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zoom RSS No.831 歴史教科書読み比べ(13) :記紀万葉 〜 日本文明への自信

<<   作成日時 : 2014/01/19 03:55   >>

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「国史編纂が始まるのは、自国の文明度への自信が生まれ始めた時」

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■1.国際的文化交流の反動?

 日本最初の歴史書『古事記』『日本書紀』について、中学の歴史教科書はどのように教えているのだろうか。

 東京書籍版は、「4.国際的な文化の開花」で遣唐使や大陸・半島からの仏教文化の流入を記述した後、こう述べる。

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歴史書と万葉集 国際的な文化の交流がさかんになるといっぽうで、日本の国家のおこりや、天皇が国を治めるいわれを確かめようとする動きが起こりました。神話や伝承をもとにまとめた「古事記」と「日本書紀」、また地方の国ごとに、自然、産物、伝説などを記した「風土記」がつくられました。[1,p39]
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 これだけである。「日本の国家のおこりや、天皇が国を治めるいわれ」を確かめよう、という動きは、「国際的な文化の交流」に対する国粋派の反動であるかのように評する。

 しかし、具体的に『古事記』『日本書紀』がどのようなものか、に関しては「神話や伝承をもとにまとめた」という程度で、あい変わらず、年表を文章にした程度の記述で済ましている。こういう記述で、中学生の心に何が残るだろうか。


■2.「歴史は国家の基礎である」

 自由社版は『古事記』『日本書紀』がまとめられた経緯、および、その内容に迫っている。まず本文では、こう説明する。

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記紀の編纂 天武天皇は、律令国家のしくみが整うのに合わせて、国のおこりや歴史をまとめることを命じ、編纂事業は次代の天皇に引き継がれた。712年に『古事記』が完成し、全3巻の中に、民族の神話と歴史がすじみち立った物語としてまとめられた。

次いで、720年には『日本書紀』全30巻が完成し、中国の王朝にならった国家の正史として、歴代の天皇の系譜とその事績が詳細に記述された。[2,p62]
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 さらに「古事記と日本書紀」というコラムを設け、こう解説する。

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 古事記は、文字通り「古(いにしえ)の事を記した書物」の意味だが、日本書紀の「紀」は、帝王の事績を年代順につづった記録を意味する。『古事記』と『日本書紀』は、ほぼ同時期に完成していることから同じように思われがちだが、文体がことなり、神話の構成などもかなり違っている。

『古事記』によれば、天武天皇が歴史は国家の基礎であるとの考えを示し、歴史書の編纂を命じたという。『日本書紀』は日本国の由来を流暢な漢文で記し、対外意識と独立心の高まりを感じさせる。

 2つの歴史書(あわせて「記紀」と呼ぶ)は天皇が日本の国をおさめるいわれを述べたもので、その中で語られる神話・伝承からは、当時の人々の信仰や政治の理想についての考え方を知ることができる。[2,p62]
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「歴史は国家の基礎である」という天武天皇の考え、「対外意識と独立心の高まり」などは、東書版より踏み込んでいるが、これだけの説明ではまだ抽象的で、中学生には理解が難しいだろう。


■3.日本文明への自信

 記紀に関して、渡部昇一氏は『日本の歴史 古代編』のなかで、次のような分かりやすい指摘をしている。

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 国史編纂が始まるのは、どの国においても、その国の文明度が、それまでひたすら仰いでいたよその国に「必ずしも劣っていない」という自信が生まれはじめたことを示すと見てよい。[3,p90]
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 我が国の国史編纂は、明確な国家意識を持って中国と対等外交を展開した聖徳太子が、推古天皇28(620)年に『天皇記(すめらみことのふみ)』『国記(くにつふみ)』を編纂したことを始まりとする。その後、天武天皇が国史編纂を命じ、その皇子・草壁皇子(くさかべのみこ)の后・元明天皇の和銅5(712)年に、『古事記』が完成した。

 ちなみにイギリスでは『古事記』にやや遅れて、カトリックの高僧がイギリス人として初めての古代英国史をまとめたが、それはラテン語で書かれていた。それをアルフレッド大王が、およそ150年後に古英語に訳させた。

『古事記』は大和言葉で書かれているから、自国語で自国の歴史を書く、という点では、英国は日本よりも150年ほど遅かったということになる。

 朝鮮には『古事記』にあたるものがない。朝鮮最古の史書『三国史記』が編纂されたのは1145年、『古事記』から遅れること500年以上、しかも漢文である[1,p74]。隣接する中国文明に圧倒され、自国文明に対する自信など生まれようがなかったのだろう。

