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zoom RSS No.1027 歴史教科書読み比べ(42): 満洲国 〜 五族協和の夢

<<   作成日時 : 2017/09/24 08:31   >>

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 満洲国建国はシナの領土への侵略だったのか?

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■1.満洲事変の記述

 蒋介石の北伐に続いて、満洲事変が起こる。東京書籍版(東書版)と育鵬社版の記述はそれぞれ以下の通りである。

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(東書版) 中国において日本が持つ権益を取り戻そうとする動きがさらに強まると、関東軍は1931(昭和6)年9月18日に奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し(柳条湖事件),これを機に軍事行動を始めました(満州事変)。[1, 218]
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(育鵬社版) わが国が権益をもった満州では,日本人による事業が順調に進んだため,日本人の移住者が増え,昭和初期には,20万人以上の日本人が生活していました。また満州には,わが国が権益をもつ関東州と南満州鉄道を守るための日本軍部隊(関東軍)が置かれていました。
 済南での日本軍との衝突以降中国では,国民党が中心となって, 日本の中国権益の回収を求める排日運動が強化されました。排日運動の激化に対し,日本国内では日本軍による満州権益確保への期待が高まりました。
 こうした情勢の中で,関東軍は問題の解決をはかって満州の占領を計画しました。1931(昭和6)年9月,関東軍は,奉天郊外の柳条湖の満鉄線路を爆破して中国軍による爆破と発表し,満州の各地に軍を進めました(満州事変)。[2, p226]
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 相変わらず、東書版の記述は短く、行間に多くの重要な史実が隠されている。


■2.日本の「権益」とは

 まず、両教科書で何度も使われている「権益」とは何か、をよく理解する必要がある。育鵬社版は「権益をもつ関東州と南満州鉄道」と表現している。

 関東州は遼東半島先端部で日露の激戦が繰り広げられた旅順港を含む。ロシアが清国から租借していたが、日露戦争勝利の結果、わが国は租借の権利をポーツマス条約でロシアから勝ち取り、清朝とも満洲善後条約を結んで、日本の租借地としたものである。ロシアとも清朝とも条約が結ばれた国際法上、正当な租借地である。

 南満洲鉄道は同じくポーツマス条約でロシアから鉄道施設と付属地を継承し、日本の出資により南満洲鉄道株式会社(満鉄)が設立されて、鉄道の近代化のみならず、農業、炭鉱、製鉄、港湾、電力など多彩な事業を発展させた。

 たとえば、今日の日本でも様々な外資系のホテルがある。外国企業が国内の土地を買い、投資をして建物を建て、日本人従業員を雇って経営をする。日本国内にあるからと言って、日本政府がそれを無理矢理接収しようとしたら完全な違法行為である。まともな先進国なら、そんな事は絶対にしない。

「日本が持つ権益を取り戻そう」という行為の実態は、こういう条約締結と資本投下により発展した日本の財産を、国際法も条約も無視して取り戻そうとする無法な姿勢であった。


■3.暴力的な排日行為

 その取り戻し方も、いかにも暴力的であった。通行中に日本人や登下校中の日本人生徒に脅迫や暴行を加える、列車の運行を妨害する、などの事件が、昭和2(1927)年からの4年間で、240件も発生している。視察中の関東軍の大尉と騎兵曹長が白系ロシア人、蒙古人の従者と共に殺害されるという事件も起きた。[3, p308]

 現代中国も、平成24(2012)年の尖閣諸島国有化に対して、大規模な反日暴動を起こしたが、まさに同じことが80年前にも行われた。そのような暴力的なやり方に、日本国民は憤激し、それが後の満洲事変に対する熱狂的な支持につながったのである。

 育鵬社版が「国民党が中心となって,日本の中国権益の回収を求める排日運動が強化されました」という点は、後で論ずる「リットン報告書」でも次のように批判されている。

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 われわれ委員会は、シナのボイコットは民衆運動であると同時に組織されたものであり、またボイコットは強い国民的感情から生まれ、それに支持されているといえども、これを開始または終息させることのできる団体(例えば国民党)によって支配され命令されたもので、確かに脅迫に近い方法によって強行されたものだと結論する。[a, 4, p284]
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 このような国際法と国際条約を無視した権益奪還要求と、それをごり押しするための暴力的な排日運動。これが当時の満洲が直面した実情であった。こういう脅威からいかに在留邦人の安全と日本の権益を守るか。関東軍の出した答えが満洲事変と満洲国建国だった。


