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help RSS No.699 国柄は非常の時に現れる(上)〜 それぞれの「奉公」

<<   作成日時 : 2011/05/22 03:21   >>

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 自衛隊員、消防隊員は言うに及ばず、スーパーのおばさんから宅配便のおにいさんまで、それぞれの場で立派な「奉公」をしている。


■1.「家がこんな状態なのに行くんですか」

 宮城県の沿岸の都市で、ある酒屋が今回の大地震と津波で壊滅的な打撃を受けた。若者と母親が店内の片付けをしていると、制服の自衛官が来て、1枚の紙を示した。「召集令状」である。

 若者は元自衛官であり、万が一の時に招集に応ずる即応予備自衛官であった。若者は令状を示す自衛官に直立して「了解しました」と答えた。

 横からテレビのレポーターが「家がこんな状態なのに行くんですか」と聞くと、「そのために何年も訓練してきたんです。いま行かなければ、10年、20年と後悔しますから」 そばにいた母親も「人のためだから、行きなさい。うちのことは何とかするから」と声をかけた。[1]

 元自衛官で、万が一の際、自衛隊に復帰して現役並みの活動を期待されているのが、即応予備自衛官である。現在、約5600人いるなかで、今回の震災では4月中旬時点で、1300人が招集されていた。

 教育勅語に、理想の国民像として「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」(もし危急の事態が生じたら、義心と勇気を持って、公のために奉仕し)との一節があるが、まさにそれを絵に描いたような一場面である。


■2.「仲間のために自分は行く」

 東京電力福島第一原発の危機もなんとか沈静化しつつあるが、それも多くの人々の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」のお陰である。

 東電の下請け業務を行う協力会社のベテラン社員、根本誠さん(47、仮名)は3月11日の震災発生当時、第一原発の事務所3階にいた。東電の要請に応え、同僚10数人とそのまま原発に残って、復旧作業に入った。

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 被曝(ひばく)の危険性があることは分かっていたが、復旧作業には原発で18年働いてきた俺たちのような者が役に立つ。そう覚悟を決めた。
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 第一原発では連日、東電社員と協力会社社員、合計で300〜500人が残って、復旧作業にあたった。1日の食事は非常食2食、毛布にくるまって雑魚寝という過酷な環境で作業を続ける。

 3日後の14日午前11時1分、根本さんが2号機で電源復旧作業に当たっていた時に3号機が水素爆発を起こし、原子炉建屋の上部が吹き飛んだ。

 外へ出ると3号機は鉄の骨組みがむき出しになり、灰色の煙がもうもうと青空に立ち上がっていた。「もうだめだ、、、」仲間の声が聞こえた。

 根本さんは「放射能をくらうぞ。避難するんだ」と声を上げて防護服のまま、瓦礫の上を走った。乗ってきた車は爆風で窓が割れて使えず、作業基地となっている免震重要棟まで1キロ近く、最後は息切れしながら、たどり着いた。

 根本さんは翌日15日から東電の緊急退避命令により、しばらく避難生活を送ったが、また志願して、第一原発に戻るという。

__________
 同僚たちは今も原発で働いている。少ない人数で頑張っている。むろん、行かなくとも誰も責めないだろうが、自分がよしとはできない。仲間のために自分は行く。[2]
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 行かなくては「自分がよしとはできない」とする心が「義」であり、危険を承知で現地に赴くのが「勇」である。


■3.「任務ですから」

 原発には、東京消防庁のハイパーレスキュー隊、自衛隊、警視庁なども放水活動のために駆けつけた。

 大阪市消防局は53人が20日夜から90時間、東京消防庁の活動を支援した。参加した隊員たちには、本人の意思を確認した上で、職務命令が出された。指揮を執った片山雅義・警防担当課長代理(48)は、こう語った。

__________
 東京消防庁が孤軍奮闘、国民のために命がけで戦っているのを、同じ消防職員として見過ごすわけにはいかない思いだった。

 私の息子は24歳だが、ほぼ同じ年齢の東京の隊員が体を震わせながら「任務ですから」とだけ言い残して出動していった。
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 原発から約20キロ地点の前進基地から、800メートル地点の指揮所までサイレンを鳴らして移動する途中で、自分たちに向かってお年寄りら6人の住民がお辞儀をした。

「腰を90度まで曲げて、深々とおじぎをされた。その姿を見て、これは絶対に何かお役に立って帰らねばと思った」と片山さんは語った。[2]


