、「憲法略説(岩波書店)」では「皇孫降臨の神勅以来、天照大御神の新孫この国に君臨し給ひ、長へにわが国土および人民を統治し給ふべきことの原理が確立」、・・・と、その主張は神権主義に変化した。[2]
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 戦後は、占領軍の意に沿って、天皇は「『めくら判』をおすだけのロボット的存在」などとまで言った。その時々の支配勢力に迎合して自説を恥ずかしげもなく変える人間であった。そのような人間の教える東大法学部での憲法講義の学問のおかさしさを、小田村は果敢に批判したのである。

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■2.美濃部達吉の「天皇主権説」批判

「天皇機関説」を唱えたとして弾圧された美濃部達吉は、宮澤俊義の師であった。帝国憲法第4条では「天皇は統治権の總攬者」とは規定しても「主権者」とは書いていない。しかも「憲法ノ條規ニ依リ」とは、明らかに立憲君主制を規定したものと指摘して、おなじ東大の上杉慎吉の唱えた「天皇主権説」を批判した。

__________
 君主が統治権の主体であると言えば、統治権が君主の御一身の利益のために存する権利であるという意味に帰するのであります。しかしながら君主が御一身の利益のために統治権を行わせらるるので あると言うのは、実に我が古来の歴史に反し、我が現在の政体に反するの甚だしいものであります。[1, 1353]
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 美濃部の見解は、ひたすら民の安寧を祈られてきた歴代天皇の歴史伝統に基づき、かつ「万機公論に決すべし」との五箇条のご誓文や、立憲君主制を定めた帝国憲法の精神に則った学説であった。昭和天皇もこの学説を支持された。

 これを上杉慎吉の「天皇主権説」の影響を受けた「右翼全体主義者」たちが、「国体に反するものだ」と非難したのである。彼らこそ「国体」を唱えつつ、国体を破壊する者たちだった。彼らは美濃部に毎日のように脅迫状を送り、不敬罪として告発し、これに同調した内務省は美濃部の著書の販売を禁止し、ついに美濃部は貴族院議員の辞職を余儀なくされた。

 美濃部は戦後も、占領軍は憲法改定の権限を有しない、として新憲法の有効性について疑義を呈した。弟子の宮沢俊義とは対照的に、伝統的な「保守自由主義」を貫き通した硬骨漢であった。


■3.「これを右翼といふも可、左翼といふも可なり」

 昭和15(1940)年10月、第2次近衛文麿内閣のもとで、大政翼賛会が成立し、他の政党は解散させられて、議会制民主主義が抑圧されていった。

 小田村は停学処分後、全国で2千名以上の学生を組織して、「日本の歴史と伝統に基づく学風改革、政策研究」のために「日本学生協会」を設立した。大政翼賛会と連動した文部省は小田村を「無期停学処分」から「退学処分」とし、日本学生協会の会員学生たちを弾圧し始めた。学内の問題を新聞記者に語ったというだけで停学処分にされる、という事件が各地で頻発した。

 大政翼賛会は近衛のブレーンであった「昭和研究会」が理論的支柱となっていた。この研究会ではヒトラーの一党独裁を理想視する革新官僚・学者などの右翼全体主義者たちに混じって、彼らの衣をかぶった左翼全体主義者たちも蠢(うごめ)いていた。のちに、ソ連のスパイとして逮捕された尾崎秀実(ほつみ)もその一員であった。

 後に近衛は、政権当時は「何者か眼に見えない力にあやつられてゐたような気がする」と回想し、昭和天皇への上奏文に「これを右翼といふも可、左翼といふも可なり、所謂(いわゆる)右翼は国体の衣を着けた共産主義者なり」と記している。[a]

 右翼全体主義者たちは、ヒトラーのナチス一党独裁を理想と捉え、左翼全体主義者たちは、スターリンの共産党一党独裁を目指した。議会制民主主義を否定する全体主義者である事には変わりない。


■4.大政翼賛会は帝国憲法に違反している

 この大政翼賛会に阿諛追従(あゆついしょう)したのが宮沢俊義だった。「大政翼賛運動の法理的性格」という論文を発表して、こう主張した。

「万民翼賛は肇国以来のわが憲法上の大原則であり」、「大政翼賛運動は、従来の万民翼賛をもって不十分とし、それをいっそう現下の時局に即する意味において実効的ならしめることをその目標とするかぎりにおいて、帝国憲法の精神をいよいよ発揚させるものというべきである」[1, 2506]

