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zoom RSS No.759 歴史教科書読み比べ(4):邪馬台国の戦略外交

<<   作成日時 : 2012/07/29 03:32   >>

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「魏志倭人伝」から、朝貢外交を学ぶか、戦略外交を学ぶか。

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■1.「盗みもなく、争い事も少ない」

「魏志倭人伝」は、3世紀前半頃の日本の様子を記した歴史的文献であるので、中学教科書の各社版ともスペースを割いて記述している。しかし、論じ方はかなり違う。

 その中で特色ある扱いをしているのが自由社版だ。「外の眼から見た日本」という小コラムで、次の一節を紹介している。

__________
魏志倭人伝から

 風俗は乱れていない。盗みもなく、争い事も少ない。死者が出ると家族は10日ほど喪に服したあとは、水辺で沐浴し、身を清めている。[1,p39]
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 数行の記述だが、当時の日本の社会状況を中国人の目から見た貴重な記述である。戦乱の続く中国大陸から見れば、「風俗は乱れていない。盗みもなく、争い事も少ない」とは、今も昔も変わらない日本社会の美質だ。

 死者が出ると喪に服するのは、先祖崇拝の一端であろうし、また服喪後に身を清めるのは、死を汚れとし、「みそぎ」で身を清める日本神話の世界そのままである。

 この記述は単なるお国自慢というだけでなく、当時の社会状況や生活文化を知る上でも貴重な一節である。こうした紹介は、東京書籍版はもちろん、育鵬社社版でもなされていない。

「邪馬台国」がどこか、という問題が、歴史学上の大きな論争課題になっているが、それはそれとして、歴史とは政治史や戦争史だけではない。中学生にとって、こういう文化史的側面を学ぶことも、日本の自画像を形成する上で大切な事である。


■2.「100人余りの奴隷がいっしょにうめられた」

 3社の中では、東京書籍版(以下、東書版)の記述がもっとも短い。

__________
倭の歴史を記した「魏志」(ぎし)のなかの「倭人伝(わじんでん)」の部分には、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)が、倭の30余りの小さな国々を従えており、その国々では、すでに身分のちがいも生まれていたこと、卑弥呼が使いを魏の都に送り、皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」という称号(しょうごう)と金印を授けられ,銅鏡100枚などのたくさんのおくり物を受けたことが記されています。[2,p24]
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 すでに「身分のちがいも生まれていた」とは、いかにもマルクス主義流の階級闘争中心の着眼点だが、当時の「先進国」中国の身分の違いはもっと古くからあったのではないか。朝鮮ではどうなのか。

「倭人伝」の部分要約の中では、「卑弥呼が死ぬと、大きな墓がつくられ、100人余りの奴隷がいっしょにうめられた」という一節をことさらに記している。これを読んだ中学生はぞっとするだろう。

 しかし、強いてこの部分を紹介するなら、同時代の中国は三国志の戦乱の時代で、たとえば魏の武帝と呼ばれた曹操は占領地で数十万人の男女を殺したという『後漢書』の記述と並べて見せるべきだろう。

 このように自国の悪い点のみをことさらに記述するのもどうかと思うが、それならそれで、せめて同時代の他国と比べてどの程度のものだったのか、という比較をしないと、自虐史観の刷り込みだけに終わってしまう。


■3.「倭」「卑」「邪」

 また「魏志倭人伝」は中国から見た当時の日本の状況なので、当然、日本と中国の関係を考察することも、もう一つの大切な視点だ。

 この点で、そもそも「倭」とか「卑」などという字をことさらに用いている理由を、理解しておく必要がある。

 育鵬社版は、その前の一節で「倭の奴国王(なのこくおう)」が漢の皇帝から金印を授けられた史実を紹介した部分で、

__________
「倭」も「奴」も見下した意味を含んだ文字だった。中国の歴史書では、皇帝の権威を示すために、周辺の国を野蛮国として扱ったのである。[3,p26]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 これを「中華思想」と呼ぶことを教えておけば、現代中国の周辺国を見下した居丈高な外交も、伝統的な中華思想の現れと納得できるはずだ。こういう見方を与える点が歴史を学ぶ目的の一つである。

