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zoom RSS No. 691 日本軍に救済され、中国軍と戦った難民たち

<<   作成日時 : 2011/03/27 05:38   >>

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地球史探訪: 日本軍に救済され、中国軍と戦った難民たち

 餓死に追い詰められていた民衆は、救援してくれた日本軍とともに、中国軍相手に立ち上がった。

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月刊誌『正論』5月号(4月1日発売)に

   伊勢雅臣『国難に立ち向かった父祖たちの魂の記録』

が掲載されます。東日本大震災のような国難に立ち向かった父祖たちの足跡から元気をいただけます。ご一読頂けたら、幸いです。
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■1.「飢え死にが出た年はたくさんありすぎるんでね」

 中国で数々の文学賞を受賞している作家・劉震雲(リュウ・チェン・ユン)は、92歳になる母方の祖母に尋ねた。

「おばあちゃん、50年前、大干ばつで、たくさんの人が餓死したんですってね!」

 祖母は言った。

「飢え死にが出た年はたくさんありすぎるんでね、いったいどの年のことをいってるんだい?」

 劉はイナゴを持ち出した。1942(昭和17)年の大干ばつの後、天をさえぎり、太陽をおおうイナゴが発生したのである。

「それは知っているよ。イナゴが飛んできたあの年のことだね。あの年にはたくさんの人が死んだよ。イナゴが畑の作物をぜんぶ食い尽くしてしまった」

「たくさんの人が死んだでしょう?」と聞くと、おばあちゃんはちょっと考えて、「何十人も死んだだろうね」と答えた。一つの村で何十人だから、河南省全体では300万人が餓死したとされている。

 死ななかった人は、西の山西省に逃げたという。そこも同じように貧しい地方なのだが。


■2.「緑色の顔や生気のない目」

 河南省での飢餓の状況を取材した当時の記事には、こう書かれている。[1,p29]

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 夏に入ると、全省で三ヶ月間雨が降らず、秋に雨が降ったものの、その後は全く降らず、大干ばつとなった。・・・

 毎日、われわれの食事時になると、いつも十数人から二十数人の被災者が、入り口で首を長くし、号泣しながら物乞いする。その緑色の顔(毒草を食べたため)や生気のない目は、誰しも見るに耐えないが、誰も彼らに残飯を与えることさえできなのだ。・・・

 河南では、原始の物々交換の時代に戻った。女子どもを売ろうとしても買い手がないので、自分の若い嫁や15、6歳の娘はロバの背中に乗せて、河南省東部の駄河、周家口、界首などの人売りの市場まで連れて行き、娼妓として売った。一人売っても、四斗の穀物も買えない。・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 飢餓の原因は、天災だけではなかった。アメリカの中国在住外交官ジョン・S・サーヴィスが本国に送った報告書には、「河南の被災者の最大の負担は、絶えず重くなる実物税と軍糧の徴収である」として、40万人の軍隊を養うために、農民は総収穫の30パーセントから50パーセントを徴収されること、また各部隊が兵員数を水増しして、必要以上に軍糧を徴収し、私利を貪っていたことを指摘している。

 さらに餓死が発生し難民逃亡が続いても、食糧徴発の計画は変えずに実行され、また政府の役人や、悪徳商人、地主等らが農民の田畑を低価格で買いあさっていた。


■3.「行列が見渡す限り延々と続いていた」

 米国の週刊誌『タイム』の記者セオドア・ホワイトも、被災地を訪れ、その状況を世界に知らせた。

 ホワイトは、丸一日、線路に沿って「行列が見渡す限り延々と続いていた」と述べている。

 もう一つの方法は、汽車につかまって移動する事である。しかし、これは非常に危険だ。ホワイトはたくさんの血まみれの死者を目撃した。一つには日本軍の砲撃によって、汽車が爆破されて命を失ったもの。また、車両につかまっていたのだが、夜に手先が凍えて握力を失い、転げ落ちて、汽車に轢かれてしまった者。

 ホワイトは、こうした流血を見ることよりも、目の前の光景が、いったいどういうわけなのか、はっきりわからないのが、耐え難く苦しかったと記している。このように組織も規律もなく、人々が大移動するなんて、政府は何をしているのだ?

