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zoom RSS No.942 大震災下で「かかる首相」をいただいた「日本の不幸」

<<   作成日時 : 2016/03/13 07:15   >>

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 震災対応そっちのけで党内抗争を繰り返す民主党の惨状に、党幹部も「もうだめだ党内みんなメルトダウン」と自嘲するばかりだった。

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■1.「かかる首相をいただきて」

「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭ふ 日本の不幸」とは、俳人の長谷川櫂さんが5年前の東日本大震災に際して詠んだ短歌である。

「かかる首相」がどのように「日本の不幸」をもたらしたのか、それをきちんと総括して、その「不幸」を再発させない事が、大震災の犠牲者の方々に対する我々の責務であろう。大震災の5周年を期に、この点を振り返って見たい。

 平成22(2010)年6月8日に発足した菅直人内閣は、当初は64%と高い内閣支持率を誇っていた。しかし、9月7日、尖閣諸島海域で海上保安庁巡視船に体当たりして逮捕された中国漁船の船長を釈放させ、しかも衝突のビデオを隠すなど、姑息な対応が国民の批判を呼び、翌年1月には内閣支持率は34%に急落していた。

 震災発生直前には、菅が在日韓国人から献金を受けていた事実が発覚した。その5日前には、同様に在日韓国人から献金を受けていた「ポスト菅」の有力候補、前原誠司が外相を辞任していた。

 3月11日午前には、自民党、公明党、そして民主党の小沢一郎グループも菅の辞任を求めた。そのわずか数時間後に大震災が発生し「政治休戦」となる。菅は絶体絶命の境地を大震災に救われたのだった。


■2.現場の足を引っ張る首相

 大震災の翌朝、菅は自ら福島第一原発を視察した。枝野官房長官が「このタイミングで官邸を外せば、袋だたきに遭います」と制止したのを、「バカ野郎。事態を食い止めるのと、批判されるリスクを考えるのとどっちが大事だ」とはねのけた。

 菅の思惑は、現場への登場ぶりに現れていた。ヘリが到着して、乗員が降りようとすると、「まず総理だけが降りますから、すぐには降りないで下さい」と待たされた。写真撮影のためだった。[a]

画像


 その後、菅は吉田昌男・福島第一原発所長に約25分間、事態の説明をさせた。大震災発生後、不眠不休で原子炉に海水を注入するまでなんとか漕ぎつけていた吉田所長の貴重な時間を奪ったのである。さらに、どこにヘリをとめ、どう首相を案内するのか、足りない防護マスクをどうするのか、など受け入れ準備で現場に無駄な時間を使わせた。

 菅は原発視察ののちに、宮城県の被災地をヘリで視察し、結局、4時間半、官邸を留守にした。震災対応の司令塔たるべき首相が、その責務を放り出していたこと自体が問題だ、という批判も噴きだした。

 その後の海水注入にも菅は、再臨界などの恐れがあるから、よく検討せよという指示を出して、横やりを入れた。吉田所長はそれを聞き入れるふりをして、部下には海水注入を続けよ、と命じていた。1分1秒を争う事態に、菅は知ったかぶりをして、現場で戦う人々の足を引っ張っていたのである。

 政府関係者は「首相が東電の技術者をことあるごとに官邸に呼びつけてどなるので、現場対応の邪魔になっている」と嘆いていた[1,p40]。


■3.「まるで政治ショーだ」

 3月13日、東京電力は原発停止による電力供給不足に対応するため、1都8県を5グループに分け、各3時間程度、交代での計画停電を14日朝6時20分から行う事を計画した。東電は、少しでも計画停電に備えて貰おうと、午後6時半から清水正孝社長が発表を行うこととし、午後2時前に菅にその旨を伝えた。

 ところが、官邸から「まず、首相が国民に直接呼びかける」と横やりが入り、東電の発表を遅らせた。枝野は午後5時前の記者会見で、電力不足対応策を検討するための「電力需給緊急対策本部」を設置し、ただちに会合を開くとしたが、計画停電に関しては「ギリギリの調整を電力会社と経済産業省でしている」とぼやかした。

