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zoom RSS No.808 歴史教科書読み比べ(10) 〜 白村江の戦い

<<   作成日時 : 2013/07/21 04:50   >>

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 老女帝から防人まで、祖国防衛に尽くした先人の思い。

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■1.「日本の軍船400隻は燃え上がり、空と海を炎で真っ赤に染めた」

 663年の白村江(はくすきのえ)の戦いは、古代日本のその後の進路を大きく変えた出来事だった。自由社版の歴史教科書は「白村江の戦いと国防の備え」と題した1節を設け、こう書く。

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 7世紀のなかば、朝鮮(ちょうせん)半島では新羅(しらぎ)が唐(とう)と結んで百済(くだら)を滅亡させた。日本と300年の親交がある百済が滅び、半島南部が唐の支配下に入ることは日本にとっても脅威だった。

そこで、百済を復興するための救援要請を受けた朝廷は、多くの兵と物資を送った。唐・新羅連合軍との決戦は、663年、半島南西部の白村江で行われ、2日間の壮烈な戦いののち、日本・百済側の大敗北に終わった(白村江の戦い)。日本の軍船400隻は燃え上がり、空と海を炎で真っ赤に染めた。次いで、新羅は高句麗もほろぼし、朝鮮半島を統一した。[1,p56]
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「日本の軍船400隻は燃え上がり、空と海を炎で真っ赤に染めた」とは『旧唐書』での記述をもとにしているが、印象的な光景である。

■2.東書版の2つの違い

 この白村江の戦いについて、東京書籍版はわずか5行で済ませている。

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 朝鮮半島では、新羅(シルラ、しらぎ)が唐(とう)と結んで百済(ペクチュ、くだら)や高句麗(コグリョ、こうくり)をほろぼしました。日本は百済を助けるために大軍を送りましたが、新羅・唐の連合軍に敗れました(白村江(はくすきのえ、はくそんこう)の戦い)。その後、新羅は、唐の軍隊を追い出して、朝鮮半島を統一しました。[2,p34]
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 シルラ、ペクチュ、コグリョと半島諸国には朝鮮語の読み仮名を振り、唐は日本語読みにしているのは、あいかわらずの二重基準、半島向けおべっかである。[a,b]

 しかし、それ以外にも、この短い記述で、自由社版とは大きな違いがある。第1は、東書版では「日本にとっても脅威」という視点がまったくないこと。第2に、「新羅は、唐の軍隊を追い出して、朝鮮半島を統一しました」という記述を加えていること。

 以下、この2点を考えてみたい。


■3.「半島南部が唐の支配下に入ることは日本にとっても脅威だった」

 大和朝廷の出兵動機は明確だった。第一に300年ものよしみのある百済が滅びるのを傍観していては道義心が許さないこと、第二には、百済が唐に侵されてしまうことは、日本への直接の脅威になること、この2点で朝議は一決した。[3,p243]

 第二の理由である「半島南部が唐の支配下に入ることは日本にとっても脅威だった」との自由社版の一節は、現代にも通用する地政学的な常識だ

 鎌倉時代の元寇は、朝鮮半島を手中にした元が朝鮮軍を手先として使って、我が国に侵略を試みたものである。明治に入ってからの日清戦争は朝鮮を清国の覇権下から独立させるために行われたものだったし、日露戦争は朝鮮がロシアの勢力圏に落ちることを防ぐためだった。戦後の朝鮮戦争も朝鮮全域が共産化すれば、日本もドミノ倒しになる、という米国の危機感からだった。

 坂本太郎博士は[3]において、68歳の女帝が自ら北九州まで軍を率いて出向いたこと、しかし慣れない旅と風土のせいか、病気にかかり、亡くなってしまった事実から、こう述べている。

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 老齢の女帝が遠く九州まで足をのばしたこの事実は、百済救援の問題が、日本にとって、どんなに重大と考えられたかを示してあまりがある。[3,p244]
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 さらに後を継いだ中大兄皇子は大和に帰って母天皇の大喪もできず、また即位もしないで、皇太子のままで遠征軍の指揮をとった。百済救援が、我が国の安全保障上、致命的な問題と考えられていたことは、これらの事実からも容易に窺うことができる。


■4.「九州の博多湾の近くにつくられた軍事用の施設です」

 さらに敗戦後に、日本が必死の防衛努力を行った点を見ても、この事が分かる。自由社版は「白村江の戦いと国防の備え」の後段でこう述べる。

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 白村江の敗北は、日本にとって大きな衝撃だった。唐と新羅の襲来を恐れた日本は、九州に防人(さきもり)を置き、水城(みずき)を築いて、国をあげて防衛につとめた。また、中大兄皇子は都を飛鳥(あすか)から近江に移し、即位して天智天皇(てんじてんのう)となった。天皇は国内の改革をさらに進め、全国的な戸籍をつくった。[1,p56]
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 東書版でこれに相当する部分は、次の一文のみである。