■4.全国から集まった3千人の都市ガス局員

 同僚が命がけで戦っているのを「見過ごすわけにはいかない」という「義勇」の心は、民間事業者も同じだ。

 仙台市ガス局では7市町村で35万世帯の都市ガス供給がストップした。この危機に全国の都市ガス業者が立ち上がった。北は北海道ガスから、南は鹿児島の日本ガスまで、最大手の東京ガスも含め、約30業者が約3千人を仙台に派遣。仙台市ガス局員約500人とともにガス管の損傷確認や一軒ごとの開栓作業など、人海戦術で復旧にあたっている。

 仙台市ガス局内に設けられた現地復旧対策本部には、会社ごとに異なる様々な作業着を着た技術者たちが集まる。全国に派遣要請を出した日本ガス協会の広報担当・山田俊彦さんは「お客さんのガスを止めるというのは、ガス業者として断腸の思い。同業の仲間として放っておけない」と使命感を語る。

 新潟県柏崎市から8時間かけて駆けつけた同市ガス水道局の佐藤貴人さんも、3月末、仙台市内でガス管の修繕作業に従事した。「中越沖(地震)の際には仙台市にも助けてもらった。やっと恩返しができる」と、語った。

 オール・ジャパンによる総力戦の復旧作業で、地域ごとに供給が再開されていった。仙台市ガス局の桝川佳隆さんは「同業者の支援は本当にありがたい。全域復旧を急ぎたい」と声をつまらせた。[3]


■5.「荷物を届けると、返ってくるのは一様に喜びの声」

 電気、ガスと同様、ライフラインとして重要なのが物流だ。ヤマト運輸は岩手、宮城、福島の125店舗を震災後10日で再開させた。阪神・淡路大震災の時に要した日数が15〜20日なので、大幅に縮めている。

 石巻市でいち早く営業再開した石巻蛇田センターは、近隣の5事業所分の荷物を一気に引き受け、北信越、関西などの事業所から駆けつけたヤマト運輸社員がサポートして、通常1日取扱量800個程度のところ、3000〜3200個をさばいた。

 そのほとんどすべての荷物は、被災した親戚に食べ物を届けたいとか、親友に衣類を送りたいという、救援物資である。阿部浩・石巻支店長は言う。「自宅や避難場所に荷物を届けると、返ってくるのは一様に喜びの声。物流は電気や水道と一緒。同じインフラなんです」

 ヤマト社員たちの心意気を示すエピソードがある。ヤマト運輸のドライバーたちは、避難所間の供給物資の格差に気がついた。ある避難所には潤沢に救援物資が行き渡るのに、小さな避難所には行き渡らない。

 各担当エリアを隅々まで知り尽くしているヤマト運輸のドライバーたちは、自発的に小さな避難所まで救援物資を送り届けた。他の運送会社と共同で、救援物資の配送を行ったケースもあった。

 ドライバーたちの自発的な動きを知ったヤマト運輸本社では、こうした活動を支援するために急遽「救援物資輸送協力隊」を組織し、グループ挙げての活動に乗り出した。

 宮城県気仙沼市の青果市場に設けられた救援物資の一時倉庫では、約50人の自衛隊員と同数のヤマト運輸の協力隊が働いている。自衛隊が宮城県の倉庫からこの一時倉庫に物資を輸送し、ここから約90カ所の避難所に配るのがヤマト社員の役割である。[4,p13]


■6.自動車営業マンの奉公

 宮城県石巻市のトヨタ自動車系ディーラー、仙台トヨペット石巻店は、地震発生の40分後に、巨大な濁流に襲われた。車はすべて流され、営業再開のメドも立たないため、須藤店長は従業員に自宅待機を命じた。しかし、4日目には、従業員が一人、また一人と店舗に戻ってくる。

 売るものなど何もなかったが、須藤店長は店を開けることにした。すると、顧客が次々と店舗にやってくる。「流されたクルマで玄関が開かない、道路が通れない」など、用件の大半はクルマの撤去で、1日に10件以上も依頼が舞い込んでくる。店舗の片付けも終わらない中で、従業員は数人がかりで、撤去作業に出かけていく。

 携帯電話がつながるようになると、営業マンたちは常連客の安否確認を始めた。すると、顧客からの第一声は「生きていたか」「家族は大丈夫か」と、営業マンたちの身を案ずる言葉だった。

 電車もバスも途絶えた被災地で、車は生活に欠かせない移動手段であり、物資の運搬手段である。顧客からは次々と注文が寄せられる。地震発生後3週間で新車30台、中古車25台を受注した。震災前の10日間の受注は10台だった。