 自由社版には、漢字表記に関して、別にこんな注がある。

__________
「邪馬台」は、当時の日本人の発音を漢字でうつし取ったもので、中国風によむと「やまと」に近い発音になる。[1,p38]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 要は、当時の中国人が、「ヤマト」という日本人の発音を聞いて、それをことさら見下した文字を使って、「邪馬台」と記しただけのことなのだ。

 両社の記述を合わせると、当時の中国人の態度が見えてくる。これらに関して、東書版にはまったく記述はない。


■4.「東アジアのきびしい国際関係」

 育鵬社版では、倭人伝の紹介の後に、「中国を中心とした国際関係」と題して、こう結んでいる。

__________
 中国では、漢の時代から、周辺諸国とのあいだに、君主と臣下の関係を結んできた。臣下の国は、中国皇帝の求めに応じて出兵したり、朝貢(ちょうこう)したりすることが義務づけられ、皇帝は朝貢した指導者に、その国の王の称号をあたえて支配権を認めた。

卑弥呼の時代に、すでに日本は、こうした中国の皇帝を中心とする東アジアのきびしい国際関係に組み込まれていたと考えられる。[3,p27]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この点を、自由社版はさらに踏み込んで、「華夷秩序と倭国」と題して、次のように解説している。

__________
 中国には自国が唯一の文明国で、周辺諸国を蛮夷(野蛮人)とする中華思想があった。皇帝は、朝貢してくる蛮夷の支配者を臣下として「王」の称号を与え、その支配権を認めた。

皇帝からの任命書である「冊書」によって王に封じられたので、これを冊封体制(さくほうたいせい)といい、こうした東アジアの秩序を「華夷秩序」という。

倭国は多くのクニに分立していたので、「漢倭奴国王(かんのわのなこくおう)や「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号は、大国の後ろ盾を示して他を威圧する意味をもった。

ただし、国内をまとめあげた日本は、大陸文化の吸収のために朝貢はしても、冊封されない国(不臣の朝貢国)となり、華夷秩序から離脱した。[1,p39]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この記述でようやく卑弥呼が魏に使いを送った狙いが理解できよう。しかし最後の一節で「華夷秩序」からの離脱がいつ、どのような形で行われたのか記述がないのは、やや不親切である。

 たとえば、その後の聖徳太子の隋に対する対等外交の頁を参照すれば、この「華夷秩序」からの離脱が、古代日本の重要な外交課題であったことが理解できよう。

 東書版では、こうした記述は一切なく、「中華思想」「華夷秩序」「冊封体制」というようなキーワードも出てこない。単に怪しげな女酋長が中国皇帝に使いを送って、金印や銅鏡などのたくさんの贈り物を受け取った、というだけの記述である。

 これでは、中学生たちは朝貢外交しか学べないことになる。


■5.魏と邪馬台国の同盟関係

 当時も今も、東アジアの政治外交で重要なのは朝鮮半島の情勢である。

 自由社版と育鵬社版は倭人伝の引用を「倭人は、帯方郡の東南の大海にある島に住んでいる」という一文から始めているが、両社とも「帯方郡」に関して「中国の王朝が朝鮮半島に置いた郡で、中心地は現在のソウルあたり」という注釈をしている。

 そして3世紀初頭の東アジアの地図を示し、それを見ると朝鮮半島のソウル辺りまでの北西部は、後漢ないしはその後継国家・魏の領土であった。すなわち、現代風に言えば、朝鮮半島の北西部は中国の植民地であったのだ。

「魏志」の中で、「倭人伝」と並んで、朝鮮半島の情勢を記した「高句麗伝」「韓伝」を合わせ読むと、当時の日中朝の緊張関係がよく理解できる。[a]

