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zoom RSS No.775 国史百景(2) 山岡鉄舟、若き明治天皇を諫(いさ)める

<<   作成日時 : 2012/11/25 06:37   >>

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 酒に酔って殴りかかった若き明治天皇を、山岡鉄舟は体を張って諫めた。

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■1.「近代世界の大帝王」

 1912(明治45)年7月30日、明治天皇が崩御されるや、英国の首相アスクィスが即座に下院に提出した追悼動議は、満場一致で可決された。その際の演説で、彼はこう述べている。[a]

__________
 余は歴史上、日本天皇陛下の如く一治世の短期間に、その国民ならびに世界人類のため、かく宏大にしてかつその必要かくべからざる進歩発展を成就し給いたる君主の名を挙ぐる事能わず。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 アメリカでもニューヨーク・トリビューン紙は、「日本先帝陛下はその御治世の至重至要なるがため、疑いもなく歴史上近代世界の大帝王中に伍し給うであろう」と評した。同様の論評が世界各国で相次いだ。[a]

 幕末の日本は東洋の一小国として近代史に登場したのだが、半世紀後の大正日本はすでに世界の五大国の一つとして数えられていた。この世界史に記すべき日本の大躍進を導いたのが明治天皇であった。

 しかし、明治天皇ははじめから偉人天才であったわけではない。明治元(1868)年に即位された時は、まだ15歳。英明な青年ではあったが、それが世界各国から称賛される大君主にまで大成されたのは、君側にあって天皇を将来の日本の指導的人格としてお育てしようと努力した人々がいたからである。

 その中心人物の一人が、前回の「国史百景(1)」[b]に登場した山岡鉄舟であった。


■2.明治天皇の侍従

 維新前の天皇は公家や女官たちに囲まれて、とかく文弱に流れやすい環境にあったが、西郷隆盛はこれを問題視して、明治天皇を近代国家を指導すべき、心身ともに強健な君主に育てようとした。

 そのために、それまでは天皇の側近に侍する者は貴族に限る、というしきたりだったのを改め、各藩から勇壮な武士を集めて、側近につけた。その一人として幕臣から選ばれたのが、山岡鉄舟(鉄太郎)であった。

 若い頃からひたすらに剣と禅の修行を積み、幕末には江戸に迫る官軍に乗り込んで和平を講じ、内戦の危機から日本を救った鉄舟の人格、胆力に西郷は惚れ込んでいた。鉄舟こそ、天皇を育てるべき人物だと考えたのである。

 西郷の推挙に、鉄舟はその任ではないからと極力固辞したが許されず、とうとう「それでは10年だけ」ということで出仕することになった。時に、明治5(1872)年6月、鉄舟37歳の時であった。明治天皇、弱冠20歳前後の頃である。

 明治天皇も剛毅な側近たちとの交わりを好み、夜遅くまで彼らの武勇伝に聞き入ったりして、西郷も「君臣水魚の交わりに至った」と喜びを語っている。[1,p181]


■3.「山岡っ、立て!」

 そんな中で、この事件が起きた。

 ある日の晩餐に片岡侍従と鉄舟が陪席した。天皇はしきりに盃を重ねられながら、「わが日本もこれからは法律で治めるようにしなければならぬ」という議論をされ、片岡侍従に向かって「お前のこれについての意見を申せ」と仰せられた。

 片岡侍従は「国家を治める大本は、道徳に在りと存じます」と申し上げると、「いや、それは昔のことだ。今の世に道徳など何にもならぬ」と天皇は言下に反駁された。片岡侍従はそれに対しても、また意見を申し上げる。

 こうして議論に花を咲かせて、盃を重ねられたが、天皇はそれまで黙っていた鉄舟を顧みて、「山岡、お前はどうだ。私の意見に賛成か、それとも不賛成か」とお尋ねになった。

「ハイ、恐れながら、法律だけでお治めになりますと、人民は伊勢の皇大神宮を拝まないようになりはしないかと存じます」と鉄舟は答えた。


■4.「山岡っ、立て!」

 痛いところを突かれて、ぐっと行き詰まった天皇は、途端に御機嫌が悪くなり、黙々と大杯を傾けておられた。

 そして突然、立ち上がられて、「山岡っ、相撲を一番来い!」と言われた。が、山岡は動かない。

「山岡っ、立て!」

「恐れ入り奉ります」と、鉄舟は平身低頭した。

「では座り相撲で来い」と鉄舟を押し倒そうとされたが、鉄舟の体は大地に根を張ったように、押せども着けども動かない。身長は190センチ近く、体重は100キロを超える巨漢で、なおかつ剣の達人である。