■4.満洲はシナの一部ではない

 満洲国建国に関する両教科書の記述は、以下の通りである。

__________
(東書版)満州の主要地域を占領した関東軍は,1932年3月,清の最後の皇帝であった溥儀(ふぎ)を元首とする満州国の建国を宣言しました。日本が支配した満州国には,軍事的な目的もあって,日本からの移民が進められました。[1, p218]
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(育鵬社版) 日本政府は関東軍の動きをおさえようとしましたが,関東軍は満州の主要都市を占領し,満州の有力者の一部を味方につけ,その翌年,清朝最後の皇帝だった溥儀を元首とする満州国を建国しました。事態がこのように動くなか,政府も関東軍の行動を追認しました。[2, p227]
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画像


 両教科書とも、「清朝最後の皇帝だった溥儀を元首とする満州国」という表現は同じである。この点の重要性は、もう少し説明が要る。

 まず、清朝は満洲人の王朝であって、満洲から出て、シナ大陸全土を支配した。満洲人が漢民族とは、言葉も習俗も異なる、全く別の民族であるのは、日本人が漢民族と別民族であるのと同様である。したがってシナ人は清朝の植民地支配を受けていたに過ぎない。満洲人はシナ全土を支配したのだが、シナ人が満洲を支配したことは歴史上、一度もない。

 蒋介石政権は、清朝の支配から独立しただけで、清朝の版図全体を継承する権利など全くない。それは大英帝国から独立したインドが、他の大英帝国の領土、たとえばブリテン島の所有権を主張できないのと同じ理屈である。

 満洲王朝である清朝の最後の皇帝が満洲族の故地に戻って元首となるということは、インド皇帝を兼任していた英国王が、インドを失った後、故地であるブリテン島の王に戻るのと同じである。

 満洲人が満洲の地で、満洲王朝の最後の皇帝を迎えて、満洲国を建国するというのは、近代的な民族自決の原則にも適合する。満洲国においては、元首だけでなく、首相以下すべての大臣は満洲人か、清朝の忠臣たちであった。実務は日本人が担当していたが、近代的な国家運営をするには、日本人が必要だった。

 満洲国を日本の傀儡国家と批判するのは自由だが、異民族の蒋介石政権に侵略され、今日の満洲、内モンゴル、ウイグル、チベットのような植民地支配を受けるよりも、はるかにましだった。

 なお、両教科書とも満「州」と表記しているが、満洲人は五行説で自分たちは水に縁があると考え、「清」や満「洲」など、さんずいをつけた。それを戦後、シナに吸収された後は「満州」と呼ばれ「満族の土地」というほどの意味とされた。これでは中華王朝の下での少数民族の土地のように思われてしまう。さらに現在は「満州」さえ使わせずに「中国東北部」などと呼ばせている。


■5.「喧嘩両成敗」のリットン報告書

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 中国は,国際連盟に対して,日本の軍事行動を侵略であると訴えました。国際連盟は,1933年に開かれた総会で,リットンを団長とする調査団の報告に基づき,満州国を認めず,日本軍の占領地からの撤兵を求める勧告を採択しました。これに反発した日本は,国際連盟を脱退しました。[1, p218]
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 後で述べるように、リットン調査団の報告を受けた国際連盟の総会報告書は、「喧嘩両成敗」の内容であった。この東書版の記述は、日本への「成敗」しか書いていないため、日本だけが一方的に断罪されたように読めてしまう。この点は育鵬社版の方が史実に沿って、正確に描かれている。

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 満州事変に対して,国際連盟はリツトン調査団を派遣しました。調査団は中国側の排日運動を批判して日本の権益が侵害されていたことを認めつつも,満州国を独立国家とは認めませんでした。
1933(昭和8)年,国際連盟の総会も満州国を認めず,日本軍の満鉄沿線への撤兵を求める決議を可決したため,日本政府はこれに反発して連盟を脱退しました。その一方で中国政府とのあいだで停戦協定を結び,事変を決着させました。[2, p228]
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 国際連盟は「中国側の排日運動を批判して日本の権益が侵害されていたことを認めつつも」、満州国の独立は認めなかった。しかし「満州における日本の権利と利益を承認せず、日本と満州の歴史的つながりを考慮に入れない、いかなる解決策も望ましくない」と日本の権益を尊重したのである。[b]

 東書版の「日本軍の占領地からの撤兵を求める勧告」というのも、満洲全土からの撤兵のように読めるが、実際は「日本軍の満鉄沿線への撤兵」であって、満鉄沿線の日本の駐兵権は認められていた。