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 中大兄皇子は、西日本の守りを固め、やがて即位して天智天皇となると、全国の戸籍をつくるなど、改新の政治を進めました。
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 東書版では「半島南部が唐の支配下に入ることは日本にとっても脅威だった」事を述べず、またここでも「唐と新羅の襲来を恐れた」という点を語らない。これでは多くの中学生たちも、なぜ「西日本の守りを固め」たのか、分からないだろう。


■5.水城(みずき)を築いた理由

 それを述べないのに、なぜか、「大野城と水城」の半頁もの鳥瞰図を載せて、九州の博多湾の近くにつくられた軍事用の施設です」と男子生徒に言わせ、さらに「対馬につくられた金田城跡」の写真を掲示し、「海上からの攻撃に備えてつくられた石垣です」と注記している。

 水城を「軍事用」と言うのはおかしい。攻撃には何の役にもたたないのだから、「防衛用」と言うべきだ。

画像


「日本にとっての脅威」も「「唐と新羅の襲来を恐れた」点も文中では何も語らずに、大きなスペースを使って、「軍事用の施設」のイラストを使った理由は何なのか。

 好意的に考えれば、中学生たちが半島への出兵も、これらの国防努力も、「半島が敵対勢力に落ちたら、日本にとっての脅威」であることを、自ら考えさせよう、という高度な教育的配慮であるのかもしれない。

 しかし、疑り深い弊誌は、東書版を使って「日本が朝鮮半島侵略に失敗し、その報復を恐れて、人民に多大な労役をかけて、巨大な軍事用施設まで作らせた。日本は古代から軍国主義だった」などと勝手に教える偏向教師もいるのではないかと、邪推している。

 自由社版には現代に残る水城の跡の写真を載せ、こう記している。
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太宰府の守り 九州の玄関口・博多湾に向かって長く続いている緑の帯が水城の跡。水城は太宰府防衛のために築かれた土塁で、延長約1キロメートル、幅が約80メートルあり、内側に水をたたえていた。[1,p56]
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 こういう記述なら、中学生たちも当時の日本人の危機感も偲べるだろう。


■6.新羅の「仁義なき戦い」

 東書版のもう一つの違いである「新羅は、唐の軍隊を追い出して、朝鮮半島を統一しました」という点を考えてみよう。

 確かに、これは史実である。唐は百済の旧王族を温存して旧百済領を支配させ、高句麗領は植民地支配をした。新羅はこれを不満として、旧百済領に武力侵攻する。唐は怒って、新羅王の官位を剥奪するが、新羅は謝罪使を送りつつ、唐軍との戦闘は継続し、なおかつ日本に使節を送って、接近を図る。

 こうした新羅の「仁義なき戦い」に、さしもの唐も音を上げて、半島支配を諦めて本土に引きあげるのである。[4,p310]

 これに比較すべきは、大和朝廷が「300年のよしみのある百済が滅びるのを傍観していては道義心がゆるさない」事を第一の理由として出兵した姿勢であろう。

 近代日本は日英同盟でも、三国同盟でも、日米同盟でも、相手を裏切ったことがない。それに対して、新羅の外交姿勢は、今の北朝鮮を彷彿とさせる。こうした歴史を見れば、外交上の信義をおける国かどうかはすぐ分かるものである。

 新羅の朝鮮半島統一を言うなら、ここで述べた数行くらいは追加して欲しいものだ。それを隠して「唐の軍隊を追い出して、朝鮮半島を統一しました」と自慢するだけでは片手落ちである。

 東書版の著者たちには、どうも半島に対する祖国愛を抱いている人が混じっているようだとは、本シリーズで何度も述べてきたが、この一文でもそれを感じる。

 その祖国愛は見上げたものだが、それは韓国か北朝鮮の歴史教科書で発露すべきもので、日本人のための日本史教科書で他国への祖国愛を裨益されては、はなはだ迷惑である。


■7.防人の歌に見る兵士たちの真情

 ここで久しぶりに育鵬社版の歴史教科書に登場してもらおう。自由社版にもない、優れた内容があるからだ。万葉集に収められた防人(さきもり)の歌の紹介である[5,p39]。防人とは、敗戦後、大陸からの襲来に備えて九州に太宰府が設けられ、そこに配置された東国の兵士たちである。