 石巻店は津波の難を逃れた在庫をやりくりして、4月1日、震災後の納車第1号ハイブリッド車「プリウス」を顧客の許に届けた。仙台トヨペットは、全国各地のディーラーに呼びかけて、200台の中古車を調達する手はずを整えた。

 トヨタ本体からも毎日のように救援物資が届けられる。仙台トヨペットでは、支援物資の多くを自社の店舗だけでなく、避難所や病院にも届けている。地域社会に根ざしたディーラー網は、住民生活を支える社会インフラとなっている。[4,p11]


■7.生活に必要なものを普通に買える喜び

 宮城県気仙沼市にあるイオン気仙沼店では、地震発生直後、店舗にいた買い物客と従業員は、避難場所に定めてあった店舗正面入口に集まった。町内放送は高さ6メートルの津波が押し寄せてくる、と伝えた。雪が降る中、高瀬千晃店長(59)は高台にある県立高校跡地などに全員を誘導し、一人の被害者も出さずに済んだ。

 翌日、避難先から店に戻った従業員たちが目にしたのは、無残に破壊された売り場だった。建物はなんとか残ったものの、1階売り場では自動車が流れ込んで横転しているなど、膨大な瓦礫の山に埋め尽くされていた。

 高瀬店長は、どう店を再開するのか、悩んだ。店舗の外のスペースは既に自衛隊が拠点として利用していた。建物の内部が使えないとすれば、残るは屋上しかない。「お客さまが満足する売り場になるのか。そもそも、早い時期に再開する意味があるのか」と迷った。

 それでも顔見知りの常連客からは「お店はいつ開くの?」「早く営業して」と何度も声をかけられた。従業員たちにとっても、大切な職場だ。

 4月1日、屋上駐車場にテントを張った仮設店舗で、店を再開した。並んだ商品は、カップ麺、野菜、自転車、布団など生活必需品が中心だった。冷蔵庫が必要なものは置けない。

 斎藤光代課長(62)が朝礼で、いつものように「行動規範宣言」唱和のリード役を務めた。斎藤さんは26年前の気仙沼店開業時にパート従業員として採用され、その後、正社員として、この店で働き続けてきた。

 朝礼では、再開にこぎ着けた喜びで、多くの従業員が涙を流した。開店前に約500人もの買い物客が列をなしていた。開店後は、臨時レジの前で長い行列ができた。生活に必要なものを普通に買える喜び、その客の喜びを従業員も受けとめたことだろう。

 売り場を完全に破壊された店舗の本格復旧は今もメドが立たない。それでも斎藤課長は誓う。「私たちにはこの場所しかない。ここで必ず復興する」[4,p6]


■8.公とは「大きな家」

「公に奉ずる」の「公」とは、「おおやけ」、すなわち「大きな家」という意味である。国全体を一つの「大きな家」だと見なし、その家族一人ひとりがそれぞれの働きを通じて、「大きな家」を支えることが、「公に奉ずる」ということである。

 ここで紹介した即応予備自衛官、原発作業員、消防隊員は言うに及ばす、ガス工事のおじさん、宅急便のおにいさん、自動車営業マン、スーパーのおばさんたちも、一人ひとりがそれぞれの仕事を通じて、立派な「奉公」をしている。

 そういう生き方を理想とするのが、我が国の国柄であり、明治日本の急速な隆盛も、戦後の奇跡的な復興も、多くの国民がそれぞれの場で奉公に勤しんだ事が原動力となっている。

 震災によって、本編の登場人物たちのように、いまだ多くの人々がそれぞれの職場で奉公をしていることがあきらかになった。そしてこれらの人々の生き様に感ずる処があったら、あなたの心の中にも、このDNAが脈々と受け継がれていると思ってよい。

 大震災を契機に、国民一人ひとりの中で、「義勇公に奉ず」の心が目覚めたとすれば、膨大な犠牲者の御霊も慰められるであろう。

(文責:伊勢雅臣)

→ No.700 国柄は非常の時に現れる(下)〜「肉親の情」
http://blog.jog-net.jp/201105/article_5.html


■リンク■

a. JOG(694) 大震災で示された「新しい日本」への道
 「震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」
http://blog.jog-net.jp/201104/article_3.html

b. JOG(602) 外国人の見た「大いなる和の国」
「私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じるの」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h21/jog602.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 産経新聞、H23.04.19「石にしがみついてでも」