 このように、日本、朝鮮の場合は中国、イギリスの場合はローマ帝国と、「それまでひたすら仰いでいたよその国」を持つ国々の国史編纂を比べて見ると、渡部氏の指摘がよく分かる。

 聖徳太子から天武天皇、元明天皇の時期にかけて、我が国は日本文明に対する自信を持ち始めた。聖徳太子が隋に送った書簡が政治的自立だとすれば[a]、記紀の編纂は文明的自立だと言える。


■4.国際派日本人・山上憶良

 日本文明への自信を具体的に語っているのは、『万葉集』に収められた山上憶良(やまのうえのおくら)の「公去公来の歌」であろう。

 神代より 言い伝(つ)て来(け)らく
 そらみつ 大和(やまと)の国は
 皇神(すめろぎ)の厳(いつく)しき国
 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と
 語り継(つ)ぎ 言い継(つぎ)がひけり

 山上憶良は「白村江の戦い」(663年)の敗戦により、武人である父親とともに4歳の時に日本に引き揚げてきた。ちょうど、先の大戦の後、満洲や朝鮮から多くの引き揚げ者が帰国したのと同様である。

 その後、大宝2(702)年には第7次遣唐使に随行して、唐に渡り、長安の都も訪れた。したがって、朝鮮と中国の両方を見聞した、当時としては希有な国際派日本人であった。その海外体験を踏まえて、我が国の国柄を謳い上げたのが、この歌なのである。


■5.「皇神(すめろぎ)の厳(いつく)しき国」

 まず「皇神の厳しき国」とは、神話の時代から皇室を中心に一つにまとまってきた国柄を指す。

 朝鮮半島は、高句麗、新羅、百済などが長年、内部抗争を続けていたし、中国大陸では300年間も分裂・抗争が続いた後に、ようやく隋が581年に統一したものの、40年足らずで滅んで唐に替わった。

 憶良の見た長安の都は、外敵を防ぐために10m以上もある城壁で囲まれ、また内部の居住区も、その一つひとつが壁で区切られ、夜間には鍵で閉ざされ、内部からの反乱や逃亡を防いだ。日本の平城京は長安を模したと言っても、そんな城壁を作る必要はなかった。[b]

 憶良は長安の城壁を仰ぎ見ながら、はるか神代の昔から、皇室のもとに統一され、その後、内乱もほとんどない、平和で安定した日本の国柄に思いを新たにして、「皇神の厳しき国」と感じ入ったのだろう。

「皇神の厳しき国」という国柄は、「中国の王朝にならった国家の正史」という『日本書紀』にも現れている。その第一巻で神代を扱っている点である。

 たとえば前漢の司馬遷の『史記』は神話・伝説の類いを切り捨てる態度で臨んだ。この点について、渡部氏はこう述べている。

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 その理由は、シナでは王朝が何度も替わってしまっているので、古代の伝承そのものに対して司馬遷自身の愛着がなかったからではないかとも思われる。シナの官撰の歴史は、前の王朝のことを、それを倒した王朝が書く建前になっているから、そもそも日本とは修史の意味が違うのである。[3,p96]
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 前王朝の暴虐さを訴え、それを倒した現王朝の正統性を主張するのが中国の史書である。「中国の歴史はプロパガンダ」と言われるのは、こういう意味である。

 それに対して、我が国は神代から皇室中心にまとまってきたので、神話を書けば、それはそのまま国の来歴となった。そして無理に皇室を持ち上げる必要もないから、暴虐な天皇がいたことも、そのまま書く。

 さらに神話に関しては、当時から様々な伝承があったので、いちいち「一書ニ曰ク」と、異説をそのまま並べて記録している。中国の言う「南京事件」、韓国の主張する「慰安婦」「日帝による過酷な植民地化」などと比べても、遙かに近代的な歴史学に通ずる態度である。

画像

JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」
 神話にこめられた建国の理想を読む。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog074.html


■6.「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」

 もう一つの「言霊の幸はふ国」とは、『古事記』中の和歌に示されるように、神代の時代から互いに歌を通じて心を通わせてきた国柄を指す。「流暢な漢文」で記された日本書紀でも、和歌は万葉仮名、すなわち大和言葉で書かれていた。漢文にしてしまっては、言霊が宿らないからである。

 さらに『古事記』『日本書紀』から半世紀ほど遅れて編まれた『万葉集』は「言霊の幸はふ国」ならではの国民的歌集であった。育鵬社版では「現代に続く和歌の伝統」と題したコラムを設けて、次のように記している。

