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zoom RSS No.254 「親日派のための弁明」を読む

<<   作成日時 : 2002/08/18 00:59   >>

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 私たちは国を奪われたのではなく、日本というましな統治者を受け入れたのである

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■■■ 本稿はステップメール講座「韓国問題 歴史編」に収録されています ■■■

 ステップメール講座は、特定テーマに関して、過去の弊誌記事を体系的に整理し、お申し込みいただいた受講者に第1号から順次、週1編のペースでお送りする無料講座です。

「韓国問題 歴史編」の目次、およびお申し込みは以下のページからどうぞ:
JOG Step 韓国問題−歴史編 開講
http://blog.jog-net.jp/201402/article_5.html
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■1.日本でベストセラー、韓国では有害図書?!■

 金完燮(キム・ワンソプ)という韓国人青年の書いた「親日派のための弁明」[1]が売れている。出版社の広告では30万部突破との由、確かに各地の書店店頭で平積みにされている。韓国人自身が「日本の植民地統治は本当に「悪」なのか?」と問いかけた刺激的な内容だ。

 産経新聞のソウル支局長・黒田勝弘氏は、この本に関する韓国側の状況を次のようにレポートしている。[2]

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 韓国の本が日本でこれだけ話題になれば、普通なら必ず韓国マスコミが「日本で話題!」と紹介するのだが、韓国マスコミは奇妙に沈黙を守っている。・・・

 この本については本国の韓国では一切、無視されているのだ。それは明らかに意図的な無視である。いや正確にいえば無視の一方で、公的機関による「有害図書指定」や検察捜査など当局による発禁に近い圧力がかかっている。

著者の金完燮氏は日本で著書が翻訳出版されたため6月末から7月にかけて日本訪問する予定だったが、旅券が出ず訪日できなかった。当局により「出国禁止」になっている。
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■2.そんなに危ない思いをしてまで■

 韓国での「親日派」とは、日本統治時代に日本に協力した者という意味で、「売国奴」「民族反逆者」という非難を込めて使われる。金完燮はこう説明している。

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 いまでも韓国の政治家たちは、だれだれの身内が日本時代に親日派だったらしいとか、大統領が日本に行って「先生、私、豊田です」と挨拶をしたのは「親日行為」だという調子で非難している。

 韓国社会で親日家の烙印が押されれば、かつてスパイの烙印が押されたのとおなじように、政治も社会生活もすべて放棄しなければならない。だから政治家や学者、大学教授、作家を問わず、その種の話題が出ると慌てふためいて、なんとしてでも親日派に分類されまいともがくのだ。[1,p143]
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 そんな「親日派」のための「弁明」を書くというのだから、これは中国で堂々と共産党批判の書を出版するくらい勇気のある行為だろう。

 昨年の8月頃、この本の草稿をインターネットサイトで公開した所、毎日数百人の韓国人から脅迫を受けたという。そしてこのサイトは20日余りで「情報通信倫理委員会」という政府の検閲機関によって、何の通告もなく閉鎖された。友人や家族からは「そんなに危ない思いをしてまで本を出す必要があるのか」と言われた。

 また本が出版された今年の3月には、閔妃(ビンヒ、李朝末期の后、清やロシアの勢力を背景に改革派を弾圧し、後に改革派と日本人有志により暗殺される)の末裔たちから、「名誉毀損」と「外患煽動」で告訴され、逮捕された。

「こんな事で私を投獄するなら、日本大使館に亡命を求めざるをえない」といって抗議して、ようやく釈放されたという。

 わが国で言えば、言論の自由、出版の自由が保障された現代では想像が難しいが、強いて例えれば、生命の危険を顧みずに活動した幕末の志士のような人物と言えようか。


■3.反日感情からの転換■

 韓国で生まれ育った金完燮は、かつて強い反日感情を抱いていた。日本語はまったく学ばず、日本を旅行したいとも思わなかった。その対日観が大きく変化したのは、2年近くオーストラリアに滞在していた頃だった。

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 オーストラリアと韓国を比較してみたとき、開発途上国として出発した国は一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とうてい先進国になれないという事実を痛感しました。オーストリアと韓国にはそれほど大きな差があったのです。

私は海外旅行を通して、国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できるようになり、朝鮮の開国期と日本統治について、一方的に歪曲された歴史認識から徐々に抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになったのだと思います。[1,p2]
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「一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とういて先進国になれない」という発見が「日本統治がなければ、李氏朝鮮の専制体制のままで、自力で近代化するなど到底できなかったのではないか」という問題意識に発展したのだろう。その一方では、アジアで唯一、近代化に成功した日本があった。