2. 産経新聞、H23.03.31「原発作業員『俺たちがやる』」、「原発復旧、それぞれの使命感」

3. 産経新聞、H23.04.03「民間も総力戦」

4. 日経ビジネス、H23.04.11「3.11 不屈の国」

■「国柄は非常の時に現れる(上)〜 それぞれの「奉公」」に寄せられたおたより

■狼猫さんより

 初めまして。狼猫と申します。

 何年も前から貴メルマガを購読させていただいておりましたが、5月22日号を読ませていただいて、私も被災地の物流倉庫勤務ですので、電気も復旧していなかった震災後数日は止む無く自宅待機でしたが、その後会社と連絡が付いてから約3週間の職場復旧作業の事を思い出しました。

 まず社内の棚が倒れ、物という物は崩れて散乱し危険な状態でしたが、そこを何とかしないと自社の物流拠点としての機能を回復させることが出来ないので、決して小さくはない余震が続く中、ヘルメットとマスク装備で余震が来たらその都度状況に応じて対応しつつ片付けを行い、震災から三週間後には社内の復旧もほぼ終わり、漸く本業が再開し自社が被災地における物流拠点としての機能を取り戻す事が出来た時の喜びと嬉しさは、今でも忘れられませんし、今後も忘れることはないでしょう。

 その間ももちろんドライバーさんは救援物資の輸送をやっていて、私のような社内組もどの救援物資がどこに行くかも見届けていました。

 それまでは私は自分の仕事を決して望んでやっていたのではなく、生きる為に仕方なくやっていた感じがありましたが、震災後はその意識が変わりました。

 例えドライバーさんでなくても、社内組であっても物流会社に勤務する者として、自社を一日でも早く復旧させなければ、救援物資に頼らない被災地の自発的な流通の正常化が望めないのは明らかであったので、自分達が頑張らなければ被災地の物不足が長引くという強い意識持って復旧作業をやっていました。

 これほどまで に自分達の仕事の重要性を認識して仕事したのは震災後が初めてでした。そして、これが今号のタイトルにある【それぞれの「奉公」】なんですね。

 私が日本人として先祖・先人から良き伝統を受け継げていたのだとすると、その伝統を残してくれた先祖・先人に心から感謝したいです。


■ 哲也さんより

 今回もすばらしい記事、ありがとうございます。

 私は仕事柄、ヨーロッパのウィーンへよく出張します。

 今回、日本の震災後、2ヶ月以上も経過した今でも、日本支援の活動が行われています。その一つの要素が、今回ご紹介いただいたような日本人のメンタリティだと思います。

 距離は離れていますが、彼ら、彼女らにとって「日本人は愛すべき隣人」なのです。そのことがなかなか、日本に伝わらないことが残念でなりません。

 また、日本での報道が不十分なのも気になります。4月11日、ウィーン第二の歌劇場であるウィーン・フォルクスオーパー(国民歌劇場)で、日本復興支援のコンサートが開催されました。私は、たまたま当日、ウィーンにいたため、聴くことができましたが、最後にオーケストラと出演した歌手・合唱団全員で「君が代」を歌ってくれました。

 生涯、これほど感動した君が代はないかもしれません。しかし、日本では、このすばらしい内容が日本の大手マスコミでは全く紹介されていません。

 本当に残念です。この記事の内容を、ヨーロッパの人が読んだら、また日本ファンが増えると思っています。


■編集長・伊勢雅臣より

 大震災という「ことある時」に、我々の心中に眠っていた「奉公」の心が目覚めたのでしょう。

■琢朗さんより

JOGには、いつも感動させられます。
日本の良心というものを感じるからです。

今回の東日本大震災は、多くの教訓を生みました。

多くの犠牲者を出し、鎮魂の場になりました。
しかし、一人一人の公の精神が確認された場でもありました。

私は、教師として、自分ができることを自分の持ち場で、公を胸に
行っていきます。

今回のJOGを元にして、道徳の授業を創ります。

一人一人の公共精神を創り出すために。

いつもありがとうございます。


■編集長・伊勢雅臣より

 琢郎さんのような方がいることで、大震災の犠牲者の御霊も慰められるでしょう。


■服部充良さんより

「自衛隊賛歌」なる歌を作ってしまいました。
仕事で仙台に行くことがあり、被災地を垣間見ることができました。
自衛隊諸君の働きのおかげで、道路は回復しておりましたが、仙台
市若林区の田畑は荒れ果てたままでした。今回の自衛隊諸君の
働きを、なんとか表現できないかと思って作りました。

今まで作詞作曲はやったことがありませんが、若いころに本格的
に吹奏楽をやっていました。曲想にも自衛隊と日本国民との関係
を織り込みました。拙い作曲ですが、覚えやすく口ずさみやすい曲
としたつもりです。