 真に「万民翼賛」を目指すなら、万民が政治参加する民主政治に向かうはずで、一部の権力者が万民を隷従させる専制政治を「万民翼賛」と言いくるめた詭弁である。これに敢然と挑んだのが京都大学教授だった佐々木惣一(そういち)だった。

__________
 帝国憲法によれば、特定の一の者が、恒久的に、わが国の一般政治を担当するものと、定められることは、絶対に許されない。(中略)
 昔時わが国において見たる幕府の時代にあっては、特定の個人およびその子孫が、恒久的に、わが国の一般政治を担当する者と定められていたのである。(中略)しかし、かかることは、今日は認められないのであって、天皇もこれをなし給うことはない。
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 として、一党独裁、少数専制は議会制民主主義を前提とする帝国憲法に明確に違反していると批判したのである。


■5.「永久戦争論」批判

 小田村は退学させられても屈しなかった。昭和16(1941)年2月、出光佐三など財界有志の支援を受けて、民間シンクタンク「精神科学研究所」を設立した。すぐに『支那事変解決を阻害するもの』という小冊子を発行し、昭和研究会の掲げている「永久戦争論」を批判した。

「天皇陛下は勅語・勅諭でいつも『一日も早く目的を達して戦争を終結するように』とおっしゃっているではないか、戦争という非常事態は本来短期終結をめざすべきではないか」と訴えたのである。「天皇主権」「万民翼賛」などと言いながら、天皇も国民も望まない方向に左右の全体主義者たちは国家を引っ張っていたのである。

 尾崎秀実ら昭和研究会のメンバーたちは、支那事変解決のために日本は帝国主義的体質を改めて社会主義的な経済体制に移行すべき であり、そのためには「東亜百年戦争」を戦い抜くべきだと論じていた。この動きの裏には、共産主義者がいる、と小田村らは見抜いた。

 果たして、その年10月、尾崎・ゾルゲ事件が発覚した。尾崎は「東亜百年戦争」を煽って、日本と蒋介石政権を戦争で疲弊させ、共産革命を実現させようと図っていたのである。尾崎は右翼全体主義の衣をかぶった左翼全体主義者であった。


■6.山本勝市の「計画経済の根本的誤謬」

 昭和14(1939)年12月に出版され、大政翼賛会設立へのレールを敷いたのが朝日新聞論説委員・笠(りゅう)信太郎のベストセラー『日本経済の再編成』であった。笠は尾崎と共に昭和研究会の中心メンバーであり、国家総動員法を推進し、大政翼賛会設立の推進力となった。笠はこの本の中で計画経済を主張し、近衛新体制の経済政策に大きな影響を与えた。

 この計画経済への志向を徹底的に批判したのが、小田村らを支援していた自由主義経済学者・山本勝市であった。山本は文部省の研究員としてフランスやモスクワに滞在してソ連の実態なども研究し、自由主義経済こそに正しい道であると確信した人物だった。

 しかし当時は昭和恐慌の影響で自由市場経済は行き詰っているとみなされ、逆にナチス・ドイツやソ連の経済的躍進から、統制経済になれば軍備充実も国民生活安定も何でも達成できる、という夢が広まっていた。

 これに対し山本は論文「計画経済の根本的誤謬」の中で、支那事変下の「戦時経済」という大義名分のもとで、統制経済を目指す政府の動きを批判した。その統制経済が市場調整作用を歪め、国民経済を破壊することになるとの論陣を張った。

 この批判に怒った東條内閣は、山本を文部省から追放した。山本勝市は戦後、自民党から国会議員となって、戦後日本の自由主義経済政策を牽引した。


■7.東条内閣批判

 昭和16(1941)年12月8日、ついに大東亜戦争が始まった。真珠湾攻撃、マレー沖海戦、シンガポール陥落と緒戦の勝利に国民が熱狂する中で、小田村たち精神科学研究所のメンバーは、戦争終結への方途の検討すらしていない東條内閣を、文書や講演会で激しく批判していった。