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「万葉集」は、飛鳥時代から奈良時代におよび約130年間の作られた約4500首のさまざまな歌を収める、我が国に現存する最古の歌集です(全20巻)。歌の作者は、天皇や貴族、役人から農民や防人(さきもり)、貧しい人々にまでおよんでいます。

今から1200年も前に、我が国では身分や地域を越えた、国民的歌集が完成していたのです。これは当時の人々が、共通の言葉を使い、感動を共有することができたことを示しています。

 すぐれた歌をつくれば、立場に関係なく歌集に採用されるという伝統は、今日に引き継がれています。例えば、毎年、新年に皇居で行われる「歌会始の儀」には、すぐれた歌をつくった中学生や高校生が招待されることも珍しくありません。[4,p64]
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■7.多言語社会との違い

 中国では、黄河沿岸が開けると同時に集まってきた諸民族が商いの取引をするときに言葉が通じないので、絵を描いてコミュニケーションをとった。それが漢字の始まりであり、その漢字を一文字一音と定め、発音と字体を統一したのが秦の始皇帝であったという。[3,p75]

 こういう状況では、漢字、漢語を使って、様々な民族が商売はできても、詩歌を通じて人々が心を通わせる、などということは不可能である。

 朝鮮でも古来から半島に住み着いていた民族とともに、中国から移住してきた人々、さらに高句麗は満洲族だったという説もあり、一つの共通言語で、人々が心の丈を語り合う、などということはできなかったろう。

 中国や朝鮮の多言語社会を見てきた憶良には、神代の昔から人々が同じ言葉を話し、しかも優れた和歌を歌い継いで、ついには全20巻もの国民歌集を編むような国は、まさしく「言霊の幸はふ国」と見えたに違いない。


■8.今も続く「皇神の厳しき国」「言霊の幸はふ国」

 このように、憶良が「皇神の厳しき国」「言霊の幸はふ国」と謳い上げたこの歌は、当時の日本人の日本文明に対する自信を歌ったものと解釈できる。

 この歌で、もう一つ、見逃してはならない点は、「皇神の厳しき国」「言霊の幸はふ国」とは、憶良が言い出した事ではなく、「神代より 言い伝(つ)て来(け)らく(神代より言い伝えられてきた)」という事である。

 日本が皇室を中心としてまとまり、国民が詩歌を通じて心を通わせてきた、という国柄は、外国と比べなくとも、神代より代々、言い伝え、語り継がれてきたことなのである。

 そして、さらに大事な事は、この「皇神の厳しき国」「言霊の幸はふ国」は、憶良から1300年も経った現代の日本についても、言えるということだ。

 東日本大震災の避難所を両陛下がお見舞いされ、お言葉をかけられた被災者が「避難所がふわっとあたたかい空気に包まれたあの瞬間を一生忘れません」という感想を漏らしている[c]。これこそ、「皇神の厳しき国」「言霊の幸はふ国」が現出した瞬間であったろう。

 神代から続く「皇神の厳しき国」「言霊の幸はふ国」という国柄は、今も万世一系の皇室を中心として、我が国に脈打っている。こういう事実を現代の中学生たちにも、歴史教育の中で心に刻んで欲しいものだ。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(788) 歴史教科書読み比べ(8) 〜 聖徳太子の理想国家建設
 聖徳太子は人々の「和」による美しい国作りを目指した。
http://blog.jog-net.jp/201303/article_1.html

b. JOG(823) 歴史教科書読み比べ(12) :奈良時代、公地公民か階級社会か
 唐に倣った平城京も口分田も、その内実はまるで違っていた。
http://blog.jog-net.jp/201311/article_2.html

c. JOG(829) 被災者を明るく変えた両陛下のお見舞い
「避難所がふわっとあたたかい空気に包まれたあの瞬間を一生忘れません」
http://blog.jog-net.jp/201312/article_6.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

2. 藤岡信勝『新しい歴史教科書―市販本 中学社会』★★★、自由社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4915237613/japanontheg01-22/

3. 渡部昇一「『日本の歴史』〈第1巻〉古代篇―現代までつづく日本人の源流」
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4898311571/japanontheg01-22/




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日本語の起源 言霊百神

kototama 100 deities

2014/10/26 22:50
No.831 歴史教科書読み比べ(13) :記紀万葉 〜 日本文明への自信 国際派日本人養成講座/BIGLOBEウェブリブログ
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