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父母が 頭(かしら)掻(か)き撫(な)で 幸(さ)くあれて
 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる
(出発するとき私の頭をかきなで「元気でな」と言った父母の言葉が忘れられない)

水鳥の 立ちの急ぎに 父母に
 物言(は)ず来(け)にて 今ぞ悔しき
(水鳥が飛び立つようにあわただしく旅立ってきたので、父母に別れの言葉を言うこともできなかった。それが今となって悔やまれる。)

葦垣(あしがき)の 隈所(くまど)に立ちて 吾妹子(わぎもこ)が
 袖(そで)もしほほに 泣きしそ思(も)はゆ
(私が旅立つとき、葦の垣根のすみに立って、袖もぐっしょりとなるほど泣いていた妻のことが思われてならない)

唐衣(からころも) 裾(すそ)に取り付き 泣く子らを
 置きてぞ来ぬや 母(おも)なしにして
(私の服の裾にとりついて「行かないで」と泣いた子どもたちを置いてきてしまった。あの子らは母もいないのに)
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 現代なら、軍国主義に対する反戦歌などと教える教師もいよう。しかし、ここには自分を防人として徴用した国家への恨み辛みは微塵も感じられない。ただただ公の任務に立つ際の肉親を思う真情が溢れている。先の大戦での特攻隊諸士の真情と同じである。[c]

 国家の最初の公的な歌集に、こういう名もなき兵士の真情の籠もった歌を多く取り上げて、共感を寄せた所に我が国の国柄がある。唐や新羅の兵士も同様な真情を抱いただろうが、彼らの思いは後世に伝えられたのだろうか。


■8.愛国の人

 もう一つ、教科書には登場しないが、ぜひ中学生たちに授業の中で紹介して貰いたい逸話がある。

 白村江の戦いで捕虜になり、長安に連行された兵士の中に、大伴部博麻(おおともべのはかま)という若者がいた。日本書紀によれば、現在の福岡県八女市上陽町から出兵した一人である。

 博麻は捕虜生活中に、日本征服を企む唐の計画を耳にする。この情報を祖国に知らせようと、博麻は自分を奴隷として売って金を作り、それを捕虜仲間に渡して船を調達させ、帰国させる。彼らのもたらした情報をもとに、水城などの防衛施設が構築された。

 博麻はそれから28年後に奇跡的に帰国できた。時の持統天皇は博麻に異例の勅語を賜った。その一節に「朕(ちん)、厥(そ)の朝を尊び国を愛(おも)ひて、己を売りて忠を顕すことを嘉(よろこ)ぶ」とあり、これが「愛国」という言葉が我が国の歴史に登場した最初の例であったという。

 肉親との別れを悲しみながらも祖国防衛のために遠地に向かった防人、自らの身を奴隷として売ってまで祖国に危急を知らせた博麻、さらには68歳の老身に鞭打って九州まで出陣した女帝・斉明天皇、母の崩御に悲しむ余裕もなく半島遠征と敗戦後の国土防衛に打ち込んだ中大兄皇子。

 そうした人々の心の内に思いを馳せることが、未来の国民を育てるための歴史教育なのである。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(788) 歴史教科書読み比べ(8) 〜 聖徳太子の理想国家建設
 聖徳太子は人々の「和」による美しい国作りを目指した。
http://blog.jog-net.jp/201303/article_1.html

b. JOG(799) 大化の改新 〜 権力闘争か、理想国家建設か
 聖徳太子の描いた理想国家を具現化しようとしたのが大化の改新だった。
http://blog.jog-net.jp/201305/article_4.html

c. JOG(306) 笑顔で往った若者たち
 ブラジル日系人の子弟が日本で最も驚いた事は、戦争に往った若者たちの気持ちだった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h15/jog306.html


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2. 五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

3. 坂本太郎『日本の歴史文庫〈2〉国家の誕生』★★★、講談社、S50

4. 熊谷公男『大王から天皇へ 日本の歴史03』 ★、H20、講談社学術文庫
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5. 伊藤隆他『新しい日本の歴史―こんな教科書で学びたい』★★★、育鵬社、H23
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6. 占部賢志「愛国の人 大伴部博麻 祖国守護に生きた勇者の物語」、産経新聞、H24.05.05


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
九州(朝倉宮)の陣中でお隠れになったのは舒明天皇でなく斉明天皇では。
放射線取扱主任者
2013/07/21 15:44
ご指摘ありがとうございました。すぐに修正させていただきます。
伊勢雅臣
2013/07/21 17:58
これは日本初の集団的自衛権の発動と考えていますが、実際にはどのように解釈される事が多いのでしょうか?
Blue Rose Blues
2013/07/21 21:29
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