 そもそも開戦の詔勅では、昭和天皇は開戦を「豈朕カ志ナラムヤ(どうして私の志であろうか)」と明言されている。

 開戦の大義名分は、アメリカによる石油禁輸措置が「帝国ノ生存ニ重大ナル脅威」を与えていたことであり、インドネシア、マレーシア、フィリピン、香港攻略で資源確保という戦争目的を達した以上、一刻も早く戦争を終わらせる必要がある。さもないと左翼全体主義者たちの敗戦革命論に乗せられてしまうというのが、小田村らの危惧であった。

 この批判に対して東条首相は自らの直属である東京憲兵隊に命じて、昭和18(1943)年2月、精神科学研究所メンバーを一斉検挙し、「反戦・反軍・反国家の不逞の徒」との烙印を押した。当初、東条は警察に検挙を打診したが、警察は彼らの真剣な活動に理解を示しており、動かなかった。そのため東条はやむなく配下の憲兵隊を使ったのである。

 しかし結局、起訴はできず、100日余りの留置で釈放されたが、この間に当局は精神科研究所の支援者たちに圧力をかけて資金源を断ってしまったのである。


■8.保守自由主義の政治伝統

 小田村らの危惧通り、東条内閣は緒戦の勝利にもかかわらず停戦の機会を掴めず、4年近い総力戦の末、国土は灰燼に帰して、敗戦に至った。開けて昭和21(1946)年元日、昭和天皇は『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾(こいねが)フ』との詔書を発せられた。

 この詔書は俗に「人間宣言」といわれるが、占領軍の意向で入れられた「天皇ヲ以テ現御神トシ」云々の部分は最終段落の数行でしかない。それよりもこの詔書の本旨は冒頭に五箇条の御誓文の全文を引いていることである。御誓文をこの詔書に入れることは、昭和天皇ご自身が提案され、占領軍の許可を得て急遽加えられたものだった。天皇は後にこう言われている。

__________
 それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。・・・民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。[3]
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 占領軍自体にも共産主義者が混じっていた[b]こともあって、右翼全体主義者による軍国主義が日本を侵略戦争に駆り立てたとの日本罪悪史観を流布させた。占領軍が引き上げた後も、左翼全体主義は残って、この自虐史観を執拗に広めてきた。

 その結果、我々は右翼全体主義と保守自由主義の区別がつかなくなってしまった。同時に左翼全体主義の恐ろしさを見失ってしまっている。小田村寅二郎らは、戦後も保守自由主義の立場から、左翼全体主義が歪めた戦後教育を正そうと「国民文化研究会」を結成し、多くの学生青年を指導した。

 議会制民主主義国家としての我が国の健全な思想学問を発展させるには、左右の全体主義者達の誤りを明らかにし、その狭間で戦ってきた保守自由主義こそ日本の政治伝統であることを学ぶ必要がある。[c]

 [1]の著者・江崎道朗氏は次のように宣言している。

__________
 われわれは、大日本帝国憲法に示された君民共治、議会制民主主義を守ろうとした佐々木惣一博士、自由主義経済を守り、統制経済に抵抗した山本勝市博士、そして弛緩した大学のあり方に疑問を呈し、早期和平を願った昭和天皇のお気持ちを踏まえ、支那事変の長期化に反対した小田村寅二郎ら「保守自由主義者」の系譜を受け継ごうとするものだ、と。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 筆者も小田村寅二郎の謦咳に接した一人として、この江崎氏の宣言に心からの賛意を示すものである。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog263.html

b. JOG(835) 日本「軍国主義」というプロパガンダの創作者たち
 70年前に米占領軍が創作したプロパガンダを、今も中朝韓や偏向マスコミが使っている。
http://blog.jog-net.jp/201402/article_3.html

c. 「自由は日本の政治伝統」、伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanontheg01-22/


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 江崎道朗『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』★★★、PHP新書、H29
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2. Wikipedia contributors. "宮澤俊義." Wikipedia. Wikipedia, 26 Sep. 2017. Web. 26 Sep. 2017.

3. Wikipedia contributors. "人間宣言." Wikipedia. Wikipedia, 9 Feb. 2017. Web. 9 Feb. 2017.


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