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zoom RSS Wing2687 遠藤周作の『沈黙』を観て

<<   作成日時 : 2017/05/28 19:54   >>

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日本はキリスト教の種子の育たない「沼地」か?

■■ 転送歓迎 ■■ No.2687 ■■ H29.06.02 ■■ 8,117部■■


■イエズス会司祭と長崎奉行の論争

 日本への飛行機の中で、遠藤周作の『沈黙』を映画化した作品を観た。島原の乱が終息して間もない頃、日本に潜入したイエズス会の司祭が長崎奉行所に捕らわれ、彼が棄教するまではキリシタン信者の拷問を続けると言われ、イエスの教えに従って人々を助けるには、自らイエスの教えを捨てなければならない、という究極のジレンマを突きつけられる。

画像


 司祭はひたすら神の奇跡を求めるが、神は「沈黙」を通すのみであった。文学としては非常に重いテーマを扱っており、映画の出来も見事だったが、それとは別に私にとって興味深かったのは長崎奉行と司祭との論争である。

 長崎奉行はキリシタンを拷問しなければならなくなったのはイエズス会の司祭たちが日本で布教したからである。殉教すれば天国に行けるなどと言う甘言を持って争いの種を持ち込んだのは、キリスト教の宣教師だった。彼らがやって来なければ、殉教者たちは善良な仏教徒として穏やかな一生を終えたはずである。

 また仏教の僧も登場させ、人を救う道は仏教も同じである。なぜ彼らはキリスト教だけが正しいと言うのか、と問い掛ける。

 論理的に考えれば、長崎奉行の主張の方が正しいと、私には思えた。あたかも17世紀のカトリック教徒と現代人が議論してるかのように。


■日本はキリスト教の種子が育たない「沼地」だったのか

 そもそも映画では明確には語られていないが、カトリックはスペイン・ポルトガルの世界侵略の尖兵だった。その結果がアメリカ大陸、およびフィリピンにおける原住民の大量虐殺である。そしてヨーロッパ大陸では、カトリックとプロテスタントの間で宗教戦争が戦われ、何千万人もの人々が殺されている。

 こういう人類史上に残る惨劇の間も、神は「沈黙」を守り通した。カトリック司祭ならば、本来はこの遥かに巨大な「沈黙」を問わなければならない。

 作品中、長崎奉行は、日本は沼地であってキリスト教の種は育たない、と述べるが、それは一種の自虐史観ではないか。我が国はもともと多神教の土地柄であって、人々は自らの信じる神を信仰し、互いにそれを尊重してきた。キリスト教だけが排除されたのは、自らのみが正しいとする傲慢で攻撃的な一神教だからである。

 この多神教の風土は、カトリックなどよりもはるかに近代的な信教の自由を保障していた。そしてそれによって、我が国では欧州とは違って宗教戦争は島原でしか起こらなかった。

 わが国土は植物の種の育たぬ沼地では無い。逆に八百万の神々が千万の民とともに仲良く暮らしてきた豊葦原(とよあしはら)の土地であった。その平和を保つために、争いの種を持ち込む宗教だけが排斥されてきたのである。ちょうど現代のイスラム原理主義と同じで、かつてのカトリックはそれほど危険な宗教であった。

 文明化された今日のキリスト教を思い描いて、当時の日本はそれを受け入れなかった野蛮な沼地と見なすのは、歪んだ西欧中心史観である。


■リンク

(a) JOG(992) 歴史教科書読み比べ(32): 「鎖国」〜徳川幕府の安全保障政策
 鎖国はカトリック勢力の世界侵略から「わが国の独立を守り、平和を維持するための対策」だった。
http://blog.jog-net.jp/201702/article_5.html

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