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zoom RSS No.1012 歴史教科書読み比べ(37) 日露戦争(上) 〜 怪雲空にはびこりつ

<<   作成日時 : 2017/07/01 13:17   >>

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 三国干渉で遼東半島を横取りし、「黒竜江上の悲劇」で数千の清国人を虐殺したロシアが朝鮮半島を窺っていた。
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■1.「三国干渉の後、日本国民の間にはロシアへの対抗心が高まり」

 1895(明治28)年、日清戦争が終わり、下関条約が結ばれた途端に三国干渉が起こった。東京書籍版(東書版)中学歴史教科書は、こう記述する。

__________
 下関条約が結ばれた直後に、ロシアはドイツやフランスとともに、日本が獲得した遼東半島を清に返還するよう勧告してきました(三国干渉)。対抗できる力のなかった日本はこれを受け入れました。[1, p176]
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 その後、列強は清の弱体化を見透かして利権を奪っていく。

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 なかでも満州(中国東北部)への進出をねらうロシアは、 日本が返還した遼東半島の旅順と大連とを租借しました。[1, p177]
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 日清戦争にようやく勝って手に入れた遼東半島を三国干渉で返還させられ、その後、すぐにロシアに横取りされたのである。

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■2.「対抗心」か、「臥薪嘗胆」か

 この部分について、育鵬社版はこう記述している。

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 日清戦争に勝ち、下関条約を結んだ我が国に対し、満州に勢力を伸ばそうとするロシアは、ドイツとフランスを誘い、遼東半島を返還するよう圧力を加えました(三国干渉)。三国に対抗する力をもたない我が国は従わざるをえませんでした。
やがて、ロシアは遼東半島を、ドイツは膠州湾を、イギリスは九龍半島・威海衛を、フランスは広州湾を、それぞれ支配下に置きました。わが国は「臥薪嘗胆」を合言葉に、国民が一体となってロシアに対抗できる力を備えようとしました。[2, p190]
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 三国干渉について、東書版は「勧告」、育鵬社版は「圧力」と表現している。従わねば戦争を仕掛けるという要求は「圧力」であって、「勧告」とは言わない。「圧力」だからこそ「対抗できる力のなかった日本はこれを受け入れました」とつながるのだ。

 さらに異なるのが東書版の「対抗心」に対する育鵬社版の「臥薪嘗胆」である。臥薪嘗胆とは、屈辱を忘れないために薪(まき)の上で寝て、苦い肝(きも)を舐めていたというシナの故事成語で、当時の国民はこの言葉によって、ロシアの横暴に従わざるを得なかった憤激を表現した。当時の言葉から先人の心に思いを馳せるのも歴史教育の基本だろう。

 東書版は「対抗心」という言葉を使うが、これではシナへの侵略競争で後れをとった事に負けじと対抗するようで、当時の国民の思いとは違う。三国干渉はロシアの露骨な帝国主義的ふるまいが日本国民を憤激させた事件であり、ここを正確に理解しておかないと日露戦争がなぜ起こったのかも分からなくなる。


■3.「満州ととなり合う韓国を勢力範囲として確保したい日本」

 続いて、1899(明治32)年に義和団事件が起こり、我が国も含め、欧米列強が北京の各公使館を守るために共同出兵を行った。東書版は、こう書く。

__________
 ・・・列強は連合軍を結成し、日本もその一員として義和団を鎮圧しました。
 一方、ロシアは満州に出兵し、事件の後も大軍を満州にとどめました。満州ととなり合う韓国を勢力範囲として確保したい日本と、清での利権の確保に日本の軍事力を利用したいイギリスは、1902年に日英同盟を結び、ロシアに対抗しました。[1, p178]
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 ロシアは満州出兵に際し「黒竜江上の悲劇」を起こして当時の日本人に衝撃を与えた。ロシアと満洲の国境をなす黒竜江(アムール川)の東岸64か村は清国領だったが、1900(明治33)年7月、ロシア軍は約5、6千人と言われる清国民間人を虐殺し、死体を黒竜江に投げ捨てたのである。[3, p91]

 この事件は旧制第一高等学校の寮歌 『アムール川の流血や』に謳われた。「二十世紀の東洋は 怪雲空にはびこりつ」の歌詞は多くの日本人の実感であったろう。

 同じ部分を育鵬社版では、こう説明している。

__________
 ・・・その後、各国の軍隊は撤退しましたが、ロシアはこれを機に満州に大軍を送り込んで占領しました。

 我が国は、いずれロシアとの衝突はさけられないとの判断から、1902(明治35)年、日英同盟を結びました。
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 日英同盟が対露同盟であるとする点は両教科書で共通しているが、日本側の動機は、東書版の言うように「満州ととなり合う韓国を勢力範囲として確保したい」という事だったのだろうか?