 しかし、劉は言う。「この言葉はホワイトが中国の国情についてよく理解していなかったことを意味している」

 ホワイトはこの旅の途中で、河南省の役人から、鶏肉、牛肉、魚など贅を尽くしたメニューでもてなされた。それは、これまで口にしたなかで、もっともすばらしい宴会だったと、ホワイトは語っている。同時に、飢え死にしつつある民衆を思うと、食するにしのびないとも言った。

「ただし、我が故郷の役人は、ホワイトのように気おくれしてはいなかった」と、劉は確信している。


■4.「人もまた、狼の本性にもどった」

 道端には死人があふれたが、気候も寒いなかで、人々は、屍を埋める穴を掘る気力もなく、大量の屍が野晒(のざら)しにされ、飢えた犬に食べ物を提供することになった。

 ホワイトは洛陽を出発して東に向かったとき、小一時間もたたないうちに、雪の上に横たわった年若い女の屍を、野犬とタカが引き裂いているところを、その目で見た。ホワイトはこのような状況を多くの写真に残した。

 人もまた、狼の本性にもどった。この世の中に、もう食べるものが何ひとつなくなったとき、人は犬のように人を食い始めた。しかも、死者の肉を食うならまだ理解できるが、生きた人間が生きた人間を食い、身内が身内を食ったのだ。

 ホワイトは、母親が二歳の子どもを煮て食うのを見た。父親が、自らの命を守るために二人の息子を絞め殺し、その肉を煮て食べた。
 政府に対して「誰ひとり蜂起せず、ただ身内のあいだで共食いをする民族には、いかなる希望も見いだせない」と劉は語っている。


■5.「あなたは他の人からデタラメを聞かせれていたのですよ」

 ホワイトは被災地区を見た後、記事を電報でニューヨークに送った。当時の蒋介石による重慶政府の規定では、新聞報道は中央宣伝部の検閲を受けなければならなかったが、ホワイトは何らかの手段でそれを逃れたようだ。

 ホワイトの特ダネは、『タイム』を通じて欧米社会に広まった。おりしも蒋介石の妻・宋美齢が、アメリカを訪問していた。ホワイトの英文記事を読んで、怒り心頭に発した彼女は、『タイム』の発行者ハリー・ルースに対して、ホワイトの解雇を要求した。この中国流の要求は、当然ながら拒絶された。

 ホワイトは、正義感の強いアメリカ人らしく、被災者の救済に重慶政府を当たらせようと、政府要人に面会して、事態を訴えた。中国国防部長は、こう答えた。「セオドア・ホワイト先生、もしあなたがデタラメを話していないとすれば、あなたは他の人からデタラメを聞かせられていたのですよ。」

 他の高官は、ホワイトに忠告した。これらの人物に助けを求めても無駄であり、ただ蒋介石が口を開いてこそ効果がある、と。


■6.ホワイトの誤解

 そこでホワイトは、何日もかけて、蒋介石との面会にこぎ着けた。蒋介石は薄暗い執務室で、痩せた長身をしゃんと伸ばし、こわばった面持ちで握手をしてから、ホワイトの話を聞いた。

 その時、明らかに蒋介石は嫌悪の表情をしていた、とホワイトは記している。蒋はくだらなそうに聞き、しかたなく、ただ、副官に向かって、「彼ら(被災者の民衆を指す)は外国人を見ると、どんなことでも話すだろう」と言った。

 また、人が人を食べている状況まだ発生していることを話すと、「ホワイト君、人が人を食うことなど中国ではありえない!」と言った。

 ホワイトは次のように書いた。「明らかに、彼は、現在起きているこれらの事情をまったく知らない」。劉は、これはホワイトの誤解だと、断言している。

__________
 蒋がどうして信じないことがあろうか? きっと、ホワイトよりももっと早く、もっと詳しい河南被災地区の状況を知っていたにちがいない。ただ、それは手元にある重要なことがらではなかっただけなのだ。[1,p85]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 蒋介石にとっては、いかに日本軍と戦い、また共産党を抑えて、政権を維持するか、が最重要の事柄だった。どれほどの民衆が飢え死にしようが、犬に食われようが、共食いしようが、さしたる事ではなかった。ただ、さすがに3千万人が死線を彷徨っていることを、外国人記者の前で「小さな問題だ」とは言えなかったのである。

 しかし、ホワイトが、野犬が屍を食べている数葉の写真を見せると、蒋は「これ以上、ごまかせない」と瞬時に判断したようだ。すぐに態度を180度転換し、ようやく状況が分かったというふりをして、ホワイトを今まで彼の政府が「派遣したどの調査員」よりもすぐれた調査員であるとお世辞まで言った。