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 歳月が流れ、最近「パール・ハーバー」という映画をみながら、私は日本軍を応援している自分を発見した。60年も前に大規模な空母艦隊を率い、地球の反対側まで出征して、アメリカの太平洋艦隊を叩きつぶした日本という国の偉大さに、私は感動し驚きを覚えた。[1,p19]
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■4.朝鮮近代化は「生存の問題」■

 近代化の視点から歴史を学び直した金完燮は、次のような結論に至る。

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 王と貴族による専制的な階級社会から抜け出し、法が支配する市民社会へと移行することは、朝鮮や日本だけでなく、世界のすべての国家にとってもっとも緊急の課題だった。

19世紀末、市民革命の潮流の中で変化を拒否した清国、ロシア、朝鮮の王朝が順に滅亡し、遅まきながら市民革命に成功したドイツと日本が国際社会の主役として堂々と参加できたという事実を見ればそれは容易に証明できる。

 すなわち19世紀末の朝鮮において体制をひっくり返す革命は、選択の問題ではなく生存の問題であった。

・・・この時期、朝鮮を経由して大陸に進出しなければならない日本の利害と、市民革命を通じて文明開化を成し遂げなければならない朝鮮の利害はかなりの部分で一致していた。

・・・当時の日本は国運をかけて朝鮮の独立と改革を推進し煽ろうとした。この時期に朝鮮の改革派はこぞって親日路線を選択したが、これは日本だけが唯一朝鮮の改革を後押しする勢力だったからだ。[1,p145]
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 朝鮮統治には近代化という良い面「も」あった、というのが、本誌を含め、従来からの日本側の主張だった。本誌でも紹介したように:[a-c]

・ 農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料増産:併合当初の米の生産量が約1千万石から、20年後の2千万石へと倍増。

・ 生活水準の上昇に伴う急激な人口増加:1906年(明治39年)の980万人から、1938(昭和13)年には2,40 0万人へ。

・ 教育普及:明治43年の併合時には寺小屋程度しかなかったが、昭和19年までに小学校5,213校、生徒数240万人、就学率は61%を達成。

 金完燮は、「良い面もあった」所か、こうした近代化が朝鮮にとって「生存の問題」であったという。まさに革命的な主張である。


■5.朝鮮改革を妨げる清国、ロシア■

 明治維新で旧体制を打破して一気に近代化に走り始めた日本と違って、朝鮮の変革は難航を極めた。

 日本の圧力で1875年に開国して以来、500年も続いた李朝専制政治を打倒して新たな社会を建設しようと、壬午軍乱、甲申政変、東学農民戦争、甲牛改革、乙未事変と5回も大規模な試みが続いていたが、その都度、高宗や閔妃一族などの専制体制が清国やロシアの勢力を使って弾圧し、挫折させていた。

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 自らが中世いらいの専制政治に依存していた清国やロシアは、決して朝鮮の改革と近代化を望まなかったし、朝鮮の反動勢力を利用して朝鮮半島に対する支配権を維持することに血眼になっていた。

これにたいして、朝鮮と似た境遇にあり、すみやかに発展したがゆえに生き残ることができた日本は、朝鮮が一日も早く改革し近代国家へと移行して市場経済体制が定着することを望んだ。だからこそ日本は機会あるごとに、朝鮮の革命勢力を後援したのだった。かれらは自国の利益のためにも旧弊な腐りきった朝鮮王朝と手を結ぼうとはしなかった。これが日本と他の外国勢力との根本的なちがいであった。[1,p160]
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 朝鮮を近代的な独立国として発展させるためには、李朝専制政治をバックアップする清国やロシアの干渉を排除しなければならなかった。これが国内改革勢力が常に挫折し、また日本が日清戦争、日露戦争を戦わねばならなかった理由だった。


■6.知識人、農民、日本−3つの改革勢力■

 農民組織である東学党は日本を外国侵略勢力と見なして戦ったこともあったが、やがて日本こそが朝鮮改革の後援者と考え直し、日露戦争では5万余の東学教徒を動員して日本軍の京義鉄道建設と兵站業務を助け、また諜報部員を朝鮮・満洲各地に派遣して、戦争遂行に協力した。その後「進歩会」という30万人規模の団体に衣替えして、国政革新を目指していた。

 また日露戦争の結果、高宗と親露派ら守旧勢力の力が弱まったのを背景に、長らく日本などで亡命生活を送っていた改革派知識人たちが帰国し「維新会」を結成した。その名の通り、日本の明治維新をモデルとして、朝鮮の近代化を目指していた。

 この「進歩会」と「維新会」が合同したのが一進会だった。ここに支配階級出身で近代化を目指す知識人グループと、李朝政府の圧政をはねのけようとする農民階級、それに朝鮮近代化を支援することで「攻撃的な防御」地帯を確保しようとする日本、の3つの改革勢力が結集したのである。