 怒った天皇は、右手の拳を固め、鉄舟の眼をつこうとして勢い鋭く飛びかかった。鉄舟がわずかに頭を横にかわすと、天皇は勢い余って、鉄舟の後ろに倒れ込んだ。

「不埒な奴だッ」

 顔か手をすりむかれたようなので、片岡侍従はあわてて天皇を別室にお連れして、侍医に応急の手当てを命じた。


■5.鉄舟の覚悟

 鉄舟は静かに次の間に引き下がり、粛然と控えていた。片岡侍従は、すぐに謝罪するのがよいと勧告したが、鉄舟は頭を振って応じない。

「いや、私には謝罪する筋はござらぬ」

「しかし、陛下が君を倒そうと遊ばされたとき、君が倒れなかったのはよくない」

 その言葉に、鉄舟は決然と自説を述べた。

__________
 何を言われるか。あのとき私が倒れたら、恐れ多くも私は陛下と相撲をとったことになる。天皇と臣下が相撲(すま)うということは、この上ない不倫である。だから私はどうしても倒れるわけにはいかなかったのだ。

もしまたあの場合、わざと倒れたとしたら、それは君意に迎合する侫人(ねいじん)である。

君は私が体を躱(かわ)したのを悪いといわれるかもしれないが、私の一身は陛下に捧げたものだから負傷などは少しもいとわぬ。

しかし、陛下が酒にお酔いになったあげく拳で臣下の眼玉を砕いたとなったら、陛下は古今希な暴君と呼ばれさせ給わなければなるまい。また、陛下自身、酔いのさめた後に、どれほど後悔遊ばされることか。

 陛下が負傷遊ばされたことは千万恐懼に堪えぬが、誠に已むを得ぬ次第である。

 君は私のこの微衷(びちゅう、本心)を陛下に申し上げていただきたい。それで陛下が私の措置を悪いと仰せられるなら、私は謹んでこの場で自刃してお詫び申し上げる覚悟でござる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■6.「私が悪かった」

 そこへ別の侍従が来て、「陛下はもうおやすみになったから、とにかく一応は退出されたがいいでしょう」と言ったが、鉄舟は「聖断を仰ぐまでは!」と動こうとしない。

 侍従たちは持てあまして、侍従長に報告した。侍従長もやってきて説得したが、鉄舟は頑として受けつけない。

 そのうちに天皇は眼を覚まされ、「山岡はどうしたか」とお尋ねになった。

 侍従が鉄舟の言い分を奏上すると、天皇はしばらく黙然と考えておられたが、やがて、「私が悪かった。山岡にそう申すがいい」と言われた。

 侍従はすぐに鉄舟にその旨を伝えたが、鉄舟は

__________
 御聖旨は畏(かしこ)いきわみだが、ただ悪かったとの仰せだけでは、私はこの座を立ちかねます。どうか御実効をお示し下さるようお願い申し上げます。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
と、なお強硬に主張した。

 そこで天皇は、「今後、酒と相撲をやめる」と誓われた。鉄舟は感涙にむせんで「聖旨のほど、ありがたく拝承し奉る」と言上して退出した。夜はもはや明けなんとしていた。

 鉄舟はそれから一向に出仕しなくなった。侍従を差し向けて、出仕を促しても、ひたすら謹慎中と称して出仕しなかった。

 一ヶ月ほど経ったある日、山岡は突然出仕し、御前へ伺候して葡萄酒一ダースを献上した。「もう飲んでもよいか!」と、天皇は非常なお喜びで、鉄舟の面前で早速、その葡萄酒を召し上がったという。

 その後も、天皇の鉄舟に対する信任は厚かった。明治15(1882)年、47歳の時、西郷と約束した10年が経ってので、鉄舟は宮内省を辞した。しかし、その後も明治天皇の特別な思し召しで、生涯宮内省御用掛を仰せつけられている。