 しかも国際連盟は日本が規約に違反した侵略国ではないと明記することで、シナ代表の主張する連盟規約に基づく制裁への道を塞いだ。福井義高・青山学院大学教授は言う。

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 国際政治の修羅場をとくぐり抜けてきた欧州諸国からみれば、なんら実効性を伴わない「たかが」勧告で日本が連盟を去るというのは、思いもよらない事態であった。[5]
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「なんら実効性を伴わない『たかが』勧告とは、1939年にフィンランド侵略で国際連盟からの「除名処分」を受けたソ連に比べれば、はるかに軽い措置であった。その程度で連盟を脱退したのは、当時の首席全権・松岡洋右(ようすけ)の大失策である。

 もう一つ大事な点は、育鵬社版の言うように「中国政府とのあいだで停戦協定を結び,事変を決着」させたことである。以後、日中戦争の起点となる1937年7月の盧溝橋事件まで、日中間は安定した4年間が続く。


■6.毎年、百数十万人のシナ人難民が満洲国に流入した

 満州国は1932(昭和7)年3月の建国から1945(昭和20)年8月の日本の敗戦まで、わずか13年しか続かなかった。その間の状況を、育鵬社版は次のように記述する。

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 実質的に日本の支配下に置かれた満州国では,政治や経済の整備が進められ,日本の企業が進出して重工業が発展し,日本の多くの農民も開拓民として入植しました。19世紀後半から増えた中国本土や朝鮮からの住民の流入は満州事変後も続き,人口も増加し続けました。[2, p228]
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 満洲国では「五族協和」をスローガンに、満洲、シナ、蒙古、朝鮮、日本の各民族の共存共栄を唱えたが、経済データを見る限り、この理想は見事に実現された。育鵬社版は側注で1931(昭和6)年から1938(昭和13)年までの経済発展の状況を、以下のようなデータで示している。[2, p228]

石炭  905万トン→2000万トン
鉄鉱石  92万トン→ 270万トン
銑鉄   34万トン→ 85万トン

 平和が続き、経済も発展すれば、戦乱の続くシナ大陸から逃れて、膨大な数のシナ人難民が流入するのも当然だった。満州事変前の人口3千万人が終戦時には5千万人となっていた。毎年百数十万人のシナ人難民が満州国に逃れて救われた事になる。

 奇妙なことに東書版ではこの奇跡的な高度成長に関して一言も記述していない。別のページで日本国内の重化学工業化を述べた項で「重化学工業では新しい財閥が急速に成長し,朝鮮や満州にも進出しました」とあるのみである。これだけでは満州国がどれほどの高度成長を遂げたのか、想像すらできないだろう。


■7.「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」

 このように満州事変と満州国建国は、結果から見れば5千万人もの民衆に安定した生活をもたらしたのであるが、そのプロセスにおいては重大な欠陥がある。中央政府の意向を無視して、現地の関東軍が勝手に兵を動かしたことである。

 作戦を企画実行した関東軍作戦主任参謀・石原莞爾(かんじ)は23万の張学良軍を相手に、わずか1万数千の関東軍で日本本土の3倍の面積の満洲全土を占領したのであるから、まさに天才である。しかし政府の意向を無視して現地軍が勝手に動くという悪しき前例を作ってしまった。しかもその成果が華々しかっただけに、関東軍の独走の責任は問われなかった。

 後に関東軍が内蒙古の分離独立工作を計画した際、中央の統制に服するよう石原が日本から説得に出かけた時には、現地参謀から「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と反論されて絶句したという。[6]

 軍人が中央政府の統制に服さないという気風は五・一五事件や二・二六事件につながっていく。これはわが国の「承詔必謹」(詔を承れば必ず謹め)にも、近代的なシビリアン・コントロールにも反する。両教科書とも明確には指摘していないが、近代日本史における重要な反省事項である。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(668) 「日貨排斥」の歴史は繰り返す
貿易を通じた中国の嫌がらせに、戦前の日本人も憤激していた。
http://blog.jog-net.jp/201010/article_1.html

b. JOG(239) 満洲 〜 幻の先進工業国家
 傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以上の中国人がなだれ込んだ理由は?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog239.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122325/japanontheg01-22/

2.伊藤隆・川上和久ほか『新編 新しい日本の歴史』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/

3.中村粲『大東亜戦争への道』★★、展転社、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886560628/japanontheg01-22/

4. 渡部昇一(解説・編)『全文 リットン報告書』★★、ビジネス社、H18
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4828413170/japanontheg01-22/

5. 福井義隆「不戦条約と満洲事変の考察 6」、「正論」H28.5

6. Wikipedia contributors. "石原莞爾." Wikipedia. Wikipedia, 21 Sep. 2017. Web. 21 Sep. 2017.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE

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