■4.ロシアの朝鮮進出

 韓国では三国干渉の後、ロシアに屈した日本を侮って、朝鮮宮廷内で親露派が台頭した[4]。その中心が朝鮮王妃・閔妃(びんひ)であった。

 日本は日清講和条約調印後の明治28(1895)年6月4日の閣議で、将来の朝鮮政策としては、「なるべく干渉を止めて自立させる」という決定をした。これを閔妃は「日本はロシアを恐れている」と解釈し、ロシアもまた閔妃に近づいた。

 この状況に焦りをいだいた日本公使三浦梧楼が主導してクーデターを謀ったとされ、その年の10月、日本軍守備隊や朝鮮親衛隊などが宮中に乱入し、その混乱の中で閔妃が殺害された。実行犯は日本人か、朝鮮人かで諸説がある。

 しかし、この後、ロシア側も反撃に出て、ロシア公使ウェーバーはロシア水兵を連れて皇帝を奪い、ロシア公使館に移した。さらに
独立派・親日派の政治家は惨殺され、日本人も三十人以上殺害された。[4, p139]

 閔妃事件が国際問題に発展しなかったのは、朝鮮ではこうした事件がしばしば起きており、日露とも「どっちもどっち」と見られたからではないか、と渡部氏は指摘している。

 こうしてロシアは朝鮮を保護国同然としてしまい、1903(明治36)年、半島西側、鴨緑江河口の龍岩浦(りゅうがんぽ)を手中として要塞化し、ポート・ニコラスとした。この港は黄海に出る要衝であり、旅順港と併せてロシアは黄海の制海権を手に入れたことになる。この時、ロシア極東海軍の総排水量はすでに約20万トン、日本連合艦隊の約26万トンに匹敵していた。

 ソウル、平壌、さらに満州の大連、シナの天津は黄海に面しており、黄海の制海権を握ることは、朝鮮半島から満洲、シナ北部への海上交通を抑えたことになる。

 日本はこうした動きに対して、絶えず抗議を申し入れていたが、ロシアは相手にもしなかったのである。

 
■5.世界を仰天させた日英同盟

 このようなロシアの進出に対抗するために日本はイギリスとの同盟を結んだのだが、その世界史的意義を渡部氏は指摘している。

__________
 この同盟の持つ意味はまことに大きかったわけだが、英国が日本と同盟を結んだというニュースを聞いて、当時の国際社会は文字どおり仰天した。なぜなら、世界に冠たる海軍を誇る大英帝国が、有色人種の小国・日本と同盟を結ぶというのは、当時の常識では考えられないことであったからだ。

 そもそも当時の大英帝国は光栄ある孤立(Splendid Isolation)を誇りにしていて、ヨーロッパにおいてすら他国と同盟を結ばなかった。[4, p147]
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 日英同盟が成立したのは、義和団事件での柴五郎中佐率いる日本将兵と義勇兵の奮戦に感銘を受けたイギリス公使クロード・マクドナルドが、日本に対して日英同盟を提案し、イギリス政府内でも後押ししたからである[a]。軍事同盟とは単に利害の一致だけではなく、互いに対する信頼が大事だということを、この史実は示している。


■6.世界最強の陸軍国、第二位の海軍国

 しかし、日英同盟だけで、ロシアの南下を食い止められるわけではない。三国干渉以来、日本国内では「ロシア討つべし」という世論が強まっていたが、日本政府は軽挙妄動しなかった。

__________
 なぜなら、当時のロシアといえば、世界最強の陸軍国であり、海軍もイギリスに次ぐほど巨大であったからだ。なにしろロシアのコサック騎兵は、あのナポレオンですら裸同然で追い返したほどの精強で恐ろしぃ実力の持ち主であった。[4, p142]
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 日本陸軍が手本としたドイツ陸軍はデンマーク、オーストリア、フランスを短期間で打ち破る無敵ぶりを発揮したが、そのドイツですらロシアとは戦わない事を基本方針としていた。勝ち目はないと判断していたからである。