メロディーの楽譜につきましては、Amebaブログの「ねこフェチのブログ」にエントリーを設けて、JPEG画像として掲載していあります。アドレスは http://ameblo.jp/hatlabo/ です。

「自衛隊賛歌」作詞・作曲 服部充良
2011年6月16日 記す

1.
富士の高嶺(たかね)に 白雪(しらゆき)望(のぞ)み
緑(みどり)輝(かがや)く 我(わ)が街(まち)よ
今 守り抜く この絆(きずな)
いざ 駆(か)け抜ける その轍(わだち)
あぁ 我(わ)が誇(ほこ)りの 陸上自衛隊

2.
波濤(はとう)砕(くだ)けて 群青(ぐんじょう)深く
四方(よも)に広がる 我(わ)が海よ
今 守り抜く この糧(かて)を
いざ 突き進む その雄姿(ゆうし)
あぁ 我(わ)が誇(ほこ)りの 海上自衛隊

3.
朝雲(あさぐも)ひかり 紺碧(こんぺき)高く
風吹きわたる 我(わ)が空よ
今 守り抜く この平和
いざ 舞い上がる その翼(つばさ)
あぁ 我(わ)が誇(ほこ)りの 航空自衛隊

4.
大君(おおきみ)ありて 弥栄(いやさか)永(なが)く
雄々(おお)しく建(た)てる 我(わ)が国よ
今 守り抜く この未来(みらい)
いざ 仰(あお)ぎ見る その力
あぁ 我(わ)が誇りの 日本(にっぽん)自衛隊

番外.
漁民(たみ)の願いを 胸(むね)に掲(かか)げて
波間(なみま)を駆ける 防人(さきもり)よ
今 守り抜く あの島を
いざ 奮(ふる)い立つ その決意
あぁ 我(わ)が誇りの 海上保安庁

曲は「付点八分音符+十六分音符」が自衛隊を表すモチーフとなっている。

最初の4小節ではこのモチーフは出てこない。5小節目4拍目では、歌詞には自衛隊を象徴する文言は無いが、自衛隊は常に国民と共にあることを象徴して、このモチーフが出現する。

次の4小節はモチーフが出てこないが、歌詞に「守る」という自衛隊を連想する文言が出てくる。ここでの「守る」とは軍事的安全保障とは別に、常日頃から普通の日本国民が持つ国思う心を表している。

皆で助け合いながら絆を保ち、畑・森・海を保育して糧を得て、世界の安寧と平和の追求こそが日本国の繁栄に繋がることを誰もが思い描いている。そのためこの部分にはモチーフを使わず、音符は四分音符と八分音符で構成されている。

13小節目4拍目にモチーフが出てきて、歌詞も自衛隊を讃える部分になる。「いざ」一朝事が起こった場合には、我が自衛隊が国民を助けてくれる。陸上自衛隊は瓦礫の山から道を開き、国民を困窮から救い出してくれる。海上自衛隊は艦隊を率いて我が国民の盾となって突き進む。航空自衛隊は外敵制圧のため、自らを省みることなく先鋒として舞い上がる。これらを力強く表現するために、この部分4小節は一連の上昇音形としている。

最後の部分はモチーフが出てきますが、「我が誇りの」の「誇りの」の部分は、国民が自衛隊を誇りに思うことを表現するために、わざとモチーフの使用を避けている。

歌詞は陸海空三軍自衛隊を順番に讃える内容として、4番で天皇陛下を中心とした、歴史ある伝統国家「日本国」の守りとしての、日本国自衛隊全体を讃える内容となっている。

天皇陛下を頂く二千余年の歴史を持つ我が国は、いかなる苦難にも雄々しく立ち上がることができる。神国日本の未来はわれら国民の手の中にあるが、一朝事が起こった場合に国民が頼りとして誇りと思うのは、陸海空三軍の自衛隊諸君の大いなる力なのだ。

番外として海上保安庁を讃える歌詞をつけた。漁業や海運業に携わる国民の、安全操業や安全航行を願い、日夜日本国沿岸警備に海上保安庁は就いている。シナ・ロシア・韓国の領土蚕食の危機迫る中、国民一丸となって、万世引き継がれるべき領土・領海を守る必要があるのだ。海上保安官諸氏は実際にシナ・ロシア・韓国からの物理的脅威にさらされながらも、日本国民と日本国の海洋権益を断固として守る決意を奮い立たせて日夜任務に従事しているのだ。

■編集長・伊勢雅臣より

 ありがとうございました。こうした歌が出てくること自体、自衛隊、海上保安庁に対する国民の感謝と誇りの自然なあらわれでしょう。


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