 魏の帯方郡に隣接して、今で言えば北朝鮮の東半分と満洲の一部は高句麗が占めていた。また半島南部は人口は多いが70余国が分立する後進地域だった。さらに「韓伝」には半島南端は倭国が勢力範囲に含めていた事を示す記述がある。

 すなわち、魏は国境を接する高句麗と緊張関係にあり、後進地域を挟んで、半島南端から日本列島にかけて倭国が勢力を張っていた。人口十数万程度の高句麗に比べて、当時の倭国はすでに百万規模の大国である。


■6.「たくさんのおくり物」の意味

 その倭国から使節がやってきたのは、魏がそれまで遼東半島を領有していた公孫氏を滅ぼした翌年だった。その倭国と組めば、高句麗を抑え込む事ができる。実際に卑弥呼が使いを送ったのが239年、その3年後の242年には魏は高句麗に侵攻を始めている。

 魏がいかに倭国との同盟を欲したか、は、卑弥呼の使節への厚遇ぶりから見てとれる。卑弥呼には「親魏倭王」の称号を贈ったが、これは229年の大月氏国に与えられた「親魏大月氏王」と同格で、外臣に与える称号としては最高のものであった。[a]

 遣使の二人にまで銀印青綬が与えられ、さらに銅鏡100枚をはじめ高価な品々を贈った。ここまで理解すると、東書版の言う「たくさんのおくり物」の意味が分かってくる。

 それは、遠い島国の未開民族がはるばる使いを送ってきた事に、魏の皇帝が気をよくして鷹揚な贈り物をした、ということではない。高句麗を共通の敵とする同盟関係が成立した証なのである。

 そして魏が公孫氏を滅ぼして、高句麗と国境を接した翌年に卑弥呼が使いを送ったというのも、偶然にしてはタイミングが良すぎる。卑弥呼としては魏の情況を読んで、同盟関係を持ちかけたのではないか。

 紙数の限られた中学の歴史教科書では、ここまでは書けないだろうが、先生が教室でこういうレベルの解説をしてやれば、中学生でも国際政治に必要な戦略外交をよく理解できるのではないか。


■7.東書版の不可思議な構成

 東書版では、上述のような帯方郡に関する引用も注釈もなく、魏志倭人伝を記述したページには、現在の中近東から日本までの広域のアジア地図はあるが、どういうわけか、万里の長城やシルクロードなど、本文とはまるで無関係の表示がなされている。

 時代的にも2世紀頃の「後漢」の時代を表示しており、魏志倭人伝の書かれた3世紀とは、ずれている。その地図で小さく描かれた朝鮮半島の状況を子細に見ると、この頃の後漢の領土は、まだ朝鮮半島の付け根の部分くらいしか及んでなかったことが分かる。

 すなわち、東書版の地図は、時代的にも、内容的にもずれており、この不可思議な構成は、朝鮮半島の中央部が魏の植民地であった事を隠すためではないか、などと弊誌は邪推してしまう。

 これまでの「教科書読み比べシリーズ」でも何回か述べたが、この東書版は、朝鮮半島の明るい面は不自然に強調され、暗い面は意図的に隠されている印象を受ける。

 よほど愛国的な韓国・朝鮮人が執筆しているのではないか。日本の中学で使われる教科書なのだが。


■8.朝貢外交か、戦略外交か

 以上、同じ魏志倭人伝でも、中学生たちは教科書によってだいぶ異なった自画像が描くだろう。

 東書版では、せいぜい未開民族の女酋長が、文明大国の中国に使いを送り、皇帝から贈り物をたくさんもらったという朝貢外交を学ぶ。

 こういう教科書で学んだ中学生は自虐史観と近隣大国への朝貢外交しか知らずに育つ。そのまま大人になると、尖閣諸島を買うことで中国との関係を悪化させると心配したり、我が国の保安船に体当たりしてきた中国人船長を国内法を無視して釈放してしまうような人間になるのではないか。