 日英同盟を結んだとしても、日露の単独対戦であれば、イギリスは好意的中立を保つのみで、一緒に戦ったくれるわけではない。ましてや満州での陸戦ともなれば、世界一の陸軍国と一対一の決戦を強いられる。欲得尽くだったら、ロシアに戦争を仕掛けられるはずもない。


■7.明治天皇の涙

 しかし、このままロシアの南下を傍観していれば、いずれ朝鮮半島もロシアのものとなり、日本の連合艦隊に匹敵するロシア極東艦隊が目と鼻の先に本拠地を構えることとなる。この脅威は、たとえば現代においてシナが韓国も勢力圏において、海軍や核ミサイルを配備したと考えれば想像できよう。

 坐して死を待つよりも乾坤一擲の戦いに賭けようとした明治政府の決断に思いをいたすべきだ。開戦の決定に際して、明治天皇は次のように語られた。

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 事万一蹉跌(さてつ)を生ぜば、朕何をもってか祖宗に謝し、臣民に対するを得んと、忽(たちま)ち涙潸潸(さんさん)として下
る。
(万一、失敗するような事があれば、朕はどうして歴代天皇方にお詫び申し上げ、民に対面する事ができようか、と、さめざめと涙を流された。)[b]
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「満州ととなり合う韓国を勢力範囲として確保したい日本」というのはまことに巧妙な表現で、「安全と独立のために韓国を勢力範囲におきたい」という意味では間違いではないが、そういう事情を知らされない中学生たちは、「帝国主義国家・日本が韓国を搾取するために勢力範囲としたい」と読んでしまうだろう。


■8.「君死にたまふことなかれ」

 東書版は以下のように戦争反対論にも言及する。

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 戦争の危機がせまる中で、社会主義者の幸徳秋水やキリスト教徒の内村鑑三などは開戦に反対しましたが、ほとんどの新聞は開戦論を主張して世論を動かしました。[1, p178]
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 これでは帝国主義を翼賛する新聞が良心的な反対論を圧殺したように読めてしまうが、ロシアによる三国干渉や「黒竜江上の悲劇」で、その侵略国家の正体を知った国民が開戦論を支持したのは当然の判断だろう。

 そもそも明治天皇でさえ開戦には反対されたのだが、現実に開戦以外にすでに選択肢はないと伊藤博文に説得され、しぶしぶ同意されたのである。社会主義者やキリスト教徒の思想的な反対論があったのは史実としても、彼らに戦争以外の手段で我が国の安全と独立を護る対案があったとは思えない。

 東書版ではさらにコラム欄で、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を引用し、そこには「親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや」とある。そして次のように評している。

__________
・・・与謝野晶子は「今のように死ぬことをすすめ、何事にも忠君愛国や教育勅語を引用して論じることのほうが危険である」と反論しました。[1, p178]
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 そもそも開戦か否かは、どう国家の独立を護るか、という問題であって、国家が国民に「死ぬことをすすめ」ているわけではない。25歳の乙女が若気の至りで反戦歌を詠んで、世間を騒がせた、という事だろう。

 晶子は後の大東亜戦争に出征する四男に対しては「水軍の大尉となりてわが四郎み軍にゆくたけく戦へ」と詠んでいる。反戦歌人として一貫性がないという批判よりも、大東亜戦争までの歴史を経験して60代の晶子は、国家の独立の大切さが分かるようになったと考えた方が自然だろう。いずれにせよ、晶子を引用するならこの両面を紹介しなれば公正さを欠く。

 日露戦争は、国家は自らの安全と独立を護るためには戦わねばならない時がある、という国際常識を理解するための最も分かりやすい史実なのだが、東書版歴史教科書の著者陣は25歳の晶子と同様、そこまで歴史を学んでいないようなのだ。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(222)コロネル・シバ〜1900年北京での多国籍軍司令官
 義和団に襲われた公使館区域を守る多国籍軍の中心となった柴五郎中佐と日本軍将兵の奮戦。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog222.html

b. JOG(048) 「公」と「私」と
 私情を吐露しつつ公の為に立上がった日露戦争当時の国民
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog048.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
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2.伊藤隆・川上和久ほか『新編 新しい日本の歴史』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/

3. 中村粲『大東亜戦争への道』★★、展転社、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886560628/japanontheg01-22/

4.渡部昇一『「日本の歴史」5 明治篇 世界史に躍り出た日本』★★★、WAC BUNKO、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4898317332/japanontheg01-22/

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