■7.朝鮮民族の生きる道■

 日本政府が韓国を保護しながら独立国として育成していこうという方針のもとで、日韓保護条約を結ぼうとすると、一進会は「韓国の外交権を日本に委任せよ」という内容の宣言文を発表し、大々的なデモを繰り広げて、条約を支持した。1907年3月2日、伊藤博文が朝鮮の初代総監として赴任した日、一進会は南大門に「歓迎」と記した強大な垂れ幕を掲げて伊藤を歓迎した。

 伊藤博文自身は韓国併合には反対だったが、「韓国侵略の元凶」と見た安重根が伊藤を暗殺すると、1ヶ月後の1909年12月4日、一進会は大韓帝国2千万人の国民を代表して、100万会員の名で日韓合邦を要求する声明書を発表した。金完燮はその内容を次のように要約している。

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 日本は日清戦争をつうじて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつきこの国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは私たちがみずから招いたことである。・・・

 近年、韓国に入ってくる日本人は一万人をこえる。このままいけば韓国は日本人の国となり、韓国人は日本人の奴隷に転落することは明らかだ。それゆえ劣等国民として保護されて生きるよりは、いっそ日本と合併し大帝国をつくって世界の一等国民として日本人とまったく同じ待遇を受けながら暮らしてみよう。これが朝鮮民族の生きる道であり、(韓国の)皇室を存続できる唯一の道だ。[1,p216]
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■8.私たちは国を奪われたのではなく、■

 日本統治には「良い面もあった」という論の前提には、日韓併合を悪とする考え方があるが、金完燮はそもそも合邦自体が悪といは考えない。

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 朝鮮人にとって、併合と総督府統治はおおむね広範囲な支持を受けたと考えられる。ポツリポツリと抵抗運動が発生したり、海外で独立運動する人びともいることはいたが、彼らが朝鮮社会の主流とはいえない。当時の朝鮮人は自らのアイデンティティーを、大日本帝国の臣民と規定して満足な生活を営んだと思われる。[1.p286]
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 「満足な生活を営んだ」という評価は、日本統治時代のGDP成長率が4.15%と当時の先進国を上回り、人口も2.4倍となるほどの高度成長をしていたという事実と合致する。

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 私たちは国を奪われたのではなく、日本という、(李朝専制政治よりも)ましな統治者を受け入れたのである。これは明らかに進歩であり、朝鮮民衆の自然な選択だった。[p1,63]
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■9.「大東亜連邦」の夢■

 このような視点から、金完燮は「民族ごとに独立するのが当然だ」という論理を受け入れない。一国として独立するかどうかは手段の問題であって、民衆が幸福な生活を営む事が、目的であるからだ。

 独立するだけの国力がなかったこの時期の朝鮮では、李朝専制体制が選択したように清国やロシアという専制国家の属国になるよりも、親日派が目指したように日本と合邦して近代的市民国家の一員としてやっていく方がはるかに民衆の幸福につながったのである。

 現代のヨーロッパ連合(EU)の動きも、欧州諸民族が寄り集まって、より強力で豊かな国家社会を実現しようとするものである。この流れから見れば、金完燮の次のような「21世紀大東亜共栄圏の夢」も、あながち荒唐無稽と決めつけるわけにはいかないだろう。

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 結局、日本と南北朝鮮、中国、ASEAN、オーストラリア、ニュージーランドを含む広域経済ブロックを構成し、長期的な視野に立って北米とヨーロッパ型の連邦体制に発展させることだけが、東アジアがとりうる唯一の明るい未来展望である。これこそが60年前、大日本帝国が夢見た大東亜共栄圏だ。[1,p133]

 まずは自由貿易地帯を創設し、一定の年月を経た後、国境を開放して資本と人材の移動を自由化し、共同議会で中央銀行を作るなど、可能なところから政治経済的な統合を推進しなければならない。

 その過程で韓国と日本は連邦制の政治体制を築くことができる。韓国は中部と西部、東部の3カ国に分割し、日本は本州の5つの地域と北海道、九州、四国の8つの国家に分割して連邦を形成した後、一定期間が過ぎてから大東連邦に加盟する形態が望ましい。

これによって台湾、ニュージーランド、オーストラリアの5つの州、韓国の3つの州、日本の8つの州など18州で構成された、人口2億の広大な大東亜連邦が形成される。以後一定期間をおいて北朝鮮と中国、ASEAN10カ国中で条件が満たされた国家を順次吸収していけば大陸へ勢力が伸びていくことができる。[1,p139]
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(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(005) 国際交渉の常識
日本の朝鮮統治の悪しき遺産?!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h9/jog005.htm
b. JOG(056)忘れられた国土開発
日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追
いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土
開発が図られた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog056.html
c. JOG(204) 朝鮮殖産銀行の「一視同仁」経営
朝鮮農業の大発展をもたらしたのは、日本人と朝鮮人の平等・
融和のチームワークだった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog204.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 金完燮、「親日派のための弁明」★★★、草思社、H14
2. 金完燮、黒田勝弘、「やっぱり韓国は変わらない」
  正論、H14.2