■7.難民救済の実態

 蒋介石の指示により、河南での難民救済が始まった。しかし、その内容は、いかにも中国流だった。河南では1万袋の米と2万袋の雑穀が配られたが、飢えた3千万の河南人民にとって、それは一人あたり平均1ポンド(約450グラム)に過ぎなかった。

 数ヶ月後に中央政府が発給した2億元の救済金のうち、一部が河南に届けられたが、役人らはこれを省の銀行に預け、利息を受け取るようにした。いくつかの地域ではそれを村に分配したが、村の役人はそこから農民が支払うべき税金分を控除してしまったので、農民に渡ったのはいくらもなかった。

 農民に渡った紙幣は100元札だったが、食糧を買いだめしていた者との取引には、5元札や10元札が必要で、その両替のために銀行に行くと、17パーセントもの手数料をとられた。

 蒋介石は欧米社会に対して救済活動をしているというアピールをしたのだが、それはこのような茶番劇に過ぎなかった。

__________
(救済がはじまっても)農民は相変わらず死のまっ只(ただ)なかにあった。彼らは道路で死に、山地で死に、汽車のホームの脇で死に、自分の泥小屋のなかで死に、荒れ果てた田畑で死んだ。[1,p102]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■8.「日本人が来た」

 1942年の大干ばつの翌年、今度はイナゴの大群に襲われた。天をさえぎり、陽を隠して、遠くからブーンブーンという低い唸りが聞こえたかと思うと、一斉に急降下して、農地を覆い尽くし、2時間もすると、作物の大部分は食い尽くされていた。

 しかし、河南の農民は絶滅を逃れた。なぜか。

__________
 日本人が来たからである。----1943年、日本人は河南の被災地区に入り、わが故郷の人々の命を救ったのだ。

 日本人は中国で甚だしい大罪を犯し、ほしいままに人を殺し、流血は河となった。われわれと彼らは、共存するわけにはいかなかった。だが、1943年冬から1944年春までの河南の被災地区においては、この大量殺戮を犯した侵略者が、ぼくの故郷の多くの人々の命を救った。彼らはわれわれにたくさんの軍糧を放出してくれた。われわれは皇軍の軍糧を食べて、生命を維持し、元気になった。[1,p113]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

日本軍の河南進攻を好機として、農民たちは立ち上がった。

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 数ヶ月来、彼らは災害と軍隊の残忍な巻き上げに、苦しみ耐えてきたのだ。いまや、これ以上、我慢はできない。彼らは猟銃をとり、青竜刀や鉄の鍬を用いて自らも武装したのだ。

 当初、彼らは兵士の武器をとりあげるだけだったが、最後には、中隊毎につぎつぎと軍隊の武装を解除させるまでに発展した。推定では、河南の戦闘では数週間に、約5万人の中国兵士が自らの同胞に武装解除させられた。
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 日本軍は6万の勢力で、わずか3週間以内に30万の中国軍を全滅させることができた。それは日本軍に助けられた農民が、中国軍に対して立ち上がったからである。


■9.「民衆が死んでも、土地はまだ中国人のもの」

 ホワイト記者に横暴な苛斂誅求を非難されたある中国軍将校は、こう答えたという。「民衆が死んでも、土地はまだ中国人のものだが、もし兵士が餓死すれば、日本人がこの国をわがものにして管理するだろう」

 まさに政権維持のためには、餓死しつつある民衆のことなど、重要な問題ではなかったのである。この言葉を、劉震雲はこう考える。
__________
 それでは、この問題を、まさに餓死しようとしているわれわれ被災者の目の前に置いてみよう。この場合、質問は次のように変わってしまう。
 飢え死にして中国の鬼(JOG注: 亡霊)になるのがいいのか?
 それとも、飢え死にせずに亡国の徒(JOG注: 売国奴)となるのか?

 そして、われわれは後者を選択したのだった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(403) 戦乱の中国大陸 〜 久しく合すれば必ず分す
日本が反省すべきは、かくも混沌たる中国大陸の内戦に直接介入した事である。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog403.html

b. JOG(674) 日中戦争、日本が勝っていたら
 中国は異民族に征服されるたびに、版図を広げていった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h22/jog674.html

c. JOG(109) 中国の失われた20年(上)
 〜2千万人餓死への「大躍進」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog109.html

d. JOG(110) 中国の失われた20年(下)
 〜憎悪と破壊の「文化大革命」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog110.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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