 自由社版、育鵬社版では、当時の国際情勢の説明を加えてやれば、国際社会はそれぞれの国益がぶつかり合う場であり、その中で主体的に同盟国を作っていくという戦略外交の重要性を学ぶ事ができる。

 今日の日本の外交にであまりにも戦略外交のセンスが欠如しているのも、ほとんどの国民が東書版のような教科書で自虐史観と朝貢外交しか学んでいない事が原因なのではないか。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(685) 倭国は東アジアの大国だった
 中国の史書は、倭国が国家の統合度と人口規模でずば抜けた大国であったと記している。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h23/jog685.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 藤岡信勝『新しい歴史教科書―市販本 中学社会』★★★、自由社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4915237613/japanontheg01-22/

2. 五味文彦他『新編 新しい社会 歴史』、東京書籍、H17検定済み

3. 伊藤隆他『新しい日本の歴史―こんな教科書で学びたい』★★★、育鵬社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594064019/japanontheg01-22/

■「歴史教科書読み比べ(4):邪馬台国の戦略外交」に寄せられたおたより

■正基さんより

 私自身もつい最近まで気がつきませんでしたが、今の日本人はほとんどが無意識のうちに自虐史観が植え付けられてしまっている状況のようです。

 過去、宮沢喜一氏など、自国の教科書の内容の判断を他国にまかせてしまっています。これでは中国、韓国の言いなりになるのは当然のことです。いまだに日本に因縁を付けてくるのは世界広といえども中国政府、韓国政府くらいのものです。

 他のアジア諸国など、独立のきっかけを与えられたとして、日本に感謝している国は多いということも知りました。

 今後日本が本当に正しく世界に貢献するには、正しい歴史認識を持つ必要があるのは確かです。

 このような情報発信をする役目は既存のマスメディアなどにはできないことです。これからも日本人が知らされていない事実の発信を期待しています。


■豊さんより

 明治21年の憲法発布直前に伊藤博文が「国家に機軸なくして政治を人民の妄議に任すときは、政はその統紀を失い、国家また随いて廃亡す」と述べている。

 最近のわが国の政治・経済の低迷の根本的な原因は国家の依って立つべき機軸が失われたからではないだろうか。欧米にはキリスト教と自由と民主制と言う機軸となるべき思想が有る。中東諸国にはイスラム教が、イスラエルにユダヤ教がある。またかつての共産圏諸国には破れたとは言え社会主義と言う理念が存在したし、中国のように中華思想を鼓吹出来る国もある。

 翻って我が国を見ると国民が精神のよりどころとするべき確固とした思想や信条は存在しない。平和国家を機軸と考える向きもあるが、その実現の為には血を流す事も厭わないと言う強固なものではなく、ただただ平和と唱えていれば平和が来ると言う誠に軟弱かついい加減な思想だ。

 政治の機能不全も経済の不調も詰まる所日本人が何を精神のよりどころとするべきかが明確でないことに起因すると知るべきだろう。いま政治家に求められるのは小手先の政策ではなく、今後の日本が何を行動の機軸とするかを明確にすることではないだろうか。

 日本は常に受け身で物事に対処して来た。自らがイニシアチブを取って行動する事を苦手としている。明確な目標が与えられれば、一丸となって懸命の努力をする。明治維新以来の目標であった先進諸国に追いつくと言う目標も目標が明確であっただけに達成することが出来た。

 しかし、そこで目標を見失ない精神的の漂流を続けている状況だ。この状況が続けば、日本は本当に消滅するかも知れない。歴史の中から何か日本人の精神のよりどころとするものを発掘する努力が求められていると感じる。


■編集長・伊勢雅臣より

「国家の依って立つべき機軸」を歴史伝統という縦軸の設けた所に、わが国の強さがありました。歴史学の偏向は、その基軸を失わしめよう、ということです。


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