 結局、菅が午後8時に記者会見で計画停電を発表。その後も枝野、海江田経産相、蓮舫節電啓発相が次々に国民に節電を呼びかけ、東電側の発表をさらに遅らせた。東電の社員からは「首相官邸のやっていることは、まるで政治ショーだ。つきあいきれない」との恨み節が漏れた。

 しかし「事前に十分な準備時間もないまま計画停電を実行すれば、人工呼吸器が止まって死者が出る」との悲痛な訴えが各方面から殺到し、枝野は14日未明、東電幹部を呼び出し、「計画停電を午前中だけでも止めろ」と迫った。

 結局、14日午前の計画停電は見送られたが、政府側から詳細な説明もなく、首都圏のJRや私鉄各線は通勤電車を削減したのに、多くの乗客がいつも通り押し寄せ、駅も車内も大混乱に陥った。


■4.「国際社会が菅政権に対する不信感を強めている」

 首相官邸が機能不全に陥っているなかで、自衛隊、消防、警察が協力して、原発への決死の放水作業を試みていた[b]。その作業が難航していた3月17日、陸上自衛隊の大型輸送ヘリ2機による上空からの海水投下が計4回に渡って決行された。この作業は、テレビでも中継され、多くの国民が固唾を呑んで見守った。

 ヘリからの海水投下は、見た目の派手さとは裏腹に、危険な割には効果が薄いと見られていた。それでも菅があえて北澤防衛相に実施を指示したのは、この日予定されていたオバマ米大統領との電話会議の前に、日本もやるべきことをやっているという実績を示したいとの思惑があったからだと指摘された。

 投下実施後の記者会見で北澤が防衛相が「きょうが限度であると判断をした」と語ったのは、菅の「政治ショー」のために、自衛隊員の生命を危険に晒すのはこれで終わりにしたい、という意思表示ではなかったか。その後、北澤防衛相は二度とこの作戦を指示しなかった。

 米国は大震災発生の直後から「トモダチ作戦」を発動して、最大時1万8千人もの兵力を動員して被災地救援に協力してくれたが、日本側の対応はあまりにも遅く、拙かった。米国のジョン・ルース駐日大使が最新の情報を求めて官邸に頻繁に電話しても、菅も枝野もなかなか掴まらなかった。

 米側から不満をぶつけられた長島明久・元防衛政務官は菅に「米側には、本当にフラストレーションがたまっています。このままでは、日米同盟は深化どころか、崩壊してしまいます」と進言した。

 菅はこれを受けて、原発事故対応に関する日米の調整会議の設置を了承したが、スタートしたのは22日で、大震災から10日以上経っていた。こうした日米のすれ違いは、「国際社会が菅政権に対する不信感を強めている」という見方を広めていった。


■5.「首相官邸に何度申し入れても全く動かない」

 枝野は「広報担当」と呼ばれるほど頻繁に記者会見を開いていたが、原発関係ばかりで、民主党幹部からも「原発対応も大事だが、被災者支援が手薄になっている。国民のライフライン(生活物資補給路)確保のために政府は何をやっているのか」と批判の声があがった。

 特に被災地への物資供給が停滞し、警察車両ですら給油待ちを強いられるほどだった。3月16日に震災対応を協議する超党派の「各党・政府震災対策合同会議」が開かれたが、会議後、共産党の市田忠義書記局長は記者会見で「政府は『鋭意対策に努めている』というだけで、ガソリン、軽油といった個別の問題でこんな手を打っているという話が一切ない」と批判した。

 17日には福島県いわき市などで避難中や移送中の患者21人が亡くなっていたことが明らかになった。被災者支援が手薄のため、高齢者などが避難後に死亡する「震災関連死」が相次ぎ、政府に厳しい視線がむけられた。

 自民党は経団連と連携して直接救援物資を送る動きを見せた。「首相官邸に何度申し入れても全く動かない」(自民党関係者)という被災者支援のお粗末さに業をにやし、直接乗り出したのだった。