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■「親日派のための弁明」を読む」について 

■ キムチナラ名菜館店主さんより

 何日か前に読了しましたが、日本人では逆にここまではなかなか書けないと思いました。日本人が書くとどうしても「よいこと『も』した」論になってしまいますが、これはずばり「よいこと『を』した」論である上に、併合は韓国人が積極的に求めたものだと言いきっていますから、画期的です。

 呉善花さんあたりが援護射撃をしてもよさそうなのに、と思ってふと気づいたのは、呉善花さんは済州道(島)出身で、金完燮さんは全羅道、(光州事件の際には反政府の立場を取った人です)というところでした。

 済州道では戦後すぐに米韓軍のいわゆるアカ狩りで大虐殺が行われていますが、どちらも韓国の中ではずっと虐げられてきた地域です。日本から見ると韓国は反日で一枚岩のようになっているように思われがちですが、実際には、「中央には日本よりよほどひどい目に遭っている」という感覚の持ち主も、この二つの地域には多いと思います。

 韓国に好き勝手を言われ続けておもしろくない、しかし詳しく勉強しているヒマもない、という人には併合前後の日韓中露の動きがよく整理されていて非常によいテキストになると思います。合わせ読むとしたら、以下のあたりかな、と思います。

呉善花 『韓国併合への道』文春新書
黄文雄 『韓国は日本人がつくった-朝鮮総督府の隠された真
実』
崔基鎬 『韓国堕落の2000年史』祥伝社


■匿名希望さんより

 現代はインターネットの社会であり、グローバル化、オープン化が進む時代である。ところが、ナント著者のホームページが”20日余りで「情報通信倫理委員会」という政府の検閲機関によって、何の通告もなく閉鎖された”との事。

 戦時中とか、独裁主義国家(北朝鮮など)とは違う国で こんな事が有りえるとは驚きです。日本の教科書に対する主権侵害を平気でやる国であり、未だ進化を遂げていない国と思うしかないのでしょうか?

■荒木さんより

 この記事にもありますように、日韓併合は日本にとって必然性がありました。また、朝鮮半島の近代化にも必要なことでした。

 韓国の、福沢諭吉に対する不当な評価も、韓国世論の偏狭さと偏りの表れであると思っています。曰く「脱亜入欧論で朝鮮半島をおとしめ、植民地化を正当化した」と言うことなのですが、当時福沢諭吉は積極的に朝鮮半島からの留学生を受け入れ、朝鮮半島近代化のための支援をした。

 ところが、ことごとく閔妃を筆頭とした王朝に邪魔をされた。そこで、こりゃだめだとなり、清国を含め「アジアなんか相手にしていられない。これからは西欧に見習おう。」と言ったわけです。もっとも、脱亜入欧論は時の為政者に利用されてしまいましたが。

 しかし、一方、日本が朝鮮半島で行った負の面も、きちんと評価していかなければならないのではないでしょうか。そのひとつは、閔妃暗殺事件です。日本にとって不利益なことをし、朝鮮半島の近代化を阻害した人物ではありますが、日本の天皇と同じように朝鮮民族の象徴でもあったわけです。

 だから、気に入らないからといって、日本のためにならないからといって、王宮に暴徒として乱入して手当たり次第無抵抗の女官を切り刻み、閔妃を殺したあげくに屍姦して焼くということを、やってもよいものでしょうか。

 この事件に対する落とし前もつけずに日韓併合へと至ってしまった。これは、「プライド命」の朝鮮民族に対して、最大の失策だったと思います。

 日韓併合も、対等合併と言っておきながら、実際に朝鮮人に対する処遇はどうだったでしょうか。そういう、両面を見ながら日韓関係というものを考えていかなければいけないのだと思っています。そして、未来に向けて、日本の歴史上の出来事を冷静に分析し、まずい点を改めていかなければならないのだと思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

「韓国は反日の一枚岩ではない」というキムチナラ名菜館店主さんのご指摘は新鮮でした。この店主は韓国留学をして、もちろん韓国語はペラペラ、韓国のキムチよりおいしい日本のキムチを作ると在日の人々にも評判です。

 本号おたより欄にあった、日本人が李朝「王宮に暴徒として乱入して手当たり次第無抵抗の女官を切り刻み、閔妃を殺したあげくに屍姦して焼く」という表現は事実ではない、という指摘を数人の方からいただきました。この事件については、後日、テーマとして取り上げます。

■初出
Japan On the Globe 国際派日本人養成講座
No.254 「親日派のための弁明」を読む
平成14(2002)年8月18日発信


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