 この10年間、鉄舟の禅と剣で鍛えた人格は、若き明治天皇に多大な人格的影響を与えたものと思われる。


■7.臣下の公、天皇の公

 特に、この時の体験で、若き明治天皇は鉄舟から「公私の分別」を学ばれたのではないか、と想像する。

 鉄舟は「私の一身は陛下に捧げたものだから負傷などは少しもいとわぬ」と言って、負傷という「私事」にはまったく構わない。

 ただ、陛下が「古今希な暴君」と呼ばれるようになっては、侍従としての公の使命が果たせない。明治天皇から体をかわしたのは、あくまでも公的な使命のためで、自分の体を護ろうという私心からではないことを、鉄舟は明らかにした。

 侍従から、この鉄舟の言い分を聞かれて、若き明治天皇はご自分のとっての公私とは何かを深く考えられたであろう。

 侍従たちと酒を飲んで歓談するのは、君主にも許される「私」である。しかし、酒に酔って議論に負けたのを怒って、侍従の眼を砕いたとすれば、それは国民の信頼を裏切り、君主としての「公」をないがしろにする行為である。

 わが国における君主とは、国家を私有財産のごとく見なして好き勝手に振る舞って良いという私的な存在ではない。ひたすらに民の安寧を祈るという公的な使命を持っている。

 この点を「知らす」と「うしは(領)く」という言葉で、明らかにしたのが、大日本帝国憲法と教育勅語の起草に参画した井上毅であった。[c,d,e]

「うしはく」とは、君主が土地や人民を私有財産として領有し、権力を振るうことだ。一方、「知らす」とは天皇が鏡のような無私の御心に国民の思いを映し、その安寧を神に祈る、ということであった。

 明治天皇は、天皇としての最も大切な「公私の分別」をこのような体験を通じて学ばれていったのだろう。


■8.ひたすらに国と国民を思われる御心が支えた日本の躍進

 その後の明治天皇は、その長き御一生の間、ひたすらに国のため、国民のために御心を砕かれた。その一端が日露戦争時の御歌に窺われる。

寝覚めしてまづこそ思へつはもの(兵士)のたむろ(集まっている所)の寒さいかがあらむと

 目が覚めて、朝の寒さにまず気づかわれるのは、満洲の地での兵士らの宿営の寒さであった。

いたで(戦傷)おふ人のみとりに心せよにはかに風のさむくなりぬる

 風が寒くなると、即座に思われるのは、戦傷をおった兵士らの看取り、看病であった。

 明治天皇は生涯で9万3千余首の御製(御歌)を残されたと言われているが、日露戦争が勃発した明治37(1904)年だけで7,526首。一日20首以上も詠まれた。

 それは、朝目覚めては兵士等の寒さを思いやり、風が急に寒くなっては傷病兵らの看護を気遣うという日々だったのである。

 日露戦争は明治日本が臨んだ最大の国難であったが、明治天皇のひたすらに国と国民を思われる御心が、政治家や軍幹部を通じて、将兵、国民の間に広く伝わり、それが国民一丸となって国を護ろうとする気概に繋がったのだろう。その気概なければ、わが国は日露戦争に敗北し、ポーランドやフィンランドのように、ロシアの属国になっていたに違いない。

 明治天皇が御一代の間に、「その国民ならびに世界人類のため、かく宏大にしてかつその必要かくべからざる進歩発展を成就し給いたる」と英国議会で称賛される業績を上げられた一因は、若き頃に山岡鉄舟のような偉大な人物の薫陶を受け、君主としての公的な使命を深く自覚された所にあると考える。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(267) 変革の指導者・明治天皇 〜 ミカドから立憲君主へ
 崩御された明治天皇を世界のマスコミは日本の急速な変革の中心者として称賛した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog267.html

b. JOG(772) 国史百景(1) 〜 山岡鉄舟と西郷隆盛
「生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ」二人の人間が、内戦の危機から日本を救った。
http://blog.jog-net.jp/201211/article_1.html

c. JOG(735) 井上毅 〜 有徳国家をめざして(上)
 大震災では、戦前の教育勅語が理想としていた生き方が、あちこちで見られた。
http://blog.jog-net.jp/201202/article_4.html

d. JOG(736) 井上毅 〜 有徳国家をめざして(下)
 井上毅が発見した我が国の国家成立の原理は、また教育の淵源をなすものであった。
http://blog.jog-net.jp/201202/article_7.html

e. JOG(242) 大日本帝国憲法〜アジア最初の立憲政治への挑戦
 明治憲法が発布されるや、欧米の識者はこの「和魂洋才」の憲法に高い評価を与えた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog242.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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