 菅や枝野が原発対応に追われて、被災者支援が手薄になったと言われるが、その原発対応ですらスタンドプレーに過ぎなかったのでは、犠牲者たちも浮かばれないだろう。


■6.「自ら首相の座を去るべきだ」

 菅内閣は震災対応のための会議を作り続けた。震災1ヶ月後には、閣僚級だけで5つもの対策本部ができ、官僚からも「責任の所在があいまいで、かえって非効率だ」と批判された。「いくつ会議を作れば気が済むのか。責任逃れとしか思えない」との声まであがった。

 5月6日には菅は突然、「地震の危険性」を理由に、中部電力の浜岡原子力発電所の停止を要請した。反原発派からは喝采を受けたが、国民の「なぜ浜岡だけなのか、他の原発は大丈夫なのか」という当然の疑問には、国民の納得のいく説明はなかった。

 こうしたスタンドプレーも虚しく、5月中旬の世論調査では、原発事故の政府対応について「評価しない」と答えた人が73%にも達していた。

 5月19日、西岡武夫参院議長は読売新聞に、次のような一文を寄稿した。

__________
・・・首相としての責務を放棄し続けてきた。・・・必死さも、決意も、術(すべ)もなく、今、お辞めにならなければ、原発事故がもたらす重大な課題も解決できない。政権担当能力を超えた難題なら、自ら首相の座を去るべきだ。[1,p170]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 立法府の長である参院議長が、同じ民主党出身の行政府の長である首相の退陣を公然と求めるのは極めて異例だったが、この一文には、もう座視していられない、という切迫感が溢れていた。


■7.「裏切られた。人間として最低、クズだ」

「菅では震災対応を乗り切れない、早く替えるべきだ」という声は与党・民主党の中にも広がっていった。6月2日に野党から内閣不信任案が出され、民主党内の小沢一郎や鳩山由紀夫らの一派も賛成しかねない状況だった。

 切羽詰まった菅は、鳩山ら民主党幹部との会談で「大震災への取り組みに一定の目処がついた段階で、・・・若い世代に色々な責任を引き継いでいただきたい」と発言し、これを鳩山らは早期退陣を約束したものと受け止めた。そして民主党の分裂を避けるために、不信任案反対に回った。

 鳩山と菅は覚書きまで交わしていたが、「一定の目処」に関して、鳩山は「復興基本法が成立し、第2次補正予算の目処がつく」時期として6月末での退陣を考えていた。

 しかし、不信任案否決の直後、菅が晴れやかな顔で10月中旬から翌年1月中旬とされている原子炉の冷温停止までは「私の責任」だと言ったことで、鳩山は「裏切られた。人間として最低、クズだ」と激怒した。

 ここから民主党内の菅降ろしのための抗争がさらに3ヶ月近く続く。震災対応そっちのけで党内抗争を繰り返す民主党の惨状に、党幹部も「もうだめだ 党内みんなメルトダウン」と自嘲するばかりだった。

 しかし、その間も、菅のスタンドプレーは続いた。電力制限を続ける中で、定期点検の終わった九州電力玄海原発2、3号機の再稼働を地元も海江田経産相も了解していたのに、菅は7月6日に新たなストレステストの導入を発表して再開を先送りさせた。

 前年秋以降、菅自身が主導して決めたベトナムへの原発輸出も、7月13日に菅が突然「脱原発」方針を表明したため宙に浮いてしまった。

 菅が正式に退陣表明をしたのは8月26日だった。内閣支持率は18%に下落し、これでは破れかぶれの解散・総選挙も打てない。同時に、自民党は菅の資金管理団体が北朝鮮の日本人拉致事件の容疑者親族が関係する政治団体に不透明な政治献金を行っていた問題を追及する姿勢を強めていて、進退窮まったからだ。


■8.「あの人はずっと楽でしたね」

 国民からも見離され、野党のみならず民主党内でも辞任を突きつけられる中で、菅は7月29日には記者会見でこう胸を張った。

__________
 この間、大震災そして原発事故への対応について、もちろん100点とは言いませんが、内閣としてやるべきことはしっかり取り組んでいる。早い遅いの見方はありますけれども、着実に復旧から復興へ物事が進んでおります。[1,p272]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この時期の菅の様子を、伸子夫人もこう評している。

__________
 あの人はずっと楽でしたね。きついことは1回もなかった気がします、私から見ると。3月11日以降、ずっと大変でしたが、何も変わらなかった。[1,p273]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これが「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に遭ふ 日本の不幸」の実態であった。「かかる首相」がいなければ、多くの犠牲者も死なずに済み、被災者ももっと早期に助けられたはずである。

 しかし、この「かかる首相」を選んだのは我々国民である。菅内閣の発足時の内閣支持率は66%にも達していた。この事実は、我々の政治家を選ぶ目がいかに節穴だったか、を示している。どうして「かかる首相」を選んでしまったのか、「日本の不幸」の再来を防ぐためには、我々一人一人が反省しなければならない。
(文責:伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(807) 福島第一原発の大惨事を食い止めた男たち
 私はあの時、自分と一緒に「死んでくれる」人間の顔を思い浮かべていたんです。
http://blog.jog-net.jp/201307/article_5.html

b. JOG(724)福島の英雄たち
 自衛隊、消防庁、警視庁などの無数の英雄たちが、身を呈して福島第一原発事故の収拾にあたった。
http://blog.jog-net.jp/201111/article_3.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 読売新聞政治部『亡国の宰相―官邸機能停止の180日』★★、新潮社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4103390131/japanontheg01-22/


■おたより

■自衛隊の最高司令官としても最低だった(Spockさん)

 震災の時に10万人の自衛隊員が出動しましたが、その中には若い隊員も多く混じっていました。彼らは、死体を直に見た経験のない若者です。彼らが行った先では、救助の役目は終わって、死体の探索を行っていました。それも感染が危険な泥水の中を。一日が終わって、就寝するときにその日の情景が浮かびます。これが何ヶ月も続いたのです。

 このことについて、指示命令をした最高司令官は何も言っていません。あまりにもひどいと、思いませんか。

 孫子では、そんな大将は面従腹背して、切れるときに切ったら良いとされていますが、闘戦経に従うと楠公のように「あほな上司でも黙って国体を考えて従う」ことを黙々と行っているのが、現在の自衛隊員ではないかと思います。

 彼らのためにも、正しい最高司令官を選ぶ私たちの責任は重大です。

■編集長・伊勢雅臣より

 ご指摘の通り、自衛隊の最高司令官としても菅は最低でした。学生運動家が自衛隊の最高司令官ですから、隊員諸士の無念も思いやられます。

No.739 気は優しくて力持ち 〜 自衛隊の人づくり
http://blog.jog-net.jp/201203/article_2.html

__________
 元学生運動家で戦後教育の申し子とも言うべき菅前総理は[b]、震災時に自衛隊諸士とは対照的な行動をさらけ出した。防衛省に打診することもなく、出動人員を当初の2万人から、翌日12日には5万人、さらに13日夜には10万人に倍増させると発表したのである[c]。

 この時点でなすべき事は、詳細な現状把握をベースに、どれだけの部隊をどこに派遣すれば、国民の生命を最大限救えるか、という戦略であり、現状把握も救出戦略もないままに、単に動員員数だけをアピールすることではなかった。

 これは明らかに政治家としてのスタンドプレーである。すなわち総理の権力を乱用して、自己のアピールのために自衛隊を利用したわけで、そこには被災者への思いやりも「自己犠牲の精神」のかけらもなかった。

 さらに菅前首相の思いつきの動員により、24万人中、10万人の自衛官が出動した結果、本来任務の領空、領海、領土警備が交代要員もない、手薄な状態になった事を忘れてはならない。

 その隙を窺って、中国のヘリが海上自衛隊の艦船に異常接近したり、ロシアの戦闘機が我が領空に接近したりしてきた。こういう状況下での我が国の国防態勢を偵察したのだろう。こんな隣国に我が国は囲